装画 富安健一郎 装幀:早川書房デザイン室
収録十三作品のうち、ここのつめ。ここと、この前の作品のあいだを本短編集のターニング・ポイントとしたいんですが、まあ異論はあるだろうな。この作品からあとの短編は、すべて中国人と中国のものがたりです。もう〈老外〉の物語はオワタ。これより前の収録作品にも、『地火』のようなメインランド前時代産業従事者の悲哀を描いたものや、『詩雲』のように銀河の果ての未来の華裔(半分食用、半分召使)を描いたものがあるのですが、それ以外は〈大鼻子〉サンたちが登場人物で、後年中華街探偵*1*2*3を見て、私が舌を捲いた、この手があったか、海外を舞台にしてしまえば、いくらそこの警察や国家を笑いものにしても、中国じゃないから大丈夫戦法は、とっくに劉サンが自家薬籠中のものとしていたテクニックだったんだなあと、感心してたのですが、この短編集においては、その時代はオワタ。
ただ、2003年12月12日脱稿で、クーホワンシージエ2004年3月号掲載と、その前の『栄光と夢』同誌2003年8月号掲載からそんなに間が空いてないこと(次の作品はここから五年空きます)次の作品からは文字数の分量が激減すること(この作品は本短編集最後の起承転結作品かも)などから、本作と次の作品のあいだがターニングポイントと考えることも可能です。
この作品は、訳者あとがきで、
「地火」や「栄光と夢」と同じ著者の作品とは思えません。
と、百戦錬磨の大森のぞむーセンセイに「だ・である」調でなく「です・ます」調で嘆息させるくらい、ポジティヴで、はっぴーな作品です。ダーシーベイ(大西北)を舞台に、親子二代に渡る乾燥地緑化への取り組みを、これ以上ないくらい、かろやかに描いている。といっても、冒頭出だしでイキナリ、幼稚園年長組だったユエンユエンとバーバの体感出来る距離で、砂漠緑化作戦のヒコーキパイロットだったマーマが墜落死という衝撃のオープニングなので、作者の地は変わっていないんじゃとも、じゅうぶん思えます。西洋人是乐观主义者,东洋人却是悲观主义者。舞いあがれ!
この小説は、各チャプターに章題をつけてはいませんが、やはりチャプターは分かれていて、ぜんぶで九章あります。第四章の末尾は、中学生のユエンユエンとバーバ(爸爸)の会話。〈爹〉デェーとの会話じゃないんデスヨ。
頁283 4
「パパも若いころは、とらえどころのない夢を追いかけていたよ。母さんといっしょに上海からここに来て、大西北(中国の総面積の三分の二を占める西北部の通称)こそ自分の人生をかけるべき場所だと本気で思った。(略)わたしたちの世代が青春をかけ、人生までかけた都市が、まさかシャボン玉にすぎなかったとは……」
(略)
「(略)……パパたちが若かりしころに血潮をたぎらせた西部大開発は、いまや悪夢の大開発になってしまった。(略)」
「やったあ! すごいじゃん!」円ユエン円ユエンは喜びの声をあげた。「じゃあ、さっさとバイバイしようよ! こんななんにもない退屈な場所、ほんとに大きらい! 移住って、まったく新しいところに引っ越して、まったく新しい生活を始めるんでしょ。すっごくステキなことじゃない。パパ!」
ユエンユエンが小学生のとき、清明節にマーマの墓参りに連れて行き、墓前で、マーマのように責任感と使命感をもち、マーマのように人生の大きな目標をもちなさい*4と誓わせた娘の現状に、バーバはガックリと肩を落とし、きゅうに老け込みます。
西部大開発を「悪夢の大開発」なーんて言い切っちゃってるよ! と私も興奮したんですが、原文では《恶梦般的西部大开矿》〈开矿〉“kaikuang”という「開発」とは別の単語でした。さすがに直球はマズいと思ったのか。不过,〈开矿〉此单词有点儿不恰当,原来是不是〈开荒〉"kaihuang"?
