写真 アラーキー 装幀 佐々木 暁(コズフィッシュ)巻末の解説は戸川純「よく頑張った、という感じがして胸が痛く切なくなる」(戸川純は生前の著者と面識なし)
鈴木いづみコレクション〈1〉 長編小説 ハートに火をつけて! だれが消す
- 作者: 鈴木いづみ
- 出版社/メーカー: 文遊社
- 発売日: 1996/09/01
- メディア: 単行本
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山崎洋子を読もう、で、読んだ『天使はブルースを歌う』に出てくる本なので読みました。その本に登場するエディ藩ともうひとりのメンバーと鈴木いづみとのカンケーが私小説というかモデル小説として語られているということでしたので。
エディ藩に関しては、「ランディーという中国人ベーシスト」との一夜が、一章だけわざわざ別枠を割いて語られています。「ユーはストーンだね」とか言ってるので(頁124)、やっぱ出だしはラリってるのかもしれません。セックスの相性がとてもよかったのと、うまいんだなと分かる、安心というか安定のやすらぎ描写です。でもまあ強引は強引でないとその晩のうちにそこまで行かないですけど。当時既に妻帯者で妻は2人目を妊娠中で、裏切りたくないのでずっと浮気はしていなかったのに、あー、みたいな、魔性の女にウケそうな台詞を「ランディー」は吐きます。性交のさいちゅうは「おまんこって言ってみろ」とか言ってたのに。太ってるけど、色気があるから、もてる男で、自分でもそう言っていて、そう言える男は本当にもてるんだそうです。朝食は中華でなくトースト。
もうひとり、ルイズルイスがモデルらしい「ジョエル」というハーフとの逢瀬のほうが、たくさん描かれています。最初の性交の時は、とても大きかったので、濡れてなかったし、こわいと感じたそうです。このキャラは、私の知っていた、もてる男と同系列の台詞を吐きます。「じゃあさ、そっちへかえったらよー、たっぷりのませてやるからよー、待ってろよな」(頁152)はてなブログは傍点を振れないので(というか普通IMEは振れない)原文の傍点箇所に下線をつけました。こういうセリフを、成功体験として十代からずっと、ウブい女やスレた女、さまざまな女性にささやき続けてきた男性と、失敗体験として婚活で何度も何度もいろんな相手に吐き続けて縁が切れ続けて中高年に達した男性、両方がいるんだろうなと思います。
あと、なんだ。フウちゃんという年下の男を友人から寝取る場面から物語は始まるのですが、その「フウちゃん」もモデルがいるらしく、でも山崎洋子の本に出てこないので分かりません。宮永の由香とか、オカマのサブちゃんとか悦子のモデルも知りません。
で、本書は、読んでみると、ODで29歳で死んだアルトサックス奏者の夫とのなれそめから夫の死、「ジョエル」との再会までのストーリーで、夫はハマの人間でもないしハマに関係ないので『天使はブルースを歌う』には出てこないのですが、誰が大きいだ誰がうまいだ誰がもてるだなんていうのは、これ、夫のキャラを前提に読み直すと、実に作者の意地がよく分かります。
夫とは最初、ホモなのと挑発してその気にさせたわりにその時立たなかったという展開で、これがまずいけなかったのかなあと。まあ大変ですよ、夫は彼女に強引な求婚を承諾させて、束縛拘束でぜんぶ自分色に染めて。野沢直子と誰かじゃないけど、殴る蹴るで彼女の体重を38kgまで落として、
頁201
わたしの目を上からのぞきこみながら、彼はいった。「(略)だって、いつかはそうなる、と思っていたから。(略)はじめてだって、もっとすんなりいく子もいる。それにこれだけやせほそると、肉体って感じがまるでしない。精神的なものだけが前面にでてきていた。以前のきみは死んで、ちがう女が生まれたんだ。ぼくといっしょに生きてく女が」
ところがこの直後化粧して服を着て外出して青山まで歩いてクラムチャウダー食べながら、彼女は、この男をまだ愛してはいない、いままでわたしは誰も愛したことはない、愛し合って生きるなんておそろしい、同一化の欲求は消えた、この結婚の末路はおそろしいことになる、と予感します。絶対に洗脳されない。
頁248、「ジョエル」と再会して、やろうかやるまいか、なんていいふいんきの時に、いちおう水をかける目的というか、男を試さずにはいられない彼女のさがとして、左足の小指は夫が知り合って三ヶ月後に包丁で切ったからないと言って、見せます。「ジョエル」はそれに対し、自分は、やりまくりの時期も、相手が処女だと言ったらやらなかった、と言います。夫が宗教的な境地に至るために一晩で11回やった話をした時は、薬物がなければそこまで出来ないのではないかと「ジョエル」は推測します。脱ぐと、手足にたくさん夫がつけた根性焼き(頁258)
この本の表紙撮影の時点でも、そういう痕がバリバリあったのか、小説だけのうそごとなのか。夫とのあいだに一女がいるのですが、まったく登場しません。「ジョエル」との再開時、出産したので体の線が崩れてないか気にする台詞だけ。「ジョエル」はそれに対し、自分の妻は子どもを欲しがらず、もう三回堕してると言います。
下は、巻末のシリーズ紹介と関連本紹介。
鈴木いづみ本の名前、巻上公一がいる、とか、高信太郎はいるけど赤塚不二夫やタモリはいない、とか、ちらっと思いました。ダンナさんのほうは、本書の所業を鑑みると、狩撫麻礼追悼本のように、ホメ殺しや、死後もなお確執を隠さないコメントがなければウソだと思いました。あるのかなあ。
頁137、「ドンバ荒らし」の意味が分かりませんでしたが、検索で出た山下洋輔のエッセーなどから、バンドを業界用語として逆さに読んで「ドンバ」、それを女性が荒らすのだから、押して知るべし、人類皆兄弟、と思いました。
最後にもう一個、「ランディー」の個所。
頁265
「奥さんが、子供つれてアメリカいっちゃったんだ。去年のことだよ。ランディーは、一時おちこんでたな。家族を大事にするひとだから」
それは知っている。ソファーのまえの床にすわって、わたしは彼の話をきいた。
「中国人どうしじゃなきゃ、無理なんだ。親戚が多いし、子供ができたとしても『おまえのおじいさんとおばあさんは、日本人に殺されたんだよ』 っていっちゃえば、それでオシマイだからな」
いやまあそうでもないと思います。中国嫁日記の夫妻は、夫婦でそんな話するわけないじゃナイデスカ、らしいし。戦争の犠牲はつらいことだとか、正義の戦争だったとか、便衣兵とか、高麗二棒子の仕業とか、退却する國府の敗残兵ではないかとか、そういうことをつらつら言って相互理解してる夫婦はいないと思いますが、いるかもしれないかな。
ハマのブルースマンの人は病気で、友人知人が支援ライブやったと、この読書感想書く時の検索で出ました。ご快癒を祈念します。以上