『新編 酒に呑まれた頭』 (ちくま文庫)読了

新編 酒に呑まれた頭 (ちくま文庫)

新編 酒に呑まれた頭 (ちくま文庫)

他の呑み助のエッセーで、感慨深く紹介されていた吉田健一本をまず一冊読みました。
エウレカセブンAO FIRST EDITION

エウレカセブンAO FIRST EDITION

検索で出てくる、上のアニメのアニメーターの方とは同姓同名。
吉田茂の息子がエウレカセブンやってたら、クール・ジャパンですが、事実は違う。

曖昧さ回避のためのページ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%81%A5%E4%B8%80
系譜
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E8%8C%82#.E7.B3.BB.E8.AD.9C

解説 酒とともに「時間」のなかへ 清水徹
抜粋
 吉田さんは「酒に飲まれる」ことは嫌っていた。吉田さんによれば、涙や溜め息がほしくて、早く酔いたい一心で酒を飲んだりすれば、「酒は体内を荒れ狂うばかりで、酔い心地も何もあったもの」ではない。そういうのを「酒に飲まれる」と言う、とある。ここに収められた『酒は旅の代用にならないという話』は、たしかに世間一般の言い方をすれば飲み過ぎの話だが、しかし酒が「体の中を荒れ狂った」ありさまの実況報告ではない。「酒に飲まれた」わけではないのである。とすれば、「酒に吞まれた頭」という標題には作者のアイロニーが託されている、と見るべきだろう。

ほんとにそうなんだろか。
解説者によると、著者は「酔漢、吉田健一」を演じていると言うのだが、
否認の病気に対しそのように好意的解釈をすると、
共に深みにずぶずぶはまる結果になるので、
多少眉に唾つけて読みました。

頁81「酒を道連れに旅をした話」
 その晩、東京駅に駆け付けたのが昨年の秋、と言っても、こっちの気持ちの上では、恰も春だった。旅行するのは前から、関西と決めていた。そのもっと前の度々の経験から、日本の鉄道の中で東海道線が最も馴染み深くて、又戦後の京都がどんなになっているかということも、郷愁に似た関心を唆って止まなかったのである。
 原稿と言っても、それが千三百枚という大仕事だったことを、ここで断っておきたい。だから東京駅に着いた頃は、仕事が終わった安心と、その安心に基いて一日中、飲み続けた酒とで、全く陶然として何か黙し難い気分になっていた。だから、春みたいだったと書いたのである。

頁85「旅の道連れは金に限るという話」
 先年、或る出版社と前からの約束で、何月何日までに長編の翻訳を間に合わせれば、その日に関西に酒を飲み放題の旅行に行かせて貰うことになっていた。約束の日に、東京に原稿を鞄と一緒に持って行くと、その日の晩はもう汽車に乗っていた。汽車の中で飲み出して飲み続けて夜を明し、翌日京都に着いて、出版社が用意してくれた宿屋で早速ビールを又一本飲んで眠って目を醒すと、外に出て所々飲んで歩き、晩に宿屋に帰って来て本格的に飲み始めた。宿屋には出版社から何か言ってあったようで旨い酒を幾らでも持って来るので、その晩は一升ばかり飲んだ。翌日眼を醒して、又ビールを頼み、という風にして、何日か過ぎた。これから先が本題である。
 出版社の人が立つ時に、汽車の切符と一緒に、かなり厚い札束をくれたので、これなら一ケ月でも二ケ月でもという気になったものだから、汽車に乗るとすぐに派手にやり出して、京都でも惜しみなく飲んでいた。ところが札束の方はその間にどんどん減っていったらしい。その頃丁度、河上さんが岩国に帰省しておられて、京都で飲んだ後で岩国で飲ませて戴くという約束がしてあった。それでそろそろ河岸を変えようと思い、駅まで岩国行きの切符を買いに行って酔いが醒めた。前から札の厚みが変に薄くなっていることに気づいてはいたが、汽車の切符を買うと後に殆ど何も残らない位の金額にいつの間にかなっていたのである。宿屋の払いは出版社が持ってくれるからいいようなものの、そして又、岩国に着いたら河上さんの御厄介になりっ放しになるとしても、岩国から東京に帰る旅費というものがあるし、それに現状では、岩国で煙草一箱買うにも河上さんにねだる他ないことになりそうだった。金があって御馳走になっているのは結構な身分でも、一文なしでは居候も同様のみじめさである。
 それで電報ということになって気がついたのだが、旅先でお米の通帳も何もないから、

