『絶縁』〈절연〉"RELATIONSHIP CEASE TO EXIST." 정세랑 Chung Serang チョン・セラン(アジア9都市9名連結アンソロジー《絶縁》)読了

トリは韓国のチョン・セランサン。亜紀書房のシリーズは、斎藤真理子という人とすんみという人がやってますが、今回は、クオンで最初に邦訳出した時の吉川凪という人がやってます。

チョン・セラン - Wikipedia

題名がそのものズバリなので、かえって"ISOLATION"アイソレーションなんていう英語でいいのか、迷いました。「断絶」にして、"cease to exist"にしたほうがいいのではないかと勝手に思いまして、「存在しなくなる」にすると、トップバッター村田紗耶香サンの『無』にうまいこと帰るので、それでいいやとそうしかけて、いやそれではと思い直し、消すのを「関係性」"relationship"にしました。定冠詞は、あいまいな日本語を引き摺ってつけず、ピジンに。

お話。ある放送作家というか構成作家の女性がいます。訳者解説によると、韓国のそれは日本のように放送業界で一定の地位を占めることがなく、わりとアレだとか。その彼女は学生時代、彼氏から支配される関係性に疲弊していたのですが、先輩たちの中にそれに気づいた人たちがいて、彼氏男性じしんも気づいていたなかったことばによる洗脳をはっきりと指摘して、彼女をらくにしてくれたです。で、同じく学生時代、地味なのに毎年いろんな女性とつきあってる同級生がいて、卒業後頭角をあらわして評論家というかなんというか、あちこちに出てくるトレンドクリエイターというかなんというかになって、被害者六人の性加害で告発され、駆逐されます。その男性が映像関係の専門学校講師などにひっそり復帰して、また縁交マッチングアプリ等が発覚します。講師に復職させたのが学生時代のその先輩たちだったので、どうしてあんなクズにチャンスをやったのか、いや一生涯敗者復活のチャンスもない社会もどうかと思う、そもあれは犯罪性のうすい、中途半端な不倫だろう、いやいやあれはことばであれこれ時間をかけて納得も得心もさせて最終的に女性が傷つく精神的支配ですう、と水掛け論に終わりがなく、「意見が違っても認めあえるはずだったのに」と声をかけられながらもきびすをかえし、主人公は、先輩たちともちがった価値観や人生を自分は歩んでゆくんだなあ、もうこれっきりです、と夜道を歩きながら思います。以上

こういうのは園子温でもなんでも、露見するとえげつないですが、こういうふうにならない素晴らしい関係性も築けず、こういうおかしな方向性でも当然こんなところまで行かないで速攻振られる、そんなつまらない人、枯れてなくても山の賑わい程度、いやそれすらも、という人も人口の三割くらいいて、そっち側の自分からすると、大変デスネとしか。

「ネ暗」という言葉が、表向きは明るいけれど実は暗いという初期の意味があっという間に変質し、根が明るい値が暗いという二分割で説明されるようになり、心に闇を抱えている人間がマスクされた時代から、リア充という言葉を経て、現代は、陽キャ陰キャという言葉が、学生でなくなると使われなくなるくらい、そういうのはだんだん可視化されてきていると思います。サイコパスってのも極端で、あまり日常で口にしてもと思ってましたが、今は逆に、誰にも彼にも思い当たることが多過ぎるので口にしない感じ。

SFから始まって、わりと大きなマクロ世界を右往左往したこのアンソロジーが、さいごに、一見ものすごくミクロ、卑近に見えて、でもギョーカイの話だしなあ、ネットで見るだけの、日常にもこんなこと、あるのかなあ、あるんだろうけど、知らんし、に落ちて終わるというのも、意識せずそうなった愉快さだと思います。訳者解説によるとチョン・セランサン的には時事的にタイムリーだったそうで、確かに日本でもタイムリーなテーマなので、世界は同時進行的な意味合いも確認出来るのですが、でもその辺の通勤通学経路や買い物ルートに転がってる話でもない。

