タイトルは「かげろう」と読むのだそうで。中国語で陽炎を何というか知りませんでしたので検索しましたが、そこで出なくても、上海の話で上海語を使おうという意図があったようですし、この漢字が何処から出てきたかは分かりません。どこかでひょいっと分かればいいなと思います。
山崎洋子を読んでみようシリーズ。毎日新聞社の書き下ろしエンターテイメントシリーズ「アジア・ノワール」の一作だとか。当該シリーズの一覧がぱっと見つけられないので、全貌分かりませんが、船戸与一の『金門島流離譚』はこのシリーズだと今初めて認識しました。
装幀 多田和博 装画 浜坂公男
頁13、頁139にトルコ風呂が出て来るのですが(ホンキュウ(虹口)のウースン(呉淞)路にあったとか)、戦前にトルコ風呂があったのかと再度疑問に思い、検索すると、松沢呉一が2009年に書いた書籍『エロスの原風景』で、1940年ごろ上海に邦人のトルコ風呂が存在したことを挙げているそうで、2002年刊行の本書はそれに先行しますから(作者は1990年に書いた『魔都上海オリエンタル・トパーズ』でもトルコ風呂という単語を登場させている)出典や一次資料を示してくれると、大変その分野の研究が進むのではないかと思いました。松沢本読めばいいのかもしれませんが、あまり読みたくなくて。
本書は、上海語を駆使しようという意図があったようで、途中までは上海語が出ますが、ブレーンが去ったのか何か、終盤は北京語になってしまい、残念です。黄包車をワンバオツーと読んだり虹口をホンキュウと読んだり四馬路をスマロと読むくらいでは誰も満足出来ない。
頁27、横浜橋ワンバンジョオ
頁36、ボンピーン、棒氷
頁183、「春翠小姐勒海哇ツェンツェーショージャーヘワ?」「儂是啥人ノンズサニン?」
頁200、「小孩シャオハイ,勒啥地方ラサディファン?」屋台で目を離したすきに四歳くらいの娘がさらわれる場面。まさに英語の動詞"shanghai" ここで、屋台のしたごしらえにカエルの腹を裂いてる女性がリアルでした。いや、その作業が。全然関係ないけどさらわれる娘とそのママは上海上陸後あっというまにシャンツァイ、パクチーが大好きになっています。だから危ないとか不衛生とか言われても屋台にいっちまう。こまかい描写だなあ。シャオハイは北京語ですが、日本人の母親が叫ぶせりふなので。そもそも女の子が消えたのに、男の子は?と聞いてみな首を横に振っても、それは皆が不親切というわけでは全然ないのかと。相互誤解の積み重ねのひとこま。
頁202、「謝謝儂シャジャノン、謝謝儂」一家は日本租界でなく、フランス租界のポルトガル人老婆がひとりで暮らす一軒家に下宿します。老婆は一日ワイン瓶を抱いて酔っぱらうアルコール中毒とのこと。まー本書はアヘン漬けの人間がわんさか出るので、また違う人間が西洋人キャラでいてもよいのかも。
上海語はここまでで、頁359では、会話は北京語になっています。残念閔子騫。
頁81に、大連の成り立ちが書いてあって、租借地だから寒村が飛躍的に発展、というどこも同じのエピソードなのですが、比較対象がチンタオやシャンハイ、天津、香港でなく、横浜なのが流石作者と言うか… 青泥窪チンニーワーがロシア語の遠方を意味するダルニーになったんだとか。この箇所で、井沢という大工の半生が語られるのですが、子どものいない大工の家に養子として入ったはずが、養父が大連に移住する際には実子が二人いるとなっていて、その記述だけなので、整合性があってないんだか詳細省いてるんだか分かりませんでした。
頁110、満映の映画が、中国人からトイプチー映画と呼ばれて陰で笑われているくだり。「すいません、銀座へはどう行けばいいんでしょうか」などの日本語を全部バカ丁寧に"對不起"と訳したのでバカな会話の映画になった、という話。甘粕所長就任以前の話だそうです。
頁166、上海は蛍光灯があるが日本にはふつうない。冷蔵庫はジェネラル・エレクトリックスだが日本のは箱に氷を入れたものだろう。映画館には冷房があって涼しいよ。という邦人による上海自慢。
頁280、中国人区域のことを「華界」と書いています。そう言うのか。本書は、出ないことはないですが、「支那」記述がかなり抑えてあります。作者のどういった心境の変化なのか、あるいは毎日新聞社刊だからなのか。日清戦争前を書いた箇所で「中国東北地方」と書いていて、日露戦争勝利以後「満州」と書いているのも芸が細かいというか。
頁293、甘粕の満映に対し、上海で川喜多長政が興した中華電影は真の映画好きのための自由な精神を尊んでいて、ために甘粕が川喜多の命を狙っているという噂まであった、という個所、飛ばして書いたなと思いました。鎌倉の川喜多記念館とか思い出しました。神奈川県人なら川喜多の肩を持ちます。
女性の苦労、哀史に関して、作者が語りたいことの、片鱗はあると思いましたが、それを激動の中国史というか日中交流史激突バージョン時代に仮託する意味はまだよく分かりませんでした。オリエンタル・トパーズは複数のキャラが錯綜しますが、本書はひとりの女性が多羅尾伴内さながらに七変化します。でも無理があるような。あと、幼女の独白は、いいんだけれども、この子の特徴を踏まえると、ほんとにこういう独白になるんだろうかと悩んでしまいました。
本書の謀略の狙いは筋が通ってるのですが、では誰がやったか、という点に関して、「誰だっていいじゃない」と逆切れしてしまうのが残念かと。ほんと腹をくくって共産党陰謀史観にしてしまえばもっと単純明快なノワール小説になったのにと思います。盧溝橋事件も絡めて、壮大なホラが描けたのにと。そう出来ない理由があったんでしょうか。あってもおかしくありませんが。以上。少なくとも、ホメながら寄って来る人の手のひら返しはめんどくさい。