吉田家は土佐なんですね。サイバラの書きっ散らしと符合が多くて、納得。
京都の人はさぞ舌なめずりして喜んだはったやろなあ。
カネがなくなって素にかえったというところが本物くさい。
あとはまた後報で書きます。
そろそろ出掛けようぜ

【後報】

頁87「酒は旅の代用にならないという話」
 この頃は旅行に出かけたいと思うことがよくある。過去を振り返ってみると、どうも酒を飲み出してから旅行に行く回数が減ったようで、その証拠に、一昨年だったか(百年も前だという気がするが)、京都で二日二晩痛飲したのを除けば、旅に出てどこの酒が旨くてどんな肴があったという種類の記憶が殆どない。

酒でお通じがゆるくなっても、旅行が怖くなりますが、どうなんでしょう。
そうだとしても矜持としてそれは書けないと思いますが。

新装版 ススキノ・ハーフボイルド (双葉文庫)

新装版 ススキノ・ハーフボイルド (双葉文庫)

上の小説の探偵(作者がモデル)は、
ウォッシュレットがないところには移動出来なくなってしまい、
せっかく北海道を舞台にした小説で、サハリンが絡んできたのに、
ウォッシュレットがなさそう、という理由で、サハリン編を大胆にカットしています。

頁109「羽越路瓶子行」
 酒が本当に上等になると、人間は余りものを言わなくなるものである。少なくとも、その晩の印象はそうだった。

頁123「春の酒」
前は、長い間かかって仕事をすませた時がそうだった。それをやっているのが楽しみだった訳でもなくて、寧ろその反対に、いつになったらけりが付くのだろうと、それでもいつかは終わる筈なのを僅かながらの頼りにしてやっていたのに、その不愉快な状態の原因である仕事がなくなると、もう不愉快である理由がなくてそれまでと勝手が違うのでいらいらした。

頁124「春の酒」
ところで、いい酒というのは、酒を飲むのに適した状態で酒を飲むのは、そうして生きていることを感じさせる。酔ってはいても、それが或る程度以上になることがなくて、何かの拍子に酔いが覚めかければ、飲み続けるうちに又もとの酔いに戻る。言わば、精神的に換気装置が完備しているようなもので、飲むことがその装置の原動力になり、飲んでいる限り、温度にも、湿度にも変化がない。それだから幾らでも飲めて、いつまで続けても同じであり、そしてその状態に飽きることもない。

これは明らかにおかしい。
いつまでも続けたら、そのうち妄想とか不眠とか始まって地獄になる。
「いい酒」という条件が付いていて、実際作者は最後までいい酒を飲んでいたらしいのですが…

頁131「酒」
しかし日本酒には、食べなくても或る程度は栄養になるものが何かあるようで、それで肴は塩や味噌を舐める位で飲むという不衛生なことにもなるのかも知れない。

酒はカロリーだけ。栄養なんかほとんどない、と聞きます。
作者もこの前の段で、日本酒も食べながら飲んだ方がいい、と明記しているので、
ここははっきり打ち消すべき。

頁140「酒」
 旨い酒というのは、全く結構なものである。飲めば飲む程よくて、李白がいい加減飲んでから相手に、眠くなったから明日又来いと言ったのは、何か腑に落ちないものがある。おそらく、これは詩が四行続くうちに破天荒の量を飲んだということなので、それだけ飲めば誰でも眠くなる。又、それが上等な酒のいい所なので、記録破りの飲み方をしても、せいぜいが眠くなるだけであって、別に卓子を叩いたり、窓ガラスを壊したりしたくはならない。眠くなって、安らかな一夜を過し、二日酔いもしなくて、それで詩人も、明日は琴を持って来なさいと言っている。二日酔いだったならば、琴など聞ける訳がない。