邦訳の全責任は大森望サンみたい(たぶん)ですが、重慶出版集団のチェックがなかったとも思えず、頁299には、「南シナ海」と表記されるべき地名が「南中国海」と表記されています。原文が「南中国海」なわけでなく、原文は〈南海〉"nanhai"ですので、日方の忖度なのか中方のチェックなのか。そんかわし、バーターで「悪夢の西部大開発」なる単語をブチこんだった、とかの翻訳を巡るバトルストーリーズもあったらおもろいなあと妄想を楽しみました。頁299は、日本の森林水資源を中国人が買い漁ってる、存亡の危機でヤンス的しとが、日本ばかりか南シナ海とベンガル湾の水も盗もうと思てけつかるのんか、イテコマース!!と決起するかもしれない描写、と言うと言いすぎです。こんなエスエフの描写で憤るたんじゅんな人はまさか、いません。みんなそんなヒマではない。
下記は、円ユエン円ユエンが、〈高考〉大学入試の理科(原文ママ)で、全省二位という、妙にリアルな数字の成績をとったので、バーバがプレゼントになんでもほしいものを言いなさいと言って、彼女が答えたもの。
まず、この製品の透明せっけん五個。《雕牌》は"diaopai"なのですが、ルビは「ワシじるし」で、なんだよこのルビ、ふた昔前くらいの留学生か駐在の隠語かよと思いました。
池上永一『海神の島』で知った、沖縄ではコンデンスミルクのことを、イーグルブランドというネスレに買収されたブランド製品で一般化してるので「ワシミルク」と呼ぶ、という豆知識みたいだと思いました。
『海神(わだつみ)の島』"Wadatsumi no Shina."(A Sea God's Island.) Ikegami Eiichi 読了 - Stantsiya_Iriya
次が、下の洗濯洗剤。
〈汰渍〉"tai4zi4"というアメリカ資本の、"it is the highest-selling detergent brand in the world, with an estimated 14.3 percent of the global market."(世界で最も売れている洗剤ブランドで、市場の14.3%の売上を占めている)会社の洗濯用洗剤十袋。これは邦訳では「タイド」と、英文からそのブランド名をカタカナにして書かれています。まあ漢字で書かれても分かりませんしね。
それから、白猫じるしの、台所洗剤ニ十本。ルビは「パイマオ」で、もちろんピンインは"baimao"有気音無気音は清音濁音にあらずルール、朝日新聞ルールのルビ。これらと、別注文の化学薬品をあわせて、工具も自作し、北京と地元テレビ局からマスコミ関係者を、上海からギネスブックレコーズの立ち合い者を呼んで、世界新記録の巨大シャボン玉作成を成功させます。
その後、彼女は中国最難関の理工系大学に進学してナノテクノロジーを学び、新技術を開発してそれをもとに起業し、稼いだ資金をかたっぱしからつぎ込んで巨大なシャボン玉、中国の地方都市全体をすっぽり覆うほどの巨大なシャボン玉を作成、住民をパニックに陥れます。そして。世界を。绿化。
要するにこの子は親世代の悲壮感使命感とはひたすら無縁な、趣味のシャボン玉という「自分の人生」を生きる子なんですね。それを実現する天才的頭脳と、金儲けの才覚を併せ持っている。
頁277 1
(略)
円ユエン円ユエンは生まれたときから冴えない表情だった。泣くことさえ、しかたなくこなしている仕事のようで、この世界にがっかりしていることがありありと見てとれた。
はじめてシャボン玉を見るまでは。
圆圆出生后一直是一副无精打彩的样子,连哭啼都像是在应付差事,显然这个世界让她很失望。
直到她第一次看到肥皂泡。
谁也不愿应付差事。
誰だって職務をいい加減にすることを願わない. - 白水社 中国語辞典
村田紗耶香だったらどういうふうに円ユエン円ユエンを描くだろうと思いました。
下記は砂漠化を食い止められず、放棄が真剣に検討される彼らの砂上の楼閣都市の、水利問題を解決するための資金提供をバーバが娘に頼み込んで、断られる場面。巨大シャボン玉建造に資金一億元を投入したいので、都市水資源保全にはまわせないと断ります。邦訳でも「身勝手すぎる」とか「自分の人生を生きたい」とか「滅私奉公」とか「ごめん。パパ」とかの単語がありますが、おカタい大陸中国語のラレツで読むと、臨場感もひとしおです。
6
“(略)你……也太自私了!”
“我在过自己的生活,无私奉献并不一定能推动历史,您的那座城市就是证明!”
直到圆圆把车开上长安街,父女俩都没有再说话。
“对不起,爸爸。”圆圆轻声说。
「身勝手」より〈太自私〉のほうがアレなので数倍キツいです。ウースーフォンシェン、「無私の奉献」のほうが「私」の意味合いが国家公民的にアレなので、「滅私奉公」なんて商家に対する丁稚ことばより格段に重いです。そんで、キツいことばを父親に浴びせた後、ちいさな声でドゥイブチーと謝るその"對不起"が、「ゴメン」ほど軽々しく発せられないこと(謝ったら負け社会)は誰もがよくご承知のことですから、この場面は、ホント、原文で読むとひとしおでした。いい子だけど親からすると理解出来ない娘。
この後、魔女宅の飛行船もかくやのとっけつけたようなスピルバーグちっくなパニックシーンを経て、メデタシメデタシでヨカッタデスネの、趣味に生きるおひとり様マンセー、はっぴーエンディングになります。銀の匙をくわえて生まれてくるのは日本人ですが、あちらも、生まれながらに女物ばかり選んでしまう棟梁総領の甚六の《红楼梦》がいるわけで、上のふたつの描写は、強く印象に残っています。以上
この人のピンインカタカナ名は、「ツ」と「シ」の書きわけが出来てない人には鬼門。
*1:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*2:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*3:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*4:原文は、“孩子啊,你要做一个妈妈那样的人,像她那样有责任感和使命感,像她那样有一个远大的人生目标!” 娘でも、ハイズと語りかけるんですね。そういうもんなのかな。