『すみだ川・新橋夜話 他一篇』 (岩波文庫)読了

すみだ川・新橋夜話 他一篇 (岩波文庫)

すみだ川・新橋夜話 他一篇 (岩波文庫)

もう百年以上前の小説なのに、普通に読めるんですね。
漢字を日本の漢字に直して戦後のフォントにしたおかげもありますが、
多くは、文体がこの百年それほど変化しなかったおかげだろうな。
江戸時代の戯作は今読むと読みにくいですが、
この時代はヒマな人は結構そういうの読んでいたはず。
ぬかるみの道を足袋で歩くのが普通なんて、すごいよなあと思います。
ただ、省線電車の押し合いへしあい停電による停止、
車夫の生き馬の目を抜く客の奪い合い、早い時間から店じまいをする夜の繁華街、
については、二十年前の中国と重なる部分があるので、
すんなり入っていけるというのが個人的な感慨。
中国の人から怒られそうですけどね。

頁31 すみだ川
 休茶屋の女房が縁の厚い底の上ったコップについで出す冷酒を、蘿月はぐいと飲干してそのまま竹屋の渡船に乗った。丁度河の中ほどへ来た頃から舟のゆれるにつれて冷酒がおいおいにきいて来る。葉桜の上に輝きそめた夕月の光がいかにも涼しい。滑な満潮の水は「お前どこ行く」と流行唄にもあるようにいかにも投遣った風に心持よく流れている。宗匠は目をつぶって独で鼻唄をうたった。
 向河岸へつくと急に思出して近所の菓子屋を探して土産を買い今戸橋を渡って真直な道をば自分ばかりは足許のたしかなつもりで、実は大分ふらふらしながら歩いて行った。

頁129 新橋夜話(色男)
 それなり家中は寂(しん)とした。隣近所には三味線の音もなく電車の響が嵐のように聞える。京さんは無意識にお通しのかき餅を菓子皿の中から掴み取って、冷めた茶の残りを一口呑もうとする時、女中がお銚子を持って来て、
 「今お湯(ぶう)ですって、直ぐ参ります。」
 けれども待つ事一時間ばかりであった。銚子の一本は早くも残り少くなった頃、梯子段を上る足音も聞えずに、突然スウッと襖を開けて、菊松が差覗くように顔を出した。

昔の人は酒が弱く、時間をかけて呑んでいたんですかねえ。
カフー先生だけかもしれませんが。
アル中が近代病というのは、こういう百年ばかり前の、
酒が大量生産大量消費される前の小説を読むだけでもなんとなく分かります。
よい本を読まさして頂きました。

新橋を「しんきょう」と読ませるのは、湯桶読みを嫌っただけなんでしょうね。
まだ明治四十二年に、新京という地名はなかったので… おしまい。