『ピンフォールドの試練』 (白水Uブックス)読了

ピンフォールドの試練 (白水Uブックス)

ピンフォールドの試練 (白水Uブックス)

[rakuten:book:16224687:detail]
ケニチ先生とウォー、黄金コンビの小説。
これまで壮年期のと初期のと、二冊読みました。

『ブライヅヘッドふたたび』(ちくま文庫)読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150103/1420285869
『黒いいたずら』 (白水uブックス 67)読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20150522/1432295833

今回は晩年の作品だそう。ケニチ先生のまわりくどい解説によると、
名誉の剣三部作の二部と三部の間に、「〜ねばならぬ」的心境に駆られて、
一気に書き上げた小説とのことです。

現代はインターネット社会ですから、
この小説よりもっとひどい攻撃もあるわけでしょうけれど、
それでもこの小説の追いつめ方もなかなかなので、
弱ってる人は読まないほうがいいです。
そう思います。

これは、幻聴小説です。冒頭で、体調がすぐれない、別の医者に、
別の医者にも処方箋を書いてもらっていることを申告せず、
(21世紀、お薬手帳がある日本と、戦後英国の差異は分かりません)
睡眠薬をもらっていて、転地療法を試みようとしている、主人公が、
いざ旅に出ると、本人は処方薬(のせい)だと思っているのですが、
周りは酒のせいだと思っているぞ、という会話がなされているのが、
耳に入るのです。(その前に、声はすれども姿は見えず、の連中が五月蠅い)

頁79
「あのピンフォールドっていうのは、どうも飲むらしい」
「それは前から聞いていた」
「船に乗ってくるのを見たんだがね。酔っ払っていて、ひどいものだった」
「それからずっともう、ひどいものだよ」
「自分では錠剤のせいだとかなんとかいっているがね」
「そんなことはない、酒だよ。あんなのよりかもっとずっと立派な人間が酒であんなふうになったのを知っている」

頁145
「あの方は酒じゃないといっていらっしゃるんですよ」と二人の母親がどっちにも加勢せずに両方を宥めていった。「あの方は何かそういう薬を飲まなきゃならないんだっていっていらっしゃるんだけれど」
「ブランデーの壜から出てくる薬でしょう」

頁163
「船が出帆して以来、あれにわたしは目をつけていたんですよ。どこか妙だとお思いになりませんでしたか」
「飲むことには気がついていたが」
「そう、完全なアルコール中毒です。ほかの船客にもそのことを注意されたんですが、向こうで頼むか、あるいは何かやらかさなければ診察するわけに行かないもんで。

なぜ声が聞こえるのかの技術的な説明はあるのですが、
大戦中の設備が撤去されず残っている、新技術、有線、いや無線、
そして聲の主は多数で、変動し、入れ替え可能で、
フランス語で話していた婦人が、主人公が仏語不得手という説明のあと、
英語に切り替えたりします。
(それまでは、拙い仏語能力なのになんとか理解出来るという設定が続いた)

頁101
「あれはユダヤ人です」
「そうか。それはほんとうかね。初めて聞いた」
「もちろん、ユダヤ人ですよ。あれは一九三七年にリッチポールにドイツの避難民といっしょにきて、そのころはパインフェルトという名前だったんです」
「わたしたちはパインフェルトを懲らしめてやりたいんです」と感じがいい声のほうのがいった。「ひどい目に会わしてやりたいんだ」

こういう認定って、どこにでもあるんだな、と思いました。
ピンフォールド氏は作者の分身みたいな存在なので、カソリックですが、
それとユダヤ人が両立する理由は、夢のなかのように、
その設定が続いている間だけ、なぜか理解出来る理由です。
醒めると思い出せない。あんなにリアルかつ説得力があったのに。

