『古代中国の刑罰 髑髏されこうべが語るもの』(中公新書)読了

積ん読シリーズ 1995年の本なんですが、版元ウェブサイトに情報なし。中公は断絶ガー。帯のマーク=安野光雅 *この色の帯は歴史に関するもの 

古代中国の刑罰 : 髑髏が語るもの (中央公論社): 1995|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

帯写真は来月。

f:id:stantsiya_iriya:20210302184811j:plain

魔女がいない国の刑罰の体系を明らかにし、執行の実態を描く

中公新書 1252  

f:id:stantsiya_iriya:20210302184817j:plain

帯裏

洛陽南郊にある後漢時代の墓坑から出土した労役刑徒たちの多数の髑髏されこうべ、埋葬者の履歴・刑名を刻んだ磚レンガ西安郊外にある前漢皇帝景帝の陽陵付近から出土した刑具をつけた白骨遺体。湖北雲夢うんぼう県睡虎地すいこち出土の秦代官吏の遺骨とおびただしい竹簡。本書はこれらを地下からのメッセージとし、春秋公羊伝の伝義〈春秋の義〉を鑑かがみに、秦漢時代の刑罰がいかなる体系をもち、いかに執行されたかを明らかにし、さらに西欧と中国の刑罰の差異にも及ぶ。

 あんまり明らかになってないのですが、それはまあ置いておいて。髑髏という漢字が「されこうべ」で一発変換されないのに驚きました。「しゃれこうべ」でも出ないです。「どくろ」でしか出ない。うっかり「がいこつ」と入れると、「💀」もしくは「骸骨」が出ます。ドクロは、「☠」という絵文字も出ます。

帯裏のように、秦漢時代の刑罰に力点を置いた本なので、タイトルは「秦漢時代の刑罰」としたほうが正鵠を射てるのですが、それでは新書でなく汲古書院学術書になってしまうので、しかたなくこんなタイトルにした気がします。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cb/PAUL_DELAROCHE_-_Ejecuci%C3%B3n_de_Lady_Jane_Grey_%28National_Gallery_de_Londres%2C_1834%29.jpg/340px-PAUL_DELAROCHE_-_Ejecuci%C3%B3n_de_Lady_Jane_Grey_%28National_Gallery_de_Londres%2C_1834%29.jpgしかし、それにしては、編集者の入れ知恵があったのか、作者が自力更生でトンチンカンなこと考えたのか、「はじめに」で、昨今も流行っている、西洋写実主義がアブラで描いた残酷画のひとつ、大英博物館の「レディー・ジェーングレーの処刑」をどーんと出し、それに自分は魅せられた、英国研究員時代はしょっちゅう見てた、トリコだった。この絵にあるような西洋の処刑と、東洋のそれの違いについてまで語り終えたいよう、と書いてしまっているので、無茶云うなやと思いました。

レディ・ジェーン・グレイの処刑 - Wikipedia

 だって、1554年、16世紀、本能寺の変の30年くらい前の処刑を、1833年、19世紀に描いた絵だそうなので、その時代、近世といえばいいんでしょうか、それと、秦漢時代、漢の倭の奴國とかの時代、古代の後半戦と比較するのはおかしいじゃないデスか。著者は竹簡木簡の専門家、プロで、ロンドンへもそれの研究目的で滞在してたわけですので、どうしても書籍のテーマは古代中国にならざるをえないわけですが、それと比較するなら、テューダー朝のイギリスではなく、ケルトや、ローマン・ブリテンの時代でなければ、横軸が合わないではありませんか。

冨谷至 - Wikipedia

 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/eb/Pierre-Auguste_Renoir%2C_The_Umbrellas%2C_ca._1881-86.jpg/381px-Pierre-Auguste_Renoir%2C_The_Umbrellas%2C_ca._1881-86.jpg本書の結論として、秦漢時代の、法制史的な刑罰はそれほど残酷なものではなかった、とあります。そんなことないやろ~、とみんな言うはず。

反論①劉邦のヨメが劉邦の浮気相手の手足切って目鼻削いで肉便器にして人間ブタ(人彘)と呼んだのはムチャクチャ残酷やんか、そんな例ようさんあるやろがい。⇒残念閔子騫でした~、あれはリンチであって法制に基づいた刑罰じゃないんだよん♪ その証拠に、そうした残虐行為が白日の下にさらされた後、關係者が処されたのは、法で定められた、街中で腰を鋸で引かれて真っ二つの腰斬と、同じく街中で首チョンパして、っぽい!の棄市のふたつしかないデスヨ。(頁189)

