『中国温泉探訪記』読了

中国温泉探訪記

中国温泉探訪記

積ん読を読む、シリーズ第二弾。
岩波書店ゾッキ本出すんだなあ。
ていうか、この時期中国関係で、
岩波はたぶらかされていたような気もします。

この本は、中国各地の温泉を紹介しています。
中国的に観光化された有名どころを選んだわけでもなく、
日本人がほっとする温泉街をピックアップしたわけでもないです。
著者は、日本の温泉概念に疑問を抱いており、
「温泉」がそもそも漢語であることに着目し、
漢籍に見える「温泉」の原義を追求しました。
史記芸文類聚、水経注、敦煌で発見された唐太宗の碑文…
そして、中国の歴史的に重要と思われる温泉と、
中国農村の地道な温泉に着目し、取り上げています。
その辺の異色、アウトローぶりはよいのですが、
平地に乱を起こしながら何を言いたいのかつかみにくい文章で、
相当損をしています。
日本の、入浴偏重、熱泉過多の温泉概念を「うそつき」と言ってまで批判し、
肌が温暖を感じる水、という本来の判断基準や、
観賞(風水的に見てもよい場所が多い)、飲用、屠畜、洗濯等に活用される
中国を持ちあげているんだなあ、と、
自分なりに著者の考えをまとめるのにしばらく時間がかかりました。

この本は、だから、日中の温泉での所作比較としても面白いのですが、
すっすっと読み進められないのが残念でございます。

頁97
 繰り返しになりますが、その地域の民俗や入浴とかなにかということを学習しないと、とんでもない誤解を生じます。誤解だけなら謎が解ければ笑い話ですみますが、認識がないととんだ優劣議論に発展しかねません。これは注意しておかねばなりません。ヒステリックに温泉浴に熱中している現代日本人はこの点に関し、外国ばかりか国内の地域性や過去の民俗に対しても、たいへん狭量であることを、僕は指摘しておかねばなりません。

頁108
 たびたび書きますが、中国の入浴法というか、身体の洗澡法は泡のついたまま浴槽に入り洗い落とすやりかたです。農民の温泉にはシャワーどころか給水の設備すらないのが普通ですから、日本のように洗い場で洗って流して、無添加?の人体だけ温泉に入るということはありません。頭から足の先まで泡だらけのままドボンです。そんなことをしたら日本では皆に咎められて、二度とそこの敷居をまたぐことができなくなりそうですが、中国では違います。誰もなにもいいません。

私が東北(吉林や牡丹江)で行った銭湯はそうじゃなかったけどな〜と思いました。
著者は、ほかにも中国の田舎で、地元の人がはだかで入る露天風呂などを知り、
紹介しています(ただし儒教から混浴NG、時間帯による分浴)。
こういうのは在日中国人から、
「ウソです。中国人はそんなことしません」と言われかねないので、
予防線張ってます。

頁11
 中国は温泉大国でありながら、人々はそれほど温泉を知っているわけではありません。しかも中国は一人が語るにはあまりに広大過ぎます。社会階層、所得、地形環境や習慣、伝統によって温泉観は大きく異なります。とくに、都市住民と農村のそれはまったく異なっています。
 誰もが中国人でありながら、誰も中国人を代表していないのです。温泉に関して一般論というのは、きわめて成り立ちにくいのです。

なお、この本は台湾スルーです。
日中温泉比較に台湾を交えると、
ややこしくなるからだと推測します。