頁153 ノルウェー人の証言の場面
わたしはあの男がファシストであることを知っているだけです。あれは民主主義の悪口をいっていました。わたしたちの国にもクイスリングの時代にはああいうのがいましたよ。わたしたちはそういう人間をどうすればいいか知っています。しかしこれはわたしたちとは関係がないことですから」
「わたしは戦争の前にアルバート・ホールでよくあったファシストの集会であれが黒シャツを着ている写真を持っているんです」
「それは役に立つかもしれませんね」
「あれは本もののファシストだったんですよ。

頁154
「…あれが正式の共産党員だとはいいませんがね、そういうのとつき合ってることは確かです」
「たいがいのユダヤ人はそうです」
「そう。それからあの行くえ不明になった外交官ね。あれはあの二人の友だちだったんですよ」
「あの二人ほどはいろんなことを知っていないんで、それでモスクワに連れて行かれなかったんでしょう」
「ロシア人もピンフォールドには用がないっていうわけですね」

左右どっちでも、なんか言われてる状態がただ続く、感じです。
で、途中から、薬を服用する描写がなくなるんですね。
キカイを通じて聞こえたり、話しかけたりしてくる声が本格化してくると。
そういうものなのかとも思いますが、分かりません。

頁163
「飲むほかにどこかどうかしているってことがあるのか」
「一日、思い切り働かさせられることで直らないことは何一つないんです。一週間ばかり甲板掃除をさせることができたらいちばんいいんですが……」

船医と船長のこんな会話まで聞こえてくるという。

で、船員がひとり死んでその過酷な労働に労使対立スト寸前までいったり、
ジブラルタル奪還を試みるスペインのフランコ政権が船を接収せんと乗船したり、
するのですが、ホントか妄想かもう分からなくて、後者について、
検索して当時のジブラルタル状況を調べるのもなんだかなあ、という気分です。

相手の声が聞こえるのみならず、ピンフォールドさんの考えは、
声に出さなくても相手に伝わることが実験で証明され、
そうした相手を攪乱するために彼はキングスレーの『西へ』を読むのですが(頁208)、
ウォーの小説に、エヴリディ・ドリンキングのキングスレー・エイミスが出てくるとは、
可笑しいなあ面白いなあ、と思ったのですが、
チャールズ・キングスレーとか、マリー・H・キングスレーとかもいるそうで、
この『西へ』という本が誰の著書なのか分かりませんでした。

で、悪意のある声ばかりでなく、彼に好意的な、マーガレットという娘の声も登場し、
彼女が彼に処女を捧げようとし、軍人の娘として本懐を遂げよと鼓舞する父の声も登場、
の場面もすごく面白く、ブライヅヘッドもそうでしたが、幻聴小説なのに、
適度なエロチックが入るところが、ウォーのエンタテイナー本領発揮で、
だから食えるのかと感心しました。引用したいけど後報にします。
―――――――――<ここから後報>―――――――――――

頁171
少将は感傷的になってくるにしたがってだみ声になり、言葉遣いが妙なふうになってきた。「今晩のことがすめば、おまえはもうわたしの小さなミミじゃなくなるな。わたしがそれを忘れやしない。おまえはもう一人前の女で、女が一人の男を選んでどうしてもその男がと思うのはいいことだ。これはわたしじゃなくておまえが決めたことだからな。あいつは年取ってるが、そのほうがいい。若いもの同士がどうすればいいのか解らなくて何日もみじめな思いをして過ごすというのは珍しくないことなんだよ。それに年取った男のほうが若いのよりも教えるのがうまいんだし。もっと優しくて親切で清潔だし。そのうちに今度はおまえがもっと若い男に教えてやるときがきてこうして愛の技術が伝えられて人類が亡びずにすむ。わたしがおまえに教えてやりたいんだが、おまえはもうだれにするか決めて、わたしに文句はない」

