かなり朦朧と書いた感想をほぼ載せます。
唐人街探偵 NEW YORK MISSION - Wikipedia
最初は、《粉红色的回忆》がピッタリ来るかなと思ったのですが、ウィキペディア日本語版に、この映画では誰が歌ってるのか公開されてないと書いてありましたし、聴いてると、コレかなと思ったので、テイラー・スウィフトのウェルカムトゥニューヨークを置きます。なんしか、《北京人在纽约》だと思うんですよ、監督がイチバン影響を受けたニューヨーク絡みの作品というと。世代的にも、三作目にジョー山中の角川映画版「人間の証明」主題歌を持ってきたり、一杯のかけそばを持ってくるセンスからプロファイリングするに、ぜったい姜文の「ニューヨークの北京人」ですよ、間違いない。
それだから、この映画見るより、もし配信があれば、《北京人在纽约》ぜんぶ見る方が、ぜったいためになります。ほんとです。養育権をめぐる裁判とか、シビれますよ、まじめに。エンディングで、新しく来た右も左も分からない同胞を、自分がされたように、カタにはめて終わる場面もエッジが効いててよかった。この映画に出てくる不法移民の宋義は、うわべはアタリはいいけれど何を考えてるか分からない薄気味悪さがあって、本心を語らないタイプの、中国人に嫌われる中国人だと思うのですが、カタにはめられた移民というふうにだけ見ると、腰の落ち着かない転職歴までは説明出来ないので、三作目にも出てくると聞き、なるほどと思いました。
事前のレビューで、三作目と配給会社が異なり、こっちはミニシアター系の配給となったと知りました。しかし、配給会社が一攫千金を夢見たアホだったのか、配給会社につかませた連中が巧妙だったのか、三作目だってアタらなかったのに、二作目がアタるわけないだろうという。かけるはめになったミニシアターがあわれやわ。
こんな自虐ポスター貼るまでだもんな~。この映画の前の別の映画見た高校生が、「この映画館終わってるわ」と笑いながら帰っていったのが、かなしい。チャウシェスク時代から1㍉も変わってないルーマニアを描いた「コレクティブ 国家の嘘」を厚木はバンバンかけてるわけですがそれはむろん反共宣伝ではなくて、という状況で、この映画も、アンケートが置いてあって、これやったら配信したほうが見たい人だけ見れてよくね? という意見がどれだけ力強いか意見聞かしてほし、みたいな感じでした。
ステマではなく実際に見た感想だと思うのですが、金がかかってない映画というレビューが複数あり、しかし百度によると、タイムズスクウェアで馬車がパトカー集団に追走される場面は、300万米ドルかかってるそうです。邦貨で三億円。エンディングのメイキングを見ると、合成用の緑スクリーンを貼ってたりするので、どこまで実際の撮影か分かりませんが、タイムズスクウェア、五番街、マジソンスクウェアガーデンが自在に出てくるので(ハドソン川の橋はあんまし出ない)同じスタッフが渋谷スクランブル交差点撮影に固執したのも分かる気がします。次作はロンドンで決まってるのでツマラないですが、ロシアにしてクレムリン、韓国にしてチョンワデでロケすればよかったかなと。それだとホワイトハウスと首相官邸でロケせんければならんから無理か。中南海。
三作目を見た時も、監督は、中国国内ではとてもできない設定を、海外をいいことにやり倒してると思ったですが、警察をコケにする展開だけでなく、ヘルスエンジェルスの同性愛者にお稚児さんとしてかわいがられるノンケ、の場面が異様にリアルで、彭帅,你看吧,男人也十分辛苦,你不是一个人,我们会跟你走的と言ってるわけではないと思います。そんなタイムトラベラーには監督は見えません。二作目でこれだと、三作目は二丁目出したいだろうなと思いましたが、確か三作目はLGBTパレードになっていて、二作目のエンディングで美人のオクサンとおちゃめな出演した監督は、その後、オクサンとは離婚したそうで、監督がどんどん意識を高めて変わっていったのか、安定きぼんの女優のオクサンがついていけなくなったのか、などなど考え、感慨ぶかいものがありました。中国で創作するということは、いかにウラをかくかということ。どこにどう隠喩を埋め込むか、その胆力とスキルが試される。
話を戻すと、アメリカを舞台にした華人監督の同性愛映画としては、アン・リーが先行すること幾星霜、ウェディング・バンケットからブロ-バック・マウンテンまでやってしまっているので、監督としては、本国を舞台にした場合出来ない何かをやりたいにしても、真似は出来ないというところかと。
