『深い川』José MarÍa Arguedas "Los rÍos profundos"(ラテンアメリカ文学選集)"Antología de la literatura latinoamericana" 読了

深い川 (現代企画室): 1993|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

マヤ文学の本を出してる出版社の人に、ペルーのケチュア語にもそういうのないのと聞いて、ペルーにはこの人がいるみたいですよと教えてもらって、図書館で借りた本です。白人でありながら、父の後妻やその連れ子の義兄との関係から、使用人たちの中で暮らし、ケチュア語こそ自分の母語であると言い切った人。

解説

(略)そして、白人なのにインディオじみた義弟が気に入らず、いじめてはこき使い、からかっては罵倒した。純情な少年にいちばん衝撃的だったのは、乱交や夜這いの現場へむりやり連れていかれたことだった。暴力や脅迫で女性の抵抗をそぎ、泣いたり、祈ったりする少年の前でことにおよんだ。義兄のそうしたふるまいは、アルゲダスの心に深い傷跡を残した。

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そのせいか、日本語と英語とスペイン語で、ウィキペディアが使ってる写真からくる印象が全然違います。娘ほど年の離れたチリ人(だった)女性と、前妻と離婚して再婚し、精神分析医に、あなたがおとなになれないのは、義兄とのあいだの体験と、インディオのセンチメンタリスモが原因といわれ、それを封印しようとしたのでしょうか。それもまた自分なので、受け入れてともに生きてゆくという考え方は1960年代にはまだ強くなかったのかも。1969年12月2日、58歳でピストル自殺。時あたかもバルガス=リョサ、ガルシア=マルケスらが台頭したラテンアメリカ文学勃興期であった、とか。

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ケチュア語ウィキペディアは、スペイン語と同じ画像。

上はカバ折。マヤ文学の訳者さんが言っていた、先行するインディヘニスモ文学の人でしかないのですが(どうちがうかというと、書き手が先住民自身かそうでないかがちがうし、ぜんぶそれで書くか、エッセンスとして先住民語を取り入れるにすぎないかのちがいもある)まあ、読みました。

出だしは、主人公の父親が、作者の父親同様目が青いし、主人公の名前も呼ばないので、自伝かなこれ、と、おっかなびっくりでしたが、そうではないことがだんだん分かってきて、助かります。主人公の名前はエルネスト。舞台はクスコから、アバンカイという町の寄宿制学校へ。

アバンカイ - Wikipedia

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近くでいちばん大きい町はクスコ。日本のペルー料理屋は、だいたいクスコとかマチュピチュのイメージが好きなので、本書のケチュア語を見てもらいに行ったのですが、リマとか海岸部の人が多いとかで、ケチュア語分からない、山の人なら分かるんじゃない、たぶんだけど、山岳地帯からも日本に来てるの? たぶんいるんじゃない、たぶんだけど、とのことでした。逆に、本書の登場人物で、ケチュア語が話せない学生はほとんどいません。知識人のインテリ学生と、軍の部隊長の息子と、あと誰だろう、くらいで。

パラシオスという少年が出るのですが、途中からパラシートスと名前が変わり、なんでか分かりませんでした。どうちがうやら。

メッセージ|パラシオス元選手 « | SHONAN BELLMARE 50th Anniversary Special Website

パラシオスというと思い出すベルマーレの選手。学校の神父以外に、修道僧がひとりいるのですが、彼は黒人です。ペルー料理屋でもたまに黒人のペルー人を見ますが(八王子にもいた)黒人のペルー人というと、ついこないだのワールドカップ予選で、オーストラリア相手に「戦犯」になってしまった選手を思い出してしまいます。

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頁93、人の首をはねる怪物はナカーク。頁109、幼稚はケンチャ。頁275に出るのは聖母の飾り聖壇を抱えて町から町へと放浪するインディオの音楽家、キミチュ。本書は注釈をそのページのはしに書くタイプで、一度逃すと、あとは漫然と、なんだっけ、なんだっけで読み進む。ピカンテは焼き肉だっけ、チチャ酒場のチチャはチチャ・モラーダという紫トウモロコシのジュースがあったけど、それに関連する何かだろうか、チョーラ、チョーロってなによ、等々。チョーラはなんと解説で、混血をさすこともあるが、本書では、街に住んでスペイン語を話すインディオのことだそうで。メスティソという言葉も出るので、それとは違った意味合いがあって、言葉を分けてるという解釈のようです。

学生たちの性欲のはけぐちに、学校に住んでいる知恵遅れの女性がなっているのですが、マルセリナという名前だったか、彼女は白人です。いっぽう、学生のお小遣いで、チョーラはふたり買えるとか。頁133。