頁171
「(中略)さっさと行ってあいつをつかまえなさい。おまえのお母さんはどうやってわたしをつかまえたと思うんだ。わたしが何かいうまでただ待っていたと思うのか。あれは軍人の娘で、いつも自分が欲しいものにまっすぐに向かって行った。それでわたしにもまっすぐに向かってきたんだよ。おまえも軍人の娘だっていうことを忘れちゃいけない(後略)」

頁174
 それから少将。「申し分ない。それじゃ行って、おまえがこれから会わされる目に会ってきなさい。ペッグ、わたしのペッグ、それがどんなことかおまえは知っているんだろうな」
「知っていると思います。お父様」
「それがそうじゃないんだよ。おまえは本で読んだことで何もかも解っているつもりかも知れないけれど、人生ではなんでもそうで、いざというときなるとそれがそれまで考えていたこととは違っているんだ。もうおまえは引っ返すことはできない。後でわたしの所にきなさい。おまえの報告を聞くまでわたしは起きている。じゃ行ってきなさい」

こんな父親いるか。こういうエンタメ描写が、
ウォーの売れる理由のひとつだと思うのですが、
どうでしょうか。ちがうでしょうか。(2015/7/12)
――――――――――<ここまで>――――――――――――
もうピンフォールドさんは船を降りても複数の声と一心同体で、

頁225
ローマでピンフォールド氏が朝の食事をしているとき、かなり上手な英語を話す給仕にかなり下手なイタリア語で話しかけた。この気取りをゴヌリルは見逃さなくて、
「英語話せないあるね」とさっそくからかった。「坊さんに接吻するね、何もしないでいい気持ち、ドルチェ・ファル・ニエンテ」

dolce far niente 意味 Weblio辞書
http://ejje.weblio.jp/content/dolce+far+niente
鎌倉に同名のお店があることまで検索出来ました。
ゴヌリルとは、名が体を現すとおり、(声だけで姿は見えませんが)
いちばん性格の悪い女性キャラです。

で、最終章なのですが、ピンフォールド氏の回復という章題で、

頁232
「そんなこと」とピンフォールド夫人がいった。「だれもそんなことはしていはしなくて、全部があなたの想像なんですよ。わたしは念のために、あなたが手紙でおっしゃったようにウェストマコット神父さんの所に聞きに行って、そうしたら、そんなことはあり得ないんですって。ナチスの秘密警察も、BBCも、実存主義者たちも、精神分析の人たちもそんなものは発明していないんだって」
「そんな箱なんかないのか」
「ないの」
「嘘よ、嘘ついているのよ。嘘」とゴヌリルがいったが、どこか遠い所へ持って行かれでもしているように、その一言ごとに声が薄れて、最後は石板に書く石筆の音ぐらいにしか聞こえなかった。
「つまり、わたしが聞いたつもりでいたことはみんな、わたしが自分にいってたんだっていうんだな。そんなことがあるだろうか」
「ほんとうなのよ」とマーガレットがいった。「わたしには兄も、義理の姉も、親も、何もないの。……わたしはいないのよ、ギルバート。どこにもいやしないのよ。……でもわたしはあなたを愛しているの、ギルバート。わたしはいないけれど、愛しているの。……さよなら。……愛……」そしてマーガレットの声も低くなり、囁きに、また、溜息に、また、枕が擦れる音になって、やがて消えた。
 ピンフォールド氏はその沈黙の中でそこに腰かけていた。それまでにも解放されたと思って、それがそうではなかったことが何度かあったが、今度はほんとうだった。彼は妻と二人きりでいた。
「あいつらは行っちまったよ」と彼はやがていった。「あの瞬間に。これですんだ」

私はここを読んでいて、カタストロフというのか、
平衡神経がぐらっとするような感覚を覚えたのですが、
現実には離脱とか譫妄とかはこの小説が書き切れなかった、
いろいろもまたあるのでしょうけれど、それでも、安寧より恢復、
回復、回復を願って、そうして日々を送ってゆきたい、送ってほしい、
そう切に願います。この世界で。以上