『ニッポン日記』 (ちくま学芸文庫)読了

ニッポン日記 (ちくま学芸文庫)

ニッポン日記 (ちくま学芸文庫)

草野心平居酒屋火の車の板前回想録*1に出てくる本。
常連の筑摩社長古田晁を語るくだりで、社長の荒飲を支えたベストセラーとして出てきます。
Japan Diary

Japan Diary

以下後報
【後報】
初版は昭和二十六年、サンフランシスコ講和条約調印後、発効前。
オキュパイドジャパン最後の徒花。GHQが、最後だからいっか、
みたいに検閲を緩めて?、進駐軍内部の対立から占領政策の変容まで、
まったく日本人一般に知られていない内容をバカバカ書いた本書の翻訳出版を許可。
砂に水が沁み込むようにベストセラーになった本とのことです。
1963年筑摩叢書として再版。解説中野好夫。それがそのまま1998年ちくま学芸文庫化。
カバー写真は毎日新聞社提供。

頁188、世界産業労働組合(Industrial Workers of the World, IWW)の歌として、
戦後の藤崎健一訳として、
♪牧師がおごそかに 天国を語る時 おれたちは 腹がへる
という歌が出てきますが、タイトルがないので検索したら、
「牧師と奴隷」という歌のようでした。IWWの歌ではないと思うのですが、
同じくそう考えて当惑した作者の気持ちを察して訳した感じです。

頁206、総司令官を、シュープリーム・コマンダーと呼ぶとは知りませんでした。
ダイアナ・ロスのようだ。
頁208現在終戦連絡事務局次長をしている白洲という、ひょうたんなまずのようにつかまえどころのない人物
ハンサムでクール、伊達というイメージでしたが、これはこれでいいのか。
1946年4月7日の日比谷公園デモ見物、月収五百円(三十三ドル)の制限廃止を叫んだ
とあり、今もむかしもデフレ脱却、と思いました。
(ちがう。当時はインフレだからちがう。なぜ給与だけ据え置きなのか)

頁322
大勢の子を産んだ彼の妻は悍婦で、彼を策謀から策謀へと駆り立てていった。東条が陸軍大臣になってからは、東条夫人は東条の一挙一動ごとに新聞記者やカメラマンを呼びつけた。日本人は彼女のことを「東美齢(日本の蔣介石夫人)」とあだ名してひそかに軽蔑していた。

これは知りませんでした。ここは各A級戦犯の著者評なのですが、
重光葵とか、広田弘毅とかは書いてません。東条と木戸と大川を書いてる。
近衛はまた別のページで書いてた(はず)
(A級が何人で誰と誰かとか、うろ覚えのまま私はこれを書いてます)

頁397、軽井沢で、進駐軍関係者ということで日本の宿に泊まれず、
GIでもないので進駐軍ホテルにも泊まれない作者に現地GIが、

「大佐はゲルダーのやっている下宿屋はどうかと言っておられます。あすこは設備もいいです」
ゲルダーって、もとナチの役人で日本に来ていたやつかい? あいつは戦犯容疑で巣鴨に入ってるはずだが――」とウォーカーが口をはさんだ。中尉はその男かもしれないと答えた。ウォーカーと私はゲルダー氏とはまったくかかわりたくないと言った。
 その晩は結局、松方女史の家に泊めてもらった。その家は戦争中から板づけになったままだった。早夜の静けさの中に、男の子のかぼそい声が、ドイツ語で話しているのがきこえてきた。
「ママあの空家に誰かいるよ。何をしてるんだろう?」

風立ちぬ、って感じの個所と思いました。パヤオの。
作者は亡命ロシア人なので、その辺とても敏感というか矜持がある、
と解説にはありますが、元々ギンズバーグ、ゲインズブルクという姓なので、
露西亜人じゃなくて在露ドイツ人(もしくはユダヤ人)じゃないのと思いました。

1946年の広島描写は、現地の子どものコメントなどを取材していました。

頁489、井上日召パトロン竹内氏を訪ねるくだりもよかった。
竹内の茨城県における関係は、なおデュポン家のデラウェア州におけるがごときものがあった。
水戸藩の歴史、水戸学から彼らが生み出されたことを、作者も指摘しています。

頁502
 東京を留守にしているあいだに、中国代表団は記者会見をおこなった。その席上、中国が日本から欲しがっている蚕の取引を断わった「特殊会社」を攻撃した。彼らが従来の羈絆を脱したのはこれがはじめてだったが、なかなか猛烈にやったそうだ。
「戦前日本に屑鉄スクラップを輸出していたその特殊会社が……」
 マーカット准将が、中国側の声明のニュースをもってマックアーサー元帥のところへかけつけたとき、元帥はいらだたしそうにこう言ったという話だ。
「やつらは何が欲しいんだ? われわれに借りがあることを忘れたのか?」
 そして中国の申請を拒否したのもマックアーサー元帥自身だという話もきいた。
 元帥がそうした理由を、総司令部の蚕糸業関係のある顧問はこう説明した。
「日本を援助しようとしているときに中国の蚕糸業を確立させようとするのは、全然意味をなさないからね」
 中国人以外誰一人思い出そうともしないのは、一九三七年までは中国の蚕糸業がさかんだったことである。その年に日本軍が侵入してきて、それを根こそぎ破壊してしまった。日本の蚕糸業は、当時も今と同様競争はお好きではなかった。

この本は、当時の記録をそのまま残すことが一義で、
情報の正確さに関してはむにゃむにゃなので、これが本当かどうか知りません。
田中メモランダムを、執筆時点では捏造と理解出来てますが、
そんなような通達はあったみたいなことを別の個所で