『定本黒部の山賊 : アルプスの怪』"Authentic Text. Bandits of Kurobe: Mystery of the Japan Alps." by Itō Shōichi 読了

アマゾンでチベットやらアルタイの本を見てたら、AIが気を利かして出てきた本。以前町田の国際版画美術館で畦地梅太郎展を見たとき*1にも物販で見てたのですが、その時は畦地梅太郎の本しか読まなかったです。

2014年3月10日の初版で、読んだのは同年4月3日の三刷。もともとは実業之日本社ブルーガイドシリーズの一冊として1964年に出て、1994年、2009年にも再版してたようなのですが、山小屋中心に、現地に行かねば手に入らない本としてほそぼそと売られていたとか。

それがこの本で「定本」"Standard Edition"として山と渓谷社から刊行され、2019年以降はヤマケイ文庫になってどこの山関係の書籍コーナーでもたぶん手に取れる本になったということです。この本のカバー装画は表紙が「山の音」で、裏表紙が「黒部五郎岳の熊」(草地の傾斜地で寝っ転がって遊んでる)ですが、文庫本の表紙は絵が違うです。ブルーガイド版の表紙に使われた絵に戻したようで、「山の釣り人」という、この本の表紙用に製作された作品で、しかしこの版を開くと、カラー口絵のトップページに「山の釣り人」はちゃんと収められているので、やべえB6版買っちったと焦っても、だいじょうぶです。

本文写真:伊藤正一 挿画:畦地梅太郎(提供:「あとりえ・う」)装丁・DTP:勝峰微 編集:勝峰富雄(山と渓谷社) 校閲:戸部一郎 協力:富安雅子

奥付によると、もともとは山と渓谷社の「ハイカー」という雑誌に、1962年などに連載された原稿がもとだそうです。定本化にあたっては、1994年の新版をもとに、加筆・訂正し、新たな写真も加えたとか。高桑信一というフリーライターの人と、高橋庄太郎というアウトドアライターの人の寄稿があります。

さらにその後、いつからはあれですが、戦後のドサクサ時期まで山賊と呼ばれた男たちの写真つきプロフィールが載ってます。首魁の、黒部奥地で単独越冬を成し遂げたため山賊として恐れられるようになった猟師の人は、ヒマラヤのヒンドゥークシュで山の老人やってても似合いそうな風貌なのですが、ほかの人は、なんというか、里で会う分にはいいが、ひとけのない山奥でサシであんまり会いたくない、スキや弱みを見せたくない感じの写真です。といっても、コワモテではぜんぜんない、むしろ、気を抜くと人のふところにすっと入ってくるようなタイプのかんばせで、そうした駆け引きを日常的に野生のケモノやイワナ相手に行って、獲物をゲットしてる人間というのはこういう面構えになるのかと、ふかぶか見入ってしまうようなお顔ばかりです。それぞれ、老人会会長やったり、登山道整備の陣頭指揮とったり、猟友会会長やったり、遭難救助隊員やったり、案内人組合のメンバーやったりしてます。いつも笑顔をたやさなかったり、歌がうまかったり、話がすこぶるおもしろかったりと、特色もそえられてます。さらに、語られた分だけですが、生涯に仕留めたカモシカや熊の数も併記されています。

追悼 伊藤正一 | 特集 | 北アルプス黒部源流 | 三俣山荘・水晶小屋

著者は戦後間もない頃に黒部の山小屋の権利を買うのですが、戦争で番人もいなくなり、床板や壁板も暖をとるため通りすがりのビバーグの連中に燃やされ、屋根も柱もほとんどないというありさまで、さらにはそこに、不法占拠というか、ヌシ、持ち主を名乗る山賊たちがいて、彼らかどうかは分からないが、黒部一帯には物がない時代なので、泥棒や強盗も横行し、モーゼル銃持ってるとか、岩魚や熊、兎、羚羊などを捕る以外の米や塩は大町に降りる仲間が運んでいくとか、諸説ぷんぷんで、著者はふたりの友人とともに、じっさいに現地に行くことにしたです。

したら、じっさいのそのときの頭目は、ヒゲもきちんと剃って、頭髪はポマードでなでつけた紳士で、残骸みたいな建屋なのに、親の代からここをやっていて、まじめにやってるので営林署のおぼえもめでたいとぬけぬけと言い放ち、あまりのことに、「実は私がここの所有者で…」とは言い出せない著者から山小屋の宿泊代もちゃんともらい、しかも山好きはお互い助け合いですよと宿代をまけてくれたそうです。

