装丁 成原亜美(成原デザイン事務所) カバー写真 Chongtian/EyeEm/gettyimages
いつつめの話。
帯裏 これ以上のことはないというか、私は、『のたり松太郎』の最初の部分を思い出しました。長崎の炭鉱村で、落第に落第を重ねたので、中学生でありながら社会人のよろしき楽しみたしなみはすべて身に付けちゃってる巨漢ぶりが、そっくり。チベットに相撲部屋があれば、センチェンジャはそこに入門させられてたであろう。
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と、第一話のみ書いてあるので見ました。アニメがあるとは知りませんでした。大丈夫かなあ、の、大丈夫なつくりになってるので、まことちゃんとかドン・ドラキュラのように、速攻放映中止お蔵入りになる場面はありません。ようするに原作に忠実すぎない。
マンガの電子版は紀伊国屋にありまして、これも無料お試し版があります。キノッピィ、苦戦してるんだな。▼第3話/酒乱色乱馬鹿二人▼第4話/円満中退 もう分かった、と言いそうになる各話タイトル。
●あらすじ/落第を繰り返し、19歳ながら中学校に通う松太郎。
ちば漫画の主人公は、スポーツに出会って才能を開花させてなかったら、すべて破滅型の人生を辿る、とは漫画評論家の一致した意見ですが、まさかチベットにもそんな略 落合の息子はそうはならな以下略 ともかく、のたり松太郎も第一回くらいで気ままに年下の同級生の胸を揉んでるので、『川のほとりの一本の木』を読んだ時、これはのたり松太郎だなあ、と即座に思ったです。
「センチェンジャは自分がリン国のケサル王だという設定でこのクラスの生徒全員を支配下に置いていた」(頁104)とか「センチェン王がセンチャム・ドゥクモをめとったのは十三歳のときだから、クラスの女子はみなわが妃であり、王の望み通りにせよとうそぶく」(頁100)とか「十三歳にはとても見えず、ぱっと見たところ十八歳か十九歳の青年のようだった。背は高く、恰幅もよく、顔は大きく口髭もぱらぱらと生えていた」(頁100)とか「ラトゥクは初めてセンチェンジャを見たとき、生徒の保護者かなと思った」(頁100)とか、センチェンジャの松太郎ぶりはとどまるところを知らず、そして前述したように、チベットに相撲部屋はないのです。
たぶんチベットや中国の読者はすぐに、センチェンジャは〈黑孩子〉ヘイハイズで、届け出後に死亡した年少の子の戸口をそのまま使ってるので、実年齢と戸口年齢のアンマッチが生じてるのだろうと推測するでしょう。そういう暗黙知は、作者もあえて説明はしてません。中華人民共和国公民的有関法律の実行がそんなアギジャビヨ、まさかやー。
乳幼児の死亡率が高い社会という前提ですが、戦前の日本でも、そういうことはままあったそうで、土葬時代なので、だいたい死亡時に届け出出しそびれて、そのまま埋葬だけしてたところに、次のさずかりものの子をあてはめた例が多かったんじゃいかと考えてます。そのケースだと、登録年齢に比べて実年齢が下なので、同級生のほうがより発育していて大きいので、当該児童のほうがいじめられる場合が多かったかと。この話のように、年下でうまいこと空いた戸口が見つかるケースはめずらしいと思います。
本人が戸口のない黒孩子なのは、産児制限を越えての○人目の子どもだったからか、あるいは婚姻届けを出してない男女のあいだの子どもだったかの、どちらかでしょう。ここはそんな難しくない。本人がそれを気にしているのは、クラスで最初にセンチェンジャの暴力の洗礼を浴びるのが、彼の発育ぶりを笑った同級生であることからも分かります。
寄宿制の初中なので、上級生も当然いるわけですが、上級生ったって、15歳くらいで、19歳前後よりは年下なので、かなわないだろうなと。ただ、戸口のなかったガキが年下の戸口に収まったような話って、狭いムラ社会ですし、だいたい近在の村には知れ渡ってるはずです。学校の近くに住む青年たちで、妹弟がセンチェンジャの同級生にいるような者たちが、いいトシこいて厨房いじめてんじゃねえぞコラ、みたく、囲みに来たりしないのかな、と、ちょっと思いました。同級生同士で終わらないじゃないですか、こういうのって。上の上の上と、エスカレーションして、釣り合いとれるようなのがひとこと言いに出て来ると思う。
そういうふうなヤソキ―漫画的展開にするとまとまらないので、枝葉を落としたとも考えられます。
この話もテウランという、チベットファンタジー小説集*1に出て来る小鬼みたいなのが掛け合いのセリフの中に出てきます。この話では、雑魚キャラ的扱いです。おそれられてない。
妖怪ウォッチって雑魚妖怪ほど仲間にならないですよねw - Yahoo!知恵袋
そんな話です。訳者の方が訳してる時の、心中はいかばかりでしたでしょうか。ケサルの威を借る小物、センチェンジャに煮えくり返る思いで、ラストはスカッとしたかもしれません。勝手に想像しました。以上