『日本史の森をゆく - 史料が語るとっておきの42話』 (中公新書)読了

アマゾンのレビューで見て、面白そうだったので借りた本。
なんの関連で出て来たかは、忘れました。
当初は編者名をよく見ていなかったので、西洋史東洋史で類書が出せるかな、
出すとしたら、森はもうタイトル取られてるので、
西洋史が海をゆく、東洋史は沃野をゆく、とかだとどうだろう、
と妄想しておりましたが、はじめにで編者団体の強烈な紹介を読み、
これは西洋史東洋史に類する団体があるかしらん、オリエントナントカ館や、
東洋文庫京大人文研などだと、格とかではなく、その目的、
明記してるわけではないですが、国史を編纂する、という一点で、
この団体はワンアンドオンリーなのだから、
西洋史東洋史で類書を出すとしたら、少しひねらないとダメなんだろうな、と思いました。

それぐらい、はじめにに於ける、所長(当時)の自負はすごいです。
圧倒される。自己の仕事に対するゆるぎない自信、確固たる信念。

頁鄱 はじめに
史料集は研究の土台ですから、可能な限りの史料(文献史料が中心ですが、それ以外の史料も含みます)を調査・収集することは必須ですし、論文でしたら、テーマに直接関係しないからと省略してしまってもよいような箇所、主たる内容に関係しないかに見える部分でも、手を抜くことなく正確に解読しなければなりません。年代や人名を調べる際も、論文なら現在追及しているテーマに関係する範囲で明らかにすればよいのですが、史料集作りでは、可能な限りの素材を集めてきて、調べあげなければなりません。

公式の事業紹介ページ
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/about_hi/mission-j.html

頁4「正倉院文書は宝の山」
 お役所でいらなくなってゴミになった書類、これが正倉院文書である。
(中略)
現代でもお役所の生なまの書類はあぶない(原文傍点付にてフォントを大きくした)。理由は同じであろう。ゴミだからこそ「宝の山」なのである。

全編この調子。この巻頭随筆で、いきなり引き込まれる人は引き込まれる。
敦煌文獻*1や、長沙走馬楼呉簡と同じものが日本にもある、
私はそんなレベルで感心しました。でまあ幾つか、従来の解釈に対する新解釈、
改竄の発見、頁19「史料は正しく伝えられるか」が出れば、
当然下記を思い起こして、にやりとします。

「正史」はいかに書かれてきたか―中国の歴史書を読み解く (あじあブックス)

「正史」はいかに書かれてきたか―中国の歴史書を読み解く (あじあブックス)

頁106、「未婚の皇后がいた時代」にはびっくりした。
上皇がいた鎌倉時代にのみ起こった事だそうですが、
鎌倉時代は、荘園と地頭とかもそうですし、
実朝以降征夷大将軍をその都度京都から鎌倉に呼びよせて即位させ、
で、執権が事実上の政権運営をするなど、
形式上の権威の多重構造みたいな感じが面白いなと思い、
だいたいこういうのは外圧で滅びるので、蒙古が来ましたが日本は島国なので神風で撃退し、
やれやれと言うタイミングで建武の新政、と認識しています。
ゴダイゴ天皇の維新バエワで構造改革を試みた、のかな。

アマゾンレビューで頁188「中世の赤米栽培と杜甫漢詩」を取り上げてる方がいて、
これも面白かったです。頁212「数珠がつないだ商人たち」の末尾で、
常用漢字表では「数珠」だが、
多くの文書や地名では「珠数」で、永く「珠数」が使われてきたことにも留意してほしい、
とあるのもよかったです。確かに「じゅ」は「数」より「珠」

で、私は、頁94と頁113、頁132に付箋をつけてたのですが、今見直して、
何の意図で付箋をつけてたか、さっぱり思い出せませんでした。
頁151にもつけてましたが、これは、京都に南禅寺北禅寺西禅寺があって、
東禅寺がない理由を推測してる箇所だからだと思います。割と常識的な推理。

え〜、で、勿論知ってる人は知ってますが、七夕は日中開戦の日です。
Marco Polo Bridge Incident - Wikipedia, the free encyclopedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Marco_Polo_Bridge_Incident
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/46/Marco_Polo_Bridge_air_view.PNG
https://www.google.co.jp/maps/@39.8502497,116.2190658,15z

この事件に関しては、クソを垂れに行って行方不明扱いになった兵卒とか、
現地連隊長が牟田口廉也であったことなどを知るにつけ、
歴史ってそんなことで動くんだ、と感嘆しきりでしたが、
やっぱりみんなもっと整合性がないとしゃっきりしないみたいで、
ものすごく日本語版ウィキペディアは膨らんだな、と思います。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A7%E6%BA%9D%E6%A9%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6
で、そのウィキペディアで、中国共産党陰謀説に触れ、
中共地方紙の論説をサーチナ経由孫引きし、

これは中国共産党プロパガンダのために嘘の戦功を書いたのであって「われわれ中国人の伝統的ないい加減さ」を指摘する論旨であり、このような嘘がかえって自分達の主張の信憑性を貶めていると結んでいる

これは終戦時日本側がとにかくバンバン資料を焼却したのと対照的だと思います。
証拠がなければいつか忘れるだろうという発想だろうと思うのですが、
焼け残った資料がどこでどうしたのか、大事に保存されてて、
「処理した」としか書いてない防水検疫部隊の文書の寄せ集めが、
悪魔のなんとかみたいなタイトルで、中国ほかで、
写真印刷されて陸続と出版されてるので、資料がちゃんと残ってれば、誇張抜きで、
どこまでが実際にあったことで、どっからが相手が尻馬にのったプロパガンダなのか、
わりと白黒つけられるんじゃないか、と思ったりしますので、
(ひょっとしたらアメリカとかにちゃんとあるのかもしれませんが)
捨てたり焼いたり上書きしないで史料を保存することの大切さを、想います。以上