『競馬人間学』(文春文庫)読了

競馬人間学 (文春文庫)

競馬人間学 (文春文庫)

『陰謀馬券の正体』*1に出てくる人物の中で、この人の個所に惹かれ、
それで読んでみた本。競馬にまつわる様々な職業、
調教師厩務員騎手etc.獣医装蹄師馬の整体師一口馬主馬頭観音馬具商職人、
JRAのコンピュータシステム、ジャリス、
トレセン移転時の美浦村で起こった小学校の在校生転校生集団の狂騒曲、
ほかについて、取材して淡々と書かれたエッセー集。
カバー:玉井ヒロテル 解説:加藤仁 どちらもWikipedia項目なし。
以下後報
【後報】

美浦トレーニングセンター Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%B5%A6%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC
公式
http://www.jra.go.jp/miho/
(2016/3/21)
【後報】
この本は、馬券より馬を愛した人たちの時代の、忘れ難い記憶と思います。

頁38 脱サラ厩務員談
「正直なところ、新聞社に入った頃は、厩務員の生活を低く見ていました。なにしろ、むかしから、“豆の腐ったのはナットウで、人間の腐ったのはベットウ(別当=馬丁)だ”なんていう言葉をよく聞かされていましたからね。ところが厩舎回りを続けてみると、人間的にも信頼できる人が多く、それまでの考え方が変った。

終身雇用が崩れる前の時代なので、中途転職に対し、夢と希望溢れる文章です。
自己責任の負の側面など、ものがたりには不必要だった。

頁88 発馬機導入前の職業、発馬係“馬追い”老人の現在
 私がはじめて口をきいたのは、ある秋の日の早朝、陽がようやくのぼり始めた頃であった。取材の帰り、ふと見ると、かれは競馬場のコースの芝生の上にしゃがんで、しきりになにかを捜していた。「どうしたんですか」と訊くと、「やあ、ご苦労さん」と叫び、「朝の味噌汁のミをとってるんだ」と言った。見れば、袋の中に、薄茶色のシメジのようなキノコをたくさん採っている。シバタケ、と言うのだそうだ。私は初めて知ったが、華麗なレースがおこなわれる芝生のコースを観察すると、芝生と同じくらいの高さで、ところどころ、そのシバタケが頭を出している。

これは私も食べてみたいです。

頁171、根岸競馬記念公苑には、私も行ってみようと思います。

横浜観光情報
http://www.welcome.city.yokohama.jp/ja/tourism/spot/details.php?bbid=121
公式
http://www.bajibunka.jrao.ne.jp/uma/

「根岸競馬」で検索ワードの入力を中座すると、「根岸競馬場 侵入方法」が出て、
おかしかったです。それを選ぶと、「まず不可能」というサイトが来る。

頁180 オンライン発券システムの話
(発券ミスについて)「あることはあるのです。機械ですからね。その確率は、馬券百万枚について一枚だと言われます。国鉄の自動券売機は十万枚に一枚の割合でミス・プリントが出るそうですが、それにくらべれば性能は高いと思います」と言う。(中略)開催中の東京競馬場でいえば一日の売り上げ枚数は場内で八百万枚、場外の分を含めると一千五百万枚に達すると言われる。とすると、ミス・プリントは一日に十五枚も出るのである。
――それが大穴馬券だったら儲けものですね。
 思わずそう言ったら、担当者にしぶい顔をされた。

頁195
担当者としては、あらゆる事態を予想して“訓練”に余念がない。
 たとえば、二頭同着、というのがある。平均して年間に二十回ぐらい、一、二着が同着であったり、三、四着が同着で会ったりする。そのときは、“操作卓”の操作が変るので習練が必要だ。“三頭同着”ということもあるそうだ。
「一、二、三着が同着ですか」「ええ。確率からみて百年に一度は出るといいます」
 日本の競馬では……すくなくとも中央競馬会が発足してからは、まだ一度も出現していない。写真判定の技術が発達した現在では発生しないかもしれん。しかし、万一の場合に混乱をきたさぬようトレーニングは積んでおく。“特払い”(特別払い戻し)のケースも考えられる。つまりは、「馬券の的中者が一人もいない場合」である。そんなこと、あるのかなあ。
中央競馬のレースでは、この十年間に一度ありました。昭和四十六年、福島第二回三日目の第一レースです。“単勝”の的中者が一人もなかった。一枚もなかった」
「どうなるんです?」

頁200 ジミ屋にトライ
毎年、払い戻しにこない馬券がかなりの額にのぼるというからなあ」と言った。調べてみると、年間の当り馬券の無効金額、つまり時効金は五十二年度では八億円、五十三年度ではおよそ十億円に達している。なんと、もったいない。これらは自動的に競馬会の収入となる。

頁224 引退後のハイセイコー
 ハイセイコーは私の好きな馬、である。はじめからファンであったわけではない。好きになったのはダービーに三着と負けた頃からである。
 これほど馬鹿な馬があろうか、と思った。
 がっしりとした体軀はたしかに嘘いつわりのない実力を秘めている。しかし、いかにもT・P・O(時・場所・レース)を心得ない男である。私は愛着のあまり「馬呆」ではないのか、と呟いたことさえある。「馬呆」とは馬の馬鹿のことで、またその名を「星覗病」といい、その症状についてはH・ガイヤー著『馬鹿について』という書物のなかにも詳しい。むろんハイセイコーは病気でもなければ精神異常者(かつての奔馬カプトシローは精神分析の必要があった)でもない。むしろ健全すぎるほどの健康馬だが、かれが走る姿を見ていると思わず口惜しまぎれに、「ああ馬呆!」と叫びたくなったものである。

馬の整体師が出てくるくらいなので、この本ではこの描写は少しも不思議ではないです。
下記は引退後のハイセイコーへの変らぬ子どもたちの応援の声。

頁229
 子供たちからの送金はすでに十万円に達すると言う。いまでも牧場には毎日のように、角砂糖やニンジンをつめ込んだダンボールの箱が送られてくる。そのなかには、習いおぼえたばかりの、あどけない字でつづった便りが添えられていると言う。……私は、どうも最近、こういう子供のなすことを見たり聞いたりすると気が弱くなってしまう。当方が下手な種付けして繁殖、育成した二人の子も同じ年ごろで、ことし六歳と八歳になるからである。

こう書いておいて次のページでは、ハイセイコーの童貞喪失会場を観覧し、
宮本武蔵佐々木小次郎の決戦場を思わせるような、
ゆったりした清潔な屋内である
なんて書いている。

馬券だけでなく、いまそこにいる馬を愛せ、ということでいうと、
ダビスタみたいなゲームや、ゆうきまさみマキバオーみたいな漫画もありましたが、
むかし新潟の三条に行ったとき、地方競馬場の跡地を見て、
むかしの映画のほうの戦国自衛隊とか、つはものどもがゆめのあとってホントだな、
とか思ったのを思い出しました。どっとはらい
(2016/3/23)