装丁 成原亜美(成原デザイン事務所) カバー写真 Chongtian/EyeEm/gettyimages
よっつめの話。
帯裏 これ以上のことはない、というか、トレッキングでもヒッチハイクの途中でもいいので、牧民の暮らしをかいま見たことがあったり、山の夕暮れどきに心細く物寂しくなったことを、思い出せれば御の字な小品。映画と小説の「タルロ」*1*2でも思いましたが、今でもチベットって、狼が牧畜のじゅうような脅威のひとつなんですね。その名前を口にしてはいけない、忌語(いみご)にまでなってるとは知らなんだ。てっきりもう、毛皮目当ての乱獲で頭数激減の野生動物にオオカミも入ってるとばかり。そんで、冬の雪害で家畜が凍死するだけが怖いのかと思ってました。ちがった。
『モチモチの木』はじいさまが腹痛で悶え苦しんでるので、医者を呼びに麓の村まで走りますが、この話は、投石で鍋に穴が開いてしまい、寒風ふきすさぶ夜をしのぐにも湯も沸かせなくなったので、少年が代わりの鍋を取りにふもとまで独行します。なんで親が行かないのかというと、羊の群れを狼から守らねばならないので、離れられない。
チベット料理・テントゥク | 大谷大学 文学部 国際文化学科
鍋があるとテントゥクが作れるという、そのテントゥクの、東京のチベットレストランの写真は下記。
サラダとモモのセット。
しろごはんとモモのセット。
頁87
「ケサル王〔チベットの英雄叙事詩ケサル王物語の主人公〕は十三歳で競馬に勝って、センチャム・ドゥクモを妃に迎えてリン国の王になったんだ。お前ももう子どもじゃない」父さんはぼくを諭した。
ケサル王はそうかもしれないけど、ぼくはまだ子どもだ。(以下略)
この話は現代が舞台ですので、山の夜間照明として懐中電灯が出ます。また、山からふもとの明かりが見えるくらいの距離の牧地なようで、里の村で映画上映なんかしてると、ニューシネマパラダイスじゃないですが、村の広場かなんかで白い布かけて屋外上映してるその音が、山の中腹まで聞こえてきます。四谷怪談なんか上映してたら、上映前のお祓いの音も聞こえてくることでしょう(四谷怪談の、チベットでの上映記録はありません。ソース:私の出まかせ)ふっと、麻井宇介『酒書彷徨』で紹介されてたので読んだ、『牧夫フランチェスコの一日―イタリア中部山村生活誌』 (NHKブックス)(平凡社ライブラリー)*3を思い出しました。
イタリアの山村。の観光用の写真。クリスマス。イタリアにもチベット難民がいるのはむべなるかなという。
オオカミの忌語はカタムです。「口を縛り上げる」という意味だとか。
頁91
「弓矢でカタムを殺せるの?」ぼくは不服に思って訊いた。
「もちろん殺せるさ」父さんは眉間に皺を寄せると、自信たっぷりに言った。「リン国のケサル王は若くても弓矢で敵をたくさん殺したんだぞ」
ケサルにはちゃんと触れるが、粘着には触れない。それでいいんだと思います。
トレッキングでもヒッチハイクの途中でもいいので、牧民の暮らしをかいま見たことがあったり、山の夕暮れどきに心細く物寂しくなったことを、思い出せれば御の字な小品を、チベット人がチベット語でチベット人読者に向けて発信することに意義がある時代、になったということだと解釈しました。以上