装画 富安健一郎 装幀:早川書房デザイン室
そろそろ感想を書き始めようかと思いました。この短編集は、劉サンによってセレクトされた、デビュー作から近作までの十三作がクロニクル的に横断閲覧出来るお得な本だということです。すでにエスエフマガジン等で既訳のものは、大森望サンの責任で今回全面改稿してるとか。
英題は上から。"jingge"は《科幻世界》1996年6月号掲載作。中国語ではふつうクジラは〈鲸鱼〉"jingyu"と書いて、複音節でないとおさまりが悪い彼らの気質をフォローしてるのですが、これは文語だからか、クジラひともじです。
私は最初これを読んで、アン・リーの映画「ライフ・オブ・パイ」を想起したのですが(ただし私は未見。中国で乱造されたパロディ画像しか見てません)劉サンがタイムマシンでも持ってないと、2013年日本公開のこの映画は執筆前に見れないわけで、しかも私はアン・リー監督をなぜか女性と思い込んでいて(台湾作家李昂liangの仲間だと思ってた)男性なのでとても驚きました。
他の作品でもそうなのですが、途中までの劉サンの作品には、濃厚な欧米SFの視覚作品の影響が感じられ、なぜそんなものが感じられるか推理してみるに、倒版VCDがナンボでも市場に出回りまくっていて、山西と河北の省境というドド田舎の発電所勤めでヒマがなんぼでもあって、VCDでも見るしかない環境が、劉ツーシンという人間を育てたのではないか、と。どないだ。こないだ読んだ『武漢ロックダウン日記』*1でも、同性愛者の著者の日記に、ぽんと『銀河ヒッチハイク』が出てきたりしました。彼我の情報量やタイムラグは、我々が思うよりはるかに小さい、というか、党のアレ以外、たぶん、差分はない、と思います。まあでもそのたった一つの違いが、すごく暗くて深い河になったりならなかったりで。
ネタバレでいうと、なんで鯨の口中に潜伏すると、ニュートリノ探知機を逃れることが出来るのか、その仕組みが分かりません。生体内なら反応しないなら、運び屋がムードンコに包んで飲み込んで輸送する昔ながらのやりかたでいいでしょうに。また、カラーがついてない描き方が捕鯨に対してされてますが、中国がこの面において、対日牽制の一環として、捕鯨といえば日本で、日本を叩く側に回っていることは知られた話で、当然国内でもそういう報道は十二分にされているので、それが作品にほんとに反映されてないのか、ちょっと半信半疑です。チャウシンチーだって知日だが親日でもないので、日本で公開された最新作《美人鱼》*2でも、イルカ殺戮マシーンの紹介場面は、邦人のチャンネーが、わざわざ英語を交えて「ゲームオーヴァー♪」とか言いながらやってました。
ただ、日本の国際捕鯨委員会脱退は最近ですが、そもそも中国の妨害で国際捕鯨委員会に加わる事すら出来ない台湾がくじらバンスカとって、捕獲量制限が需要に追い付かなかった頃の大阪などに輸出していたことなどの、ウラ話まで劉サンが知っていて、そこまで踏まえて何か描いていたが、諸般の事情により我々が読めるのはここまでというなら、それはそれで諒とします。まあでも、1996年なら、まだそんなにチビしくなかっただろうし、そんなことはないんじゃいかな。
日本ではSFマガジン2020年6月号に泊功訳、立原透耶解説で掲載。以上
【後報】
中華圏&イルカの文章を書いたせいか、イルカポリスという台湾のバンドがつべに出て来るようになりました。いいバンドだと思いますが、字幕がほし。
(2022/11/24)