この人の寄せ書きも読めなくて、しかし私は手書きのハングルが大好きなので(読めませんが)誰か人に聞いてみます。

문학이라는 모험을

함께하고 싷승니다.
世朗 2022.9.23 
정세랑 드란
文学という冒険をご一緒しましょう。
チョン・セラン
Chung Serang

自分であれやこれや試して、赤字がさっぱりな部分。たぶん間違っています。正解はなにかな。

以上

【후보】

문학이라는 모험을

함께하고 싶습니다.
世朗 2022.9.23 
정세랑 드림

「드림」は翻訳ツールにかけると「ドリーム」になってしまいますが、「드림니다」もしくは「드리니다」の省略形で、「申し上げます」の省略形だそうです。IKKOさんみたいに「申しage~」とでも言ってるのでしょうか。

「싶습니다」は「~したいです」の意味だそうです。改まった言い方だとか。

🆚【싶어요】 と 【싶습니다】 はどう違いますか? | HiNative

そのへんのニューカマーの人に聞こうと思ってたのですが、厚木くらいにしか知ってるお店がないので、ほかのついでに、川崎のオールドカマー地帯の爆心地ではないところで聞きました。

セメント通り - Wikipedia

オールドカマーなので、日本語の語彙が豊富で、「드림」は詳しく説明してくれました。タコのキムチと、あとなんか買いましたが、買ったものを見ても何を買ったか思い出せません。トラジ? いやちがう。

(2023/6/23)

여기까지

昨年秋にチベット文学の新作がないか検索した時、ラシャムジャの新作収録で出た本。12月の刊行直後に買ったのですが、春まで寝かせてました。一作ずつ感想を書きます。

装画=趙文欣 装丁=川名潤 

オーディオブック同時発売とのこと。

絶縁

絶縁

  • 村田沙耶香, アルフィアン・サアット, ハオ・ジンファン, ウィワット・ルートウィワットウォンサー, 韓麗珠, ラシャムジャ, グエン・ゴック・トゥ, 連明偉, チョン・セラン, 藤井光, 大久保洋子, 福冨渉, 及川茜, 星泉, 野平宗弘 & 吉川凪
  • 小説/文学
  • ¥2,000

絶縁 | 書籍 | 小学館

日韓同時発売とのことで、韓国版は、さいごにチョン・セランと村田紗耶香の対談が入ってます。表紙のイラストや掲載のじゅんばんはいっしょですが、作家の帰属表記について、日本語版は日和ってると言うか、上海で中国ビジネスを営む小学館的に苦しいんだろうなあという書き方で、ウェブには個人名しか載せてません。対して韓国は直球。例:「라샴자(티베트)─구덩이 속에는 설련화가 피어 있다」

www.aladin.co.kr

表紙のイラストを描いた人は上海在住。ではなく、今は多摩美に学んでるそうですが、今後どうされるのか。

photoandculture-tokyo.com

巻末の、小学館編集部:柏原航輔サン、加古淑サンの弁によると、本アンソロジーの、どの国のどの作家に依頼するかの選定作業には、韓国文学の邦訳などを行っている出版社クオンの金承福サンと伊藤明恵サンが関わり、実際の契約交渉は、イギリスの出版社でそうした業務に従事していたパルミェーリ・ターニャサンというエージェントが大活躍したそうです。

