考えたら私、このしとの映画、「山河ノスタルジア」も「罪の手ざわり」も見てないんですよね。この映画も、ポスター見ると吉行和子というか三田佳子と秋田豊みたいなふたりで、でも予告を見るとヘンなオカッパ頭の女性。
帰れない二人
激動の21世紀中国。
北京五輪開催、三峡ダム完成、経済の急成長…
変わりゆく17年の月日の中で、変わらぬ想いを抱えた女と男がすれ違う。
移ろいゆく景色、街、心。
それでも、愛し続ける。
二時間二十分だから、やや長いかなと。予告の漢語が聞き取れなくてがっくりしてますし。
けっきょくこれも下高井戸でつかまえました。本厚木でも少し前にやったんですけど、そこでは見れず、下高井戸まで来ました。
日本人のプロデューサーなんだ、へーと思って帰宅後検索すると、ジャンタイ、プラットフォームや青いイナズマもこの人のプロデュースでした。ホウシャオシエン映画なんかも手がけてるそうで。パンフに載ってる監督写真が安藤政信の撮影なのですが、その辺の仕事にもこの人が関わってるのだろうかと推理しました。映画の監修を藤井省三にさしてるあたりもこの人のチカラなのかも。でも藤井省三北東は青いイナズマなんかの時からジャジャンクー絶賛してたし。
預告だとそれほど感じなかったのですが、圧倒的にイントネーションが標準北京語ではないです。山西方言と三峡ダムあたりの四川だか湖北だかの方言、と書いてあるのを読むだけでは、ただ単にフーンで終わってしまう。今の中国は、方言ドラマの製作に神経質で、オクラ入りが多いと聞くので、その意味で挑戦したなと。しかし、イントネーションが違うだけでネイティヴならたいがい分かる北方方言だと思うのですが、それでも地方の異なる聴衆が聞き取れずクレームするのを危惧したのか、違う地方出身の役者さんが当該方言喋るのに苦戦したのか、理由は分からねど、説明的なセリフや、分かりやす過ぎる言い回しが多用されていた気がします(と言っても私にはロクに聞き取れませんが)昔台湾の人と中国映画観た時、なんで大陸の映画はこんなセリフが竹を割ったような質朴なんだろう、と漏らしていて、のちに台湾を旅行した時、そりゃー人口二千万の島で、ツーといえばカーの台湾と、とにかく広くて人が多いので、ことばなんか通じなくて当たり前のメインランド・チャイナ人口十三億とでは、おのずと交通工具としての言語の性格も変容せざるを得ないですな、と理解しました。
ウルムチ行きの列車でさべりまくる徐崢という人のセリフがいちばん分かりやすく、しかしワイシンレンダジーディー(外星人的基地)やフェイディエ(飛碟、フライングソーサーの意訳)が分かるのに、そこに嘴突っ込む他の乗客の「それって私営なのか国営なのか」が、スーイン(私営)ともグオイン(國營)とも聞こえないので、そうなるともうお手上げの私の語学力は、相当に偏ってると痛感しました。UFOは私も見たことありますが、どう考えても厚木基地から飛んだ飛行機だと思います。
「カラマイ」と字幕で書かれる新疆の油田を、私は「クルマーイー」と読んでました。ここの技師さんと、春節前にウルムチから成都に向かう超過密列車でお話ししたことがあるのですが、私のライフプランのない人生に、「おまいは大物だよ(大器晩成)」と呆れて言ってくれて、しかし小物のまま終わるわけなので、ホメ殺されたと今では分かります。
エンドロールで馮小鋼と刁亦男(ちょうまたおいなん、ディアオ・イーナン)の名前があったので、えーと思って、パンフで役名を確認しました。また、映画に出てくる歌が知りたくて、パンフを見ると、ぜんぶ載ってたので、パンフ買いました。パンフ、日本の印刷物なのに、原題を「江湖儿女」と書いていて、何故「児」を使わないのか不思議です。
大陸人が広東語歌曲に夢中だったのは、もう少し前の時期だったようにも思うのですが、どないだ。これが男たちのバンカの歌なので、劇中ビデオ映画で皆が鑑賞する場面もそれかと思いきや、そっちは「愛と復讐の挽歌」テイラー・ウォン監督だそうで、微妙にズラしたと思いました。
