チベット幻想奇譚|星泉 チベットの現代作家たちが描く、現実と非現実が交錯する物語
装画・扉絵 蔵西 装釘 宗利淳一 ←クギの字を使った「装釘」は、暮らしの手帖などに使われていると、ほかの方のはてなブログで拝見しました。
収められている十三の短編の、一個一個の感想の、十一個目。第三のチャプター「Ⅲ現実と非現実のあいだ」カテの作品。星泉サン訳。初出は「灯明チベット文芸ネット」2016。
རྐང་རྗེས། ཁ་བ་ན་བོར། - མཆོད་མེ་བོད་ཀྱི་རྩོམ་རིག་དྲ་བ།
上のサイト。下の黒字བོད༌ཀྱི༌རྩོམ༌རིག༌དྲ་བ།は、《琼迈文学网》という漢語タイトルもついていて、www.tibetcm.com です。赤字の、昆虫みたいな字体でないので解読出来ない単語が、たぶん、灯明の絵もあるんだし、灯明なんだろうなあと思いますが、ウィキペディアのバター灯明で出てくるチベット語の単語とは一致しなさそうなので、そこで捜索打ち切りです。
作者は昌都のマルカム出身のカムバの、baling后と言っていいのかどうかの青年。「ゼロ」を意味することばがペンネームです。本書の写真は、ハンバーグ!と叫びそうな顔ですが、灯明サイトに載ってる写真は、韓流みたいに前髪をおろして、なよっとしてます。
"'leko"という発音も書いてありましたが、"Klad Kor"のほうが多かったので、そっちを題名に貼りました。ワイリーとかなんとかのちがいでしょうか。下記とは関係ありません。
解説で、チベットの若者が内地に進学して希望と挫折、喪失を味わう姿を想起させるとあり、ゼロさんは中央民族大学出身なので、そういえば言えないこともないが、そうやってカテゴライズのレッテル貼り(・A・)イクナイ!! という人もいるかもしれません。個人的には、最近オダサガのウイグル料理店で会った、ワックのまんがになってるIT企業勤務のウイグル青年が、広州から天津へと国内大移動の高等教育を経て、天津で日本語を学んだのが縁で来日後、家族ガーという話で(まんがに描いてあります)ほんとにことばを失ってしまったことがあります。あまり深く考えずに、西寧で回族から聞いた、ひと昔まえの広州でハラルフードを手に入れるのがどんなに大変だったか、動物性蛋白は、鶏卵くらいしか安心して口に入れられるものがなかった、などの話を私がべらべらしゃべった時の、彼の、おや? というような表情をあとから思い出します。
カムはどうだったか知りませんが、黄南では、ネコイラズ、殺鼠剤が導入された時、肝心のねこがネコイラズを食べてほとんど死んでしまって、ねずみだけが残ったと聞いたことがあります。ほんとかどうか知りませんが。
ウクライナの血も引いているという、帝政期のモスクワに詳しいロシア人「ギリャイおじさん」によると、鼠退治には猫より犬のフォックステリヤが効くそうです。どんどん狩って、バリバリ食べてくれるんだとか。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
頁175
この悪童が日がな一日読んでいる本は、ケサル王物語だった。でも猫の世界には王などいないし、ぼくは特別興味もない。
この小説はケサル王が登場します。素晴らしいですね。
頁176
「おいおい、お前ってやつは、算数0点、漢語0点、チベット語も0点だってのに、勉強もしないでケサル王物語を読みふけってるのか。もし学校でケサル王物語の授業があれば百点満点なんだろうがな!」
こう叱られた後、悪童は猫にぐちをこぼします。ケサル王が教養じゃないなら、赤い字で書かれた点数が教養なのか、と。
頁177
タブサンは、壺からあふれ出てくるみたいにいくらでもケサル王の物語を語ってくれた。中でもぼくが好きなのは「モン国とリン国の決戦の巻」だった。特に一脚鬼の白いテウランがぼくのお気に入りのキャラクターだ。
よかったですね。この話のねこは、夏目漱石のように酔生夢死な溺死でもなく、最近読んだベンガル語小説のバラモン寡婦の飼い猫のように、高利貸しにドアにはさまれて絶命するわけでもなく、宇宙で死んだライカ犬のようでもなく、です。オザケンのこねこちゃんの歌でも貼ろうかと思いましたが、やめます。以上
【後報】
私が打ち込んだ『チベット幻想奇譚』の、チベット文字がいちぶ違ってるとご教示頂きましたので、つつしんで訂正します。まだほかにもあるんだろうなあ。
✖: བོད་ཀྱི༌འདྲེ༌སྒུང༌ངོ༌མཚར༌གཏམ༌ཚོགས།
○: བོད་ཀྱི༌འདྲེ༌སྒྲུང༌ངོ༌མཚར༌གཏམ༌ཚོགས།
トッホッホ。(2022/11/16)