頁158

「¿Pim manchinku, merdas?(誰があんたたちを脅かすのさ?」

上もケチュア語。このように、ケチュア語はアルファベットで出て、そこにスペイン語や日本語の訳文がつくという体裁になっています。上は、メルダスってスペイン語からの借用語っぽくない、と思ったのと、マンチンクだってさ、と思ったので写しました。

頁231、ワイルーロ豆というフリホール豆の一種が出て、"huayruros"と書き、アラワンカイナと同じで、hをはっちょんしないアレらしくて、で、ワイルーロ豆は警官だか兵隊だかの制服と同じ色なので、それの暗喩になるらしく、ペルー料理店で聞いてみたのですが、豆の名前は知っていましたが、もう昔の制服らしく、その隠語は知ってませんでした。

たしか池上永一の『ヒストリア』だったと思うのですが、ケチュア語といっても南米の広い範囲のをいっしょくたにまるっとそう呼んでるだけなので、中の差異、方言差はめちゃくちゃあると書いてあって、本書でも頁254にルカナ地方のケチュア語が出ます。作者はそれにはスペイン語をつけてないので、訳者は注釈で意味を載せてます。

¡Runapa llak'tampi ñok achally…!」

「ひとりぼっちだ、見知らぬ町でひとりぼっちだ!」と言ってるそうです。塩専売に抗議して専売所から塩を強奪したチョーラたちを鎮圧するため派遣された軍兵士のひとりごと。この、米騒動ならぬ塩騒動が前半の山場。頁279には、逆に、クスコ訛りのケチュア語というフリで書かれたスペイン語を、訳者が注釈で当該地方のケチュア語に直しています。

「そこのきれいな髪の姉ちゃん」

Yau suni chujcha; hamuy

海岸部は山岳部より進んでいる地方という通念があるようで(頁333)そして、海岸部の人間は早口でしゃべるそうです。頁304。

さいごの章、Ⅺの題名が「小作人」で、意味が分からなかったのですが、チフスのまんえんとともに、おとなしく運命に従容としたがうはずの農園小作人たちが、農地を放棄して、棄民となって、海嘯のように押し寄せてくるという意味になるのかな。これは、パール・バック『大地』の、河南省なんだか山西省なんだかの流動耕作民の世界を彷彿とさせます。

チフスを怖れて家にとじこもる子どもたちは、ドアを叩いても、

頁380

「¡Manan!(いないよ!)」

チフスは虱で伝染するという俗説迷信が山から山、町から町を覆っているという設定なので、そこにいきなり蚤が出てくる場面で、虱と蚤を混同しそうになりました。

頁380

 小屋のかまどのそばでは、十二歳くらいの女の子が長い針をもって、自分より小さな女の子の体をほじくっていた。尻をほじくっていた。小さな女の子は泣かずに足をばたつかせていた。何も着ておらず、裸だった。ふたりともかまどのすぐそばにいた。姉さんのほうは針をもちあげ、日の光にかざした。ぼくは目を凝らした。針の先には砂蚤の巣がひっかかっていた。かなり大きな巣のようだったが、むしろたくさんの巣の房だったのかもしれない。女の子は体を傾けて、巣の房を火のなかに投げこんだ。そのとき妹の肛門と小さな性器が見えた。小さな白い房にびっしりおおわれ、周囲には砂蚤に咬まれた大きなブツブツがいっぱいできていた。白い房がぶら下がる様は(中略)ぼくは地面に頭をつけた。小屋から漏れでる異臭を感じた。心臓が止まるのをじっと待った。太陽の光が消え、雨が滝のように降り注いで、大地が削り去られるのを待った。姉が包丁を研ぎはじめた。

図書館にはアルゲダスの本はこれ一冊しかなかったのですが、これ以降三冊邦訳されてるようで、寡作な作家さんですから、これらでほとんど邦訳されているのかもしれません。

下の本書と同じ出版社の本は、アマゾンにはレビューないですが、紀伊国屋にはあって、お店の人がケチュア語スペイン語の関係を、沖縄になぞらえようとしたので、それはちがうかなーと話をそらしたのに対し、紀伊国屋のレビューではどさんこの人が北海道に例えていて、そこまでではないにせよ、そういう見方もあるだろうと思いました。

現代企画室

ヤワル・フィエス
血の祭り

ホセ・マリア・アルゲダス/著
杉山晃/訳
1998年4月刊行

下はまた別の出版社。

www.sairyusha.co.jp

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もう少しほかのペルー料理店でも、本書のケチュア語聞いてみます。以上