- 作者: 柴田翔
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1992/10
- メディア: 単行本
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嫁日記みたいなタイトルだったので借りました。
『されど―』の解説の大石静は、作者の七十年代の本はコンプリートで大切にしてるが、
この本と、もう一冊の、九十年代の作品は手元に置いてないそうです。
なぜ置いてないかというと、たぶん
家人が読んでた本で私も読みかけたけれども返却されたので感想を書いていない本で、
下記がありますが、そこで群ようこが痛烈に、週刊誌などが煽る高齢男性の枯れぬ性を、
批判しまくってるんですね。早く枯れろ。相手を求めるな。自分で処理しろ。
そこまで言って委員会百田。大石静がこの本を持ってないのは、たぶん同じ根っこだと。
- 作者: 群ようこ
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2015/05/15
- メディア: 単行本
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中曽根留学生十万人計画で来日した(恐らくは筆舌を絶するコネ獲得の労苦)留学生と、
それまでに付き合った日本語話者とでは味わえなかった例の甘ったるい時を過ごし、
けど自分のタネでない妊娠を堂々とあなたの子よ、みたく配偶者ビザ申請に突き進まれて、
誰にでも見破れるウソをしゃあしゃあとつくはずはないだろうので(という誤解)、
いったいそこにどんな事情があるんだろうと慎重な態度に出て(失策)、
けど相手は何も言い出さない告白しないので、いい加減問い詰めると、
そんな人だと思わなかったみたいに逆切れされ、相手は男性の前から消えてしまう。
(といって帰国したとも思われない)後日仕事で訪中したおり、男性は、
現地休暇をとってガイドを雇ってあいまいな記憶の彼女の故郷名を訪ねるが、
何も分からず終わる、という話です。アマゾンのレビューでは、
もう今ではこういう中国人女性はいないだろう、というのがありましたが、
いるとは思います。日本人をターゲットにする率が減っただけ。
こういうバカみたいなウソとブチ切れ方って、経験してる人多いと思います。
日本人台湾人香港人中国人の勝ち組などで、ここまでの例でなくても、
あいた口がふさがらないという体験は、あるのではないかと。
私は本書読む前に先にアマゾンレビュー読んだのですが、その時は、
むかしながらの中国人女性というと、慕情のハン・スーインみたいなもんだろうか、
と思っていたので、老華僑とか中国行のスロウ・ボートでなく、
新華僑留学生の、ある種のタイプがどーんと出てきて、笑ってしまいました。
Love Is a Many Splendored Thing
- 作者: Suyin Han
- 出版社/メーカー: Little Brown & Co (T)
- 発売日: 1952/06
- メディア: ハードカバー
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- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- 発売日: 2014/04/02
- メディア: DVD
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頁19
「わたしは……・……といいます」
駅の雑音のなかで、そこだけは原音の抑揚で発音される聞き慣れない外国語の名前は、またしてもひどく聞き取りにくかったが、それはどうやらイエ・ニンと言っているように聞えた。
「イエ・ニン?」
発音がおかしかったのか娘は笑った。そしてうなずいた。それを漢字では叶宁と書くことは、あとになって教わったことである。
長いこと国交断絶してた弊害で、日本語環境では中国人名は日本の音読みで読むべき、
という両国のルールが盲流的にないがしろにされ、この時代来日した莫邦富や楊逸は、
自分の名前の読み方について、ピンインのカタカナ読みをいまも手放さない。
その辺がよく分かる文章です。作者は仮にも東大教授なのに。否それは関係ないですか。
叶も宁も日本では別途ある漢字ですが、簡体字の叶宁は日本漢字/繁體字の葉寧で、
葉剣英*3やグロリア・イップ*4(広東語ではパッチム付の입)と同姓であることを、
作者や主人公男性が知り得たかは、はなはだ疑問です。
頁21
「わたしの名前は、漢字ではこう書くの」
客のまばらなファミリー・レストランの片隅でテーブルの上の紙ナプキンを取って、「叶宁」と書いてみせたニンが言った。「この宁という字は、静かって意味なのよ」
「寧」なら静かって意味であることは誰だって百も承知なのですが、
まさか相手が、簡体字こそ正しい字と信じ切っているとは夢にも思わないので、
宁=寧に気付かないまま話は進んでしまいます。まさに失われた○十年。
頁52
「叶宁」と名札の出た扉をノックしても答えはなかった。
「宁」の説明は、何故か下記がいちばn詳しかったです。
宁とは (チョとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%AE%81
なぜ「葉」の簡体字が、"xie"とそれまで読まれてきた別の漢字「叶」になったのかは、
個人の方のブログで、考察しているものがありました。
この本には1979年から書き続けられた、関東郊外のある村(現代は郊外)の、
ある世代についての連作が表題作以外に収められ、これもひっくるめて大石静ダメか、
と思いました。(納得は出来ます)
頁226、噂は逆にひそかな賞讃のアウラと化してなど、
例のインテリ口調は健在なのですが、そういう小手先ではおえんのか。
分かります。以上