反論②凌遅刑、凌遅三親等とかメチャクチャ残酷やんけ、人間の所業やあらへん。あれはええんか? ⇒残念閔子騫、あれは最初に確認されたのが異民族王朝の遼、契丹で、同様に、明の鏟頭さんとう(穴埋めして頭を削る)、剥皮はくひ(皮削ぎ)もモンゴル以降デスカラ、どうも北方遊牧民族征服王朝が漢族にもたらした文化と言えそうですよ💓(頁212)

凌遅刑 - Wikipedia

ピエール=オーギュスト・ルノワール - Wikipedia

どのみち凌遅は「古代中国」にはまだなかったと。でもそれと、ルノワールの「雨傘」と「レディ・ジェーン・グレイの処刑」は似てるけど、残酷な運命の予感が雲泥とかそういう話は違うと思いました。やっぱし、欧州と比較するなら、下記のような世界との比較でないと、横糸がヘンだす。

甦る古代人、刀水書房

第九軍団のワシ (岩波少年文庫 579)

第九軍団のワシ (岩波少年文庫 579)

 

頁72に、睡虎地竹簡同様、名前だけは私も知ってる居延漢簡の出土地として、甘粛省エチナ川という地名が出て来て、エッチな川ってどこならと思いました。

www.google.com

頁84、前漢では、陰陽五行説にもとづいて、死刑の執行は、立秋から立春までに行わなければいけなかったそうです。立春までに結審せず、命拾いをした話とか、超スピードで結審して、立春前日くらいに「かんねんしろい、今日はおめえさんの命日でぃ、年貢を納めやがれ」みたいな話があって、それが「漢書」に載ってるとか。魏志倭人伝より前の時代に大岡越前の守みたいな話載せるな四千年バカ。みたいな。

 で、ほんとに著者はロンドン滞在中、たびたび木簡竹簡をおさめた研究所のついでに大英博物館分館に寄り道して、処刑の絵を見ていたようで、こんなことも書いています。

  処刑の光景を描いた絵に魅了され、見蕩れてしまうなどということは、私の中に悪魔的嗜虐性、残忍性、さらにはサディズムが隠れ潜んでおり、それらが覚醒されたからなのであろうか。

 1995年の本ですから、森ガールはまだないですが、不思議ちゃんのハシリみたいのはじゅうぶんいたわけなので、そういうスジへの受け狙いだったのかもしれないのですが、京大という閉じた象牙の塔の中で、お勉強ばっかりしてきた、京都市内で「使えないバイト」の代名詞としてしか機能してなかった京大生のあいだで、この嗜好告白がバカみたいに思わぬ波紋を呼んでいたのではないかとも思われ、「あの人はヒソヒソ」みたいな話を私が京大院生から聞いたとか聞かないとか。その辺は、鴨川ホモ、否、森見登美彦という作家さんなどが調査して作品に昇華してくれたら、それでいいです。平野啓一郎著でも可。

この感想を書いていて、京大の、ある女性研究者しか使わないであろうひとけのない女子トイレから、隠しカメラが見つかった件を思い出しました。当時は、よりによってそのトイレにカメラをしかけられるとは、そのセンセイは本当に災難だ、お気の毒、としか思ってなかったのですが、今思い返すと、不審者が実際にいたとして、当局が動かないので先生が自分で仕掛けたら、カメラだけ先に発見され、にっちもさっちもいかなくなったので先生は口をぬぐってばっくれた、可能性もあるなと思いました。当時それを口に出したらセカンドなんとかですが、時薬が効能を発揮したであろう今なら。

まっすぐこちら向きの書物たち/丸橋充拓|web中公新書

中公公式に、本書じたいはないのですが、上のようなパブ記事はあります。京大コングロマリット。でも、本書の中で提示された、わりとかっちり刑を施行しておきながら、柩に入れて、レンガにひっかいていろいろ字を書いて添えてあげたその心意気の意味や如何に、は、後世にその解明を譲られていると思います。古代史ってロマンだな~(棒 とか云う必要もないですが、キリスト教化前の西洋と比較して、再度肩の凝らない本にトライされてもいいかもしれないと思いました。

以上