この映画のトリックが台湾映画に酷似してるとの指摘が、ウィキペディアにもババンと書いてありますが、私はその映画見てないので、なんとも。三作目は華文ミステリーとしていいんじゃ内科医外科医でしたが、二作目は推理というより伝奇。
この映画はだから、ペンキが空を飛び、馬車に乗るあたりからでないとおもしろくないです。それまではガマンしてみる感じ。本来肩に力を入れず、ガマンしてまで見なくてもいい映画なので、その意味で、中国で興行的に成功しても、別に「じゃあ見るか」と思わなくてもいいかなと。王寶强のセリフにある1986年の西遊記はもちろん、チャウ・シンチーの大西遊ですから、B&Bの島田洋八みたいな人が頭結んだデブとやる、それの縮小再生版のギャグをこの映画で見るのなら、チャウ・シンチー見ればそれでいい。アテナ・チョウの後編はツマラないのですが、カレン・モクの前編はほんとに面白いです。香港人がこんなに天丼する映画もあまりない気がする。
王寶强のセリフは、よく分かりませんが、たとえば廁所をツァースォといわず、チャーシュオと言ったりする、例の、zhi,chi,shi,riは満州族の訛りで、漢族一般大衆はそんなに捲舌音せえへんねん、の逆で、zhichishiriをzcsyではっちょんしてしまう人をからかってると、その人は漢族ネイティヴのはずなのに、雨傘をユィーシャンと言ったりする、アレだろうと思いました。劉昊然は、クライマスターの順位を河南省二位と言われるくらいだから、河南省の人間なんだろうと。〈今天〉を四声一声四声軽声で発音する箇所があります。黒人連中が主食を猪食と訛るのを指摘してるだけではない映画。#ジューシー。肖央のソツのないアルアル北京語が、なんか浮いてるというか、北京語だけに《北京人在紐約》
そういえば、香港人のハッカー少女「KIKO」、北京語にない「キ」の発音(山東方言などにはある)だけが見どころだと思ったですが、どうでしょう。
米国の銃社会を風刺したとおぼしき場面が多数ありますが、そこを見ていてぼんやり、当の米国人が米国映画ですぐ「これは映画だから、現実にこんなことないから、ウソだから」という場面は、車のドアをロックせずおりたり、キー解除せず車に乗るシーンだったなあと、思い出しました。「鍵かけなかったら絶対車上荒らしに遭うのに、映画は尺をちぢめたいからその動作を省略する様式美で云々」と、米国人がうれしそうに話すのを、そんなことより英会話の授業しろよ、と思いながら聞いたことのある非英語圏の人間は相当数いると思います。
《上海人在東京》は、前にも書いたか知りませんが、当時知り合いだった台湾人の人がロケ地のアテンドしたので、工事現場でケガして労災下りない場面(あるんですよ日本を舞台にした中国のテレビドラマでそういう場面が)(そのせいか日中合作ドラマなのに、日本では深夜アリバイ的にちょろっと流しただけで終わったと、ウィキペディアで読んだ記憶があります)なんか、見たことある場所でした。その人はそれを機に転職したと、杉田玄白の子孫から聞きましたが、もう私はそのあたりの人たちとは、誰とも音信ないです。この映画お金かかってないという人は、《上海人在东京》こそ金かかってないと知るべき。姜文も出ないし。
予告動画を貼ろうとしたのですが、貼れません。*1
トランプそっくりさんに扮したNY市警のエライさんが、黑社会構成員の中国人を全員釈放して、主人公たちだけ拘束する場面で、中国系の票もバカに出来ないからと理由を述べている場面があります。一見コワモテに見えて実は中国にユルいトラソプじいじの本質を、扶桑のくにのネトウヨより中国人の知識分子のほうがよく見抜いているおもしろさ。流氓が票入れるわけないだろうに。でもロビイストとしては無視出来ないのかな。
麗羅の小説に、『死者の棺を揺り動かすな』《不要摇晃死者的棺材》というのがありますが、この映画もそうかなあと。ヒットしてない映画の前作をわざわざ公開しなくても。ほんとそれだけ。見れてよかった人のためにほかが蒙った赤字なんか気にしない層は見ないと思います。小屋でかけるなら、のむコレとか、台湾以外の漢族巨匠傑作選とか、そういうワクでやったほうがよかったと思います。日本では、ウォー・ウルフものむコレの枠の中での公開だったそうですしね。以上
*1:貼れました。2021/12/6)