絶縁というテーマは言い出しっぺのチョン・セランサンが出したものだそうです。

及川茜訳。

ハングル版は、日本語版をホン・ウンジュというイファ女子大仏文出で日本在住の翻訳者がハングル訳したとか。

www.aladin.co.kr

下がホン・ウンジュサンの紹介箇所。

홍은주 (옮긴이) 
이화여자대학교 불어교육학과와 동 대학원 불어불문학과를 졸업했다. 일본에 거주하며 프랑스어와 일본어 번역가로 활동하고 있다. 옮긴 책으로 무라카미 하루키의 《기사단장 죽이기》 《양 사나이의 크리스마스》, 마스다 미리의 《여탕에서 생긴 일》 《엄마라는 여자》, 미야베 미유키의 《안녕의 의식》, 델핀 드 비강의 《실화를 바탕으로》 등 다수가 있다.
(グーグル翻訳)
ホン・ウンジュ (移転) 
梨花女子大学フランス語教育学科と同大学院フランス語文学科を卒業した。日本に居住し、フランス語と日本語の翻訳家として活動している。運んだ本で村上春樹の《騎士団長を殺す》《両男のクリスマス》、増田ミリの《女湯で出来たこと》《ママという女》、宮部美雪の《こんにちはの儀式》、デルフィン・ド・ビガンの《実話を土台として』など多数がある。

下が翻訳スキーム紹介箇所。

『절연』의 작업은 각기 다른 언어를 사용하는 9명의 작가들의 작품을 각 언어를 전공한 일본의 7명의 번역가가 번역하고 그것을 도쿄에 거주하는 홍은주 번역가가 다시 한글로 옮기는 방식으로 이루어졌다. 편집 과정에서 의문점이 발견되면 일본의 편집자와 해당 언어의 번역자를 거쳐 저자에게 전달되고, 피드백이 역순으로 되돌아오면 다시 홍은주 번역가와 문학동네 편집부가 논의하는 식이었다. 쇼가쿠칸의 편집자와 문학동네의 편집자가 각기 국내문학을 담당하고 있어 서로 한국어와 일본어에 능숙하지 않았는데, 이때 동원된 것이 웹 번역기였다. 한국의 편집자는 한국어로, 일본의 편집자는 일본어로 쓴 수십 통의 메일로 의견을 주고받았다. 각국 작가들은 직접 촬영한 영상으로 인사를 보내왔다. 팬데믹 이후 동시적인 소통을 위해 급속도로 발달한 기술들이 활용되었으니, 『절연』의 작업은 말 그대로 이전 시대와 결별하는 일이었던 셈이다.
표지 그림은 상하이에서 활동하는 일러스트레이터 자오원신Zhao Wenxin의 작품이다. 같은 그림을 일본과 한국의 디자이너가 각국의 정서에 맞게 재해석해 디자인한 것도 눈여겨볼 만하다. 이번에 한국과 일본에서 동시 출간된 『절연』은 추후 작품집에 참여한 다른 나라에서도 번역되어 출간될 예정이다.

(グーグル翻訳)

『絶縁』の作業は、それぞれ異なる言語を使う9人の作家たちの作品を、各言語を専攻した日本の7人の翻訳家が翻訳し、それを東京に居住するホン・ウンジュ翻訳家が再びハングルに移す方式で行われた。編集過程で疑問点が発見されれば、日本の編集者とその言語の翻訳者を経て著者に伝えられ、フィードバックが逆順に戻ると、再びホン・ウンジュ翻訳家と文学近所編集部が議論する式だった。小学館の編集者と文学近所の編集者がそれぞれ国内文学を担当しており、互いに韓国語と日本語に上手ではなかったが、この時動員されたのがウェブ翻訳機だった。韓国の編集者は韓国語で、日本の編集者は日本語で書いた数十通のメールで意見を交わした。各国の作家たちは直接撮影した映像で挨拶を送ってきた。ファンデミック以後同時的なコミュニケーションのため急速に発達した技術が活用されたので、『絶縁』の作業は文字通り以前の時代と決別することだったわけだ。
表紙絵は上海で活動するイラストレーター蔵王原神Zhao Wenxinの作品である。同じ絵を日本と韓国のデザイナーが各国の情緒に合わせて再解釈してデザインしたのも注目に値する。今回韓国と日本で同時出版された『絶縁』は、今後作品集に参加した他の国でも翻訳され出版される予定だ。