ファンタジー
作者の言う「いい酒」とは何かというと、これが戦前のアルコール無添付のいい酒、
戦後のアルコール添付のいい酒、といろいろ出てきて、やはり陶然となってしまい、
上善如水がうまい酒の条件なのだな、とぼんやり分かる程度です。

頁147「旅と味覚」
 しかし金沢の名物よりも大事なのは、旅行していれば、こうして朝から酒が飲んでいられるということである。

この随筆集は、各随筆の初出年月日が記載されていませんが、
だんだん上のほうのスタンスが崩壊しつつある感じの一文です。
最後まですっすっと飲めるよい酒を飲んで、
九州などの焼酎文化圏には近づかなかった作者ですが、
ひたひたと足音は聞こえていたのでしょうか。

この本は酒の話だけではなく、ざっくばらんな戦前戦後の上流社会を活写しており、
それも勿論面白いです。
日本のガイジンについての描写、
その昔、我々が支那などで見掛けた不良外人のような陰惨な感じを与えることがない。
目の動きに少しこす辛い所がある位なものであるが、
(頁33)
など、大笑いしました。
http://s.cinematoday.jp/res/N0/05/54/v1376031175/N0055467_l.jpg
http://www.cinematoday.jp/page/N0055467

頁155「旅と食べもの」
大体、東京の廻りの田舎というのは景色がひどく単調で、関西の仏様を見に行く金もなくてむしゃくしゃしている時にわざと八王子だとか、厚木だとか、何も面白いものはなさそうな所を歩き廻りに出掛けると(厚木と言っても、戦争前の厚木である)、その景色が寂しいことはもの凄い位で、泣くにも泣けない心境になり、その原因の一部が、腹が減っていることにもあるのだということに気が付いて入ったそこら辺の食べもの屋の多くはうどん屋だった。

秩父から高崎街道越えて茅ヶ崎まで、養蚕が盛んだった頃は、
実際食事はうどんが多かったとも聞きます。作る人は大変だけど、短時間で食べれる。

作者は、ハムエッグに醤油でなくウスターソースをかける派なので、
私も今朝真似してみましたが、醤油のコクがなくてしょっぱいだけで、
私には合わなかった。そういう英国紳士の日本酒吞みですが、
テーブルを「卓子」と書いたり、偉丈夫の意味で「大丈夫」を使ったりと、
藩校の伝統を引きずった、旧制中学特有の漢学の修養もある。

頁173「食べもの遍歴」
戦前ならば、例えば電通の地下室にイタリー料理の店があることが解れば、そこに行くのが一つの楽しみで、何が出てくるかと期待することが出来たし、又その種の言わば、うぶな気持を壊すものが少しもなかった。或は寧ろ、それでこそ金を払って食べに行く食べもの屋というものである。
 今日の東京にも色々な食べもの屋、料理屋があって、その中にはどうかすると旨いものを出すのもある。しかし店の空気がどうもよくない。つまり、客種が悪いということになるのかも知れなくて、折角こっちが期待を持って行っても、それが旨いものを出す店であればある程、そんなものを旨いと思うようじゃとか、こういうものがあることを始めて知ったとはとかいう顔付きをした客が多くて、食べもの位のことでそんなに勿体振るならばと、こっちにも対抗意識が生じて、ただ食べる気でいるのが難しくなる。

うぶな気持ち、という表現が好きです。
多少生きにくくても、酒に逃げずに人生を過ごしたいものです。
著者のほかの本も、またいずれ。
(2013/9/29)