ジャジャンクー監督は、どうもこういう、過去の再構築というか、模造記憶づくりをするクセがあるのではないかと私はうたぐっていて、青のイナズマだかプラットフォームでも、ガソリン配給制の時代の中国にカミナリ族がいるのかよとか、天安門広場の若者だって、ジーパン穿いてれば御の字なのに、パンタロンとかベルボトム(自作)までは凝りすぎだろう、イカしたファッションすぎるとか見ながら思ったです。本作、ジャンフーアルニューでも、2001年のディスコで「Y.M.C.A.」でみんな踊ってるのですが、そうだっけ?と思ってみたり。「CHA-CHA-CHA」もなあ。数年前、NHKラジオで、ここ最近熟年層で盛り上がるホテル開催などの邦楽ディスコティックで、よくかかってる曲は実はこういうの、という番組を聞いてフーンと思ったけど忘れたなあ、と思いました。
上海で、ごく普通の商店にもミラーボールが回ってた時代とか、日本のワンレンボディコンとまた違った進化を遂げて、名古屋でもやらないトサカ頭の連続になった中国女性たちとか、そういうのはこの映画には出ません。時代が違うからか。シースルーの服は、前作へのオマージュなんだとか。
"旭日升"のポスターはよかったです。韓国映画「ブラック・ヴィーナス」の北京のタクシーはインチキですが、この映画のタクシーは事実に即してると思います。キロ1.2元のマークが素晴らしい。"别墅"をビエクンと間違えて読んでいたので、この映画でビエシュゥビエシュゥと言っていたのが、別荘の意味でいいのかなあと分からず、今検索して自分が間違っていることに気づきました。"垦丁"と混同したかなあ。
ひとむかし前、やったら炭鉱の落盤事故などが中国ニュースで流れて来たのを思い出しますが、そうした事態を直接描いてはいません。描けないか。最後の監視カメラの画像も、意味深なのですが、別に風刺してるわけでもなさそうで。新疆は、夜間に到着して夜間に滞在でカット、場面切換といういさぎよさで、何も映りません。乗換駅にたむろする白い帽子の人々は、白い帽子なので回族です。ウイグルだったら緑の帽子なので、よく考えると、違う。
河西廻廊を走る列車のカットは少しあって、私は、中国鉄道はどうでもいいので、イランのテヘランとタブリーズを結ぶ鉄道に乗ってみたかった(藤原新也の写真集にはでてくる)です。ウルムチ行きの列車がこの辺に来ると、かつて、ビールでない清涼飲料もビール瓶に入れて売ってるのがあって、例の、ライターで栓を抜く技や、あまりこれは知られてないかもしれませんが、壜を割れないように線路わきに落とす方法(割れなければ屑拾いが拾って小銭に出来る)を会得出来なかったこと、などを思い出します。この映画より十年一昔の車窓。
ドローンがたくさん使われていて、効果的だったと思います。葬式で踊る場面も、死者への供養というか、台湾でよく聞く葬式ストリップの共産党スタイルとして考えればいいかと。黒社会のボスが、族に襲われる場面はありえないと思います。だいたい中国に族がいるという認識がない。
BGMのひとつと言ってよいかと思う、ジョンヤングアンボディエンシータイも検索しました。ユーチューブって、ユーチューバーを養ってるだけじゃなく、中国の番組の場合、こんな注釈が出るようになってるんですね。陳士駿の意地なのか。
ヒロインのモデルになった人物は、日本で余生を過ごしてるわけなのに、日本語版のウィキペディアも、日本での詳細もない(ハズは日本語版があります)あの太いヒールで、野山を散策するのは、本当にやめてほしい。足くじくよ。
悪くはないんでしょうけれど、邦題はもう少しなんとかならなかったのかと。英語タイトルにもなっている、"灰却是干净" (この、ガンジン、は、北京や東北のキレイなはっちょんでするのでなく、スターウォーズの、クワイ・ガンジンと同じイントネーションですると、映画の地方の訛りっぽく聞こえると思うのですが、巧巧も赟哥もキレイな発音でしてました)を活かしてみるとか… そういえば、新疆ツアーの旅行紹介の箇所で、「そうすると、ロプノールとか行くんですか?」と、おそらくヘディンのさまよえる湖の意味でした質問に、「いやいや放射能とかそういう危ない探検ツアーじゃないんで」と答える場面。ここは検閲オッケーなんだと思いました。かつて、西域南道の地下核実験実施とそれに対する海外の非難声明(日本が出してたかは知りません)は一切報道しなかったのに、それこそ時代は変わるものだと。アリバイとアリババって、一字違いです。
以上