装画 富安健一郎 装幀:早川書房デザイン室
収録十三作品のうち、五作目。kehuandawang《科幻大王》2001年11月号掲載。日本でSFマガジン2020年8月号に掲載された時の邦題は『クーリエ』ですが、モノを運ぶわけではないので、それで改題したのかな。これも英訳されてないみたいで、しかしまあそんなむつかしい理由ではなさそうで(むつかしい理由をあえて探して、中国はパレスチナ支持だからとか言っても、それはバラモン左翼的価値観で、臓器売買の分野ではイスラエル人は中国の上得意。日本人も上客だそうで、私はショックです)これもハングル訳があって、そっちだと「메시지」(メッセージ)2019年ハングル訳。
韓国版の表紙がそのままネタバレ。イスラエル大統領就任を打診されていたとは知りませんでした。この当時はまだイスラエル間接選挙制じゃなかったのかな。というか首相制で、大統領制じゃないじゃんという。
これもまた『冬の夜ひとりの旅人が』の系譜です。大胆というか、想像出来ないのが、いつから中国人作家はてらいなく外国人を主人公に小説を書けるようになったのでしょうか。24年組の少女マンガ家たちや、ハウス名作劇場(山ねずみロッキーチャックとかフランダースの犬とかアルプスの少女ハイジとか)のアニメスタッフたちが、外遊費用が出来ると速攻欧州まで旅に出て、それまで想像で描いていたものがあってるかどうか、違ってたらどう描くべきか、鵜の目鷹の目で物見遊山やってたのは有名な話で(山岸涼子がアラベスクを描くにあたってソ連に行ったかどうかは知らない。桃井かおりのような人から話を聞いただけかどうかも知らない)しかしたぶん吉田秋生が『カリフォルニア物語』やイエローフィッシュを描く頃には、鎌倉にも石を投げれば当たるくらいUCLAのロゴ入りトレーナーを着た若者が歩いていて、日本にいながら海外を舞台に何の気負いもなく金髪主人公の物語を描けるようになっていたと私は考えます。成田美名子とかもそうだと思う。その辺のパラダイムシフトがいつ人口十三億の中国で発生したのか、知りたいといえば知りたい。お話の舞台は米国プリンストン。以上
この人のピンインカタカナ名は、「ツ」と「シ」の書きわけが出来てない人には鬼門。