「あなたを、想う。」(原題:“念念”)(英題:"MURMUR OF THE HEART")劇場鑑賞予定

あなたを、想う。

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なぜ2015年の映画をいま配給するのか分かりませんが、シネマリンのスタンプカードのため、見ようと思ってます。

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以下後報

【後報】

パンフ買おうと思ったのですが、ぱらぱらめくって、多摩美かどっかにシルヴィア・チャンと蔭山うじが来た時のトークの抜粋を読んで、そんでどっちかの書いた文章(口述?)読んで、まーいいかと思って買いませんでした。眷村が生んだ大女優シルヴィアが執拗に蔭山うじに、「なんで帰らないでずっと台湾にいるの?」「こないだ言ってたのと違いますよね」と責め続ける楽しいトークです。

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「バオバオ」観なかったので、この人の漢語能力分からなくて、したらぱっとこういう動画が出て来たので、國語、台湾訛りの北京語がペラペラデスネ、と思いました。いいなー、うらやましい。

なので、この映画の脚本、相当ほんとにこの人が書いたんだなと。緑島を、「水が本当にきれい」と字幕で表現する場面、"美丽"(うつくしひ)でなく"干净"(清潔、クリーン)と言っていて、それはこの人が亲自写的ということで。

ホーロー語というか、閩南語は、父親のセリフで出てくるだけです。この母親は、何処の人ならと思います。教会の牧師も、彼女には北京語で話しかける。

パンフの、蔭山サンのエッセー読むと、当初は、バーの場面などのプロットだけだったそうで、男女別々のプロットをつなぎあわせ、どうせならきょうだいにしてしまへ、ということでやったら、うまくいったということだそうです。確かに、そこまで多少うつらうつらだったのですが、バーや、地下鉄の、半幻想的な場面ではっと起きました。あのバーの場面は、バーの名前が、如何にも和風な「藤」で、ドアに日本語の「押 ありがとうございました」プレート(百均やホームセンターで売ってるような)がついているあたり、小道具が気をきかしたのか、監督が気をきかしたのか、脚本なのか、考察するのも面白いところです。地下鉄は、礼を言う言わないのタイミングが、常日頃、漢語社会に同化して暮らしながら、蔭山サンがふともやもやしている部分かもと思いました。

緑島の、かつて火焼島だった感触などがこの映画ではよく分からず、母親が國語話者なのはそういう理由なのかしらんと思うくらいで(そして母親が子供に語り聞かせる故事は、西洋チックで、まるで中国の歴史や伝統的な昔話ではない)あと、全然關係ないですが、「念仏」と言うように、「念」には、声に出して読む、音読するという意味もあり、私は日ごろそっちで使ってます。「想念」等の組み合わせ単語にしないと、"念"に、「想う」という意味は出ないかと思っていた。ここは、検索してません。いつか授業で訊いてみよう。

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いまも、いつも、忘れない。 水の中に、記憶が沈み、 こころのささやきに変わる。 台北と台東。美しい光と影の、映像世界。

以上

(2019/11/17)