- 作者: 魚乃目三太
- 出版社/メーカー: 秋田書店
- 発売日: 2015/08/07
- メディア: コミック
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名前にともに、ぐうぜんサカナがついてるだけの別人なんでしょうか。
- 作者: 魚柄仁之助
- 出版社/メーカー: 青弓社
- 発売日: 2015/08/07
- メディア: 単行本
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聞いたことのある話ばかりとのことでしたが、どうして中々、初見ばかりでした。
よく調べられている。
スタンスとしては、戦地に赴いた人々に暖かいまなざしを向け乍ら、
アメリカとの埋めがたい差、どうしようもない物量差を冷静に受け止めています。
その辺、下記のヒサクニヒコ作品なんかとも共通する視座だと思いました。
Yahoo!知恵袋
サンケイ出版の(第二次世界大戦ブックス別巻4)を探しています
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1395187643
なんで文春漫画賞受賞作品集が、作者のWikipediaからも抜けてたりするのか。
あとがきの執筆契機となった南方帰りの人の絵について、
やなせたかしがあんぱんまんを描いた契機とダブりました。
ひとは同じことを考える。
カツ丼の話、みりんなどどうしたんだろうと思いましたが、
その時はあったか、砂糖で代用したのでしょうね。
そういえば、兵役で厨房に入って帰って来たお年寄りが、
チキンライスなど作ると、たくさん砂糖を入れていたものです。
宇都宮ギョーザの話は、ギョーザといえば水ギョーザが現地中国のデフォなのに、
鍋貼と呼ばれる焼きギョーザがなぜ日本の餃子メインストリームになったのか、
がまず1点、開拓団他民間人も多くいた満洲なので、
一般人ほか経由で日本に伝わった可能性もまた強いのではないか、
(憲兵の父の赤塚不二夫の回想などを読んでも思うこと)がもう1点。
以上2点が加味されていれば、もっとよかった気がします。
島田一男の『大陸秘境横断』、のちの徳間文庫
『中国大陸横断―満州日報時代の思い出』の中に、
日清日露で原隊復帰出来なかった日本兵が現地に帰化して暮らす、
満州平家村の話があります。生きて虜囚の辱めを受けず、
は昭和の話と思っていますが、明治でも、そんな空気はあったのでしょうか。
そのあたりと組み合わせても面白い気がします。
あとはまあこの漫画とは関係ないですが、なぜ韓半島では、
ギョーザがマンドゥ(饅頭)という名称で定着してしまったのか、
地続きなのに日本の焼きギョーザ以上にズレが生じた理由はなんなのか、
(山東半島から黄海を経て伝わったとしてもやはりおかしい)
だいたい中国ではマントウは具なしで、具があったら包子、バオズ、
神保町のスヰートポーヅになるわけで、韓国のマンドゥは個人的に謎です。
その話もあったら盛りだくさんだったな、というところ。
あと、埼玉の羽生のゼリーフライ*1も、日露の後に大陸帰りの兵隊だかが、
始めた料理との説もあるそうなので、こちらも是非、でしょうか。
そういえば、ちゃんころって、江戸時代など近世では、北関東の河川の、
小舟の俗称だったみたいですしね。
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20130519/1368961189
思った以上によいマンガでした。ヒサクニヒコの漫画も島田一男も思い出せましたし。
自分の過去の日記まで検索してしまった。あの頃脳みそチーズだったな。以上
*1:羽生でなく行田でした。https://www.city.gyoda.lg.jp/15/04/12/gurume/zerifurai/zerifurai.html ご当地小説、日露戦勝が舞台設定の田山花袋の田舎教師に出て来ないので、それ以降開発された食べ物と私は推測しています