それで下山後、穏健策をとるか強硬策をとるか、営林署の職員らと作戦協議する前に、毎日新聞がトバシのスクープ記事を発信してしまい、あちゃー、やつら絶対これ読んで警戒してくるぞ、さてどうすべえとなったそうです。頁28にその記事が載ってます。屋根のある小屋の写真に、「小屋にどっかり山賊」「ひげ男、炉ばたに兎の丸焼きかじる」「うわさ飛ぶアルプス山上」の見出し文。ここがすごいおかしかったです。何がって、毎日新聞だったので。1947年6月21日土曜日にもうこんなことしでかしてたのか。

著者がどうしたかというと、山賊も里に家族がいて、ときどきこっそり家で家族にあってるので(本書後ろのほうにお子さんの数なども書いてある)大町の町に住む家族を見つけて、そっちからアプローチして、こっちゃ家族つきとめてんねんでということで、穏便に解決する方法をとったそうです。最終的には、著者が山賊の身元保証人になって記者会見を開き、身の潔白を、立て板に水べらべらっとやってもらい、失地回復、メンツを立てたとか。

別の箇所に、噂が立った事件のひとつ、資産家の医師失踪事件についての山賊首領本人の弁があり、もちろん無実を主張してます。口がうまいのは確かと思いました。真相は分からぬが、お気の毒でしたと弔意ももちろん示してます。

それより、当時の山行が、ワラジだったという頁37の記述がへーでした。特別に強く作った草鞋だそうですが、それでも健脚の猟師は、ボッカで一日四足ワラジを履きつぶすそうで、夜は夜なべでわらじぬい。

頁62に、大水で生死のさかいをさまよった猟師が、ようようやっと山小屋に辿り着いた時、まず戸口の外で手足を洗い、身なりをととのえ、正座して両手をついて、小屋主の著者に生還の辞と感謝の口上を述べる場面があります。ここは、極限状況後になお仁義という、山の流儀を感じました。

頁92、泊るとばかされるというカベッケが原に出た河童について、鳴き声が「胡弓のような音」「キューキュー」というくだりがあり、胡弓の名前と音色をこの山賊は知っているのだと思いました。彼らの人生に戦争がどう影響したかの記述はありませんが(どこの戦地に行ったかもほとんど書いてないと思います)私はもう、胡弓といえば中国の楽器で、アルフーとかニコとか呼ぶのに違和感以外ないのですが、ウィキペディアによると、それこそが誤用で、大問題なんだとか。知らなかった。

胡弓 - Wikipedia

中国の擦弦楽器である二胡、高胡などを俗に胡弓と呼ぶことすらある。現代では単に胡弓といった場合、むしろこれらを指すことも多い。しかしこれは明らかに誤用であり、そのために本来の胡弓との間に混同が生じており、問題化している(中国の擦弦楽器との区別のため和楽器の胡弓が「和胡弓」「大和胡弓」「日本胡弓」といった名称で呼ばれることもある)。このため、一部の胡弓関係者、二胡関係者により、正しい呼称の使用が呼びかけられている。

山賊が和楽器の意味で胡弓を使っているとも思えないのですが、わたしじしん和楽器に胡弓なんて名前のものがあるとは思ってなかったしなあ。

オバケの話というと、山には怪異話が尽きないもので、なんでか知りませんが、山家はバックパッカーもやったりするので、それで、カシュガルとかフンザのドミトリーで、日本の山間部の工事で、谷底で、発破のかけそこないで爆死した測量技師の同僚が、翌年の命日の日に、その場所で、ふとあたりにまったく物音がしなくなったと思ったら立っていて、「待ってたんだよ」と声をかけてきた話なんかは私も聞きました。

草鞋に話をもどすと、頁210によると、稲わらのわらじではなく、麦わらのわらじだったそうで、ルフィ、否、おかぼ(陸稲)くらいしか米がとれない山里だったからだろうかと思いました。このページにはゴアテックスの登場も語られていて、それによると、昭和三十年代には市場に登場し、四十年代には登山界全体にいきわたったそうで、そんなに早いの? 平成じゃないの? と思いましたが、防寒具でなく防水製品としてのゴアテックスのようで、テントやヤッケの素材だったそうです、ゴアテックス。山家の常識、私のもの知らず。

オバケよりにんげんがこわいという本ではないのですが、それは真実だよと分かった上で山のふしぎな出来事がいろいろ読めるおもしろい本でした。狸を狸汁にして食べたらつがいの片方が仕返しして変死したり、大変です。兎の頭の食べ方も面白かった。山の人でないと好んで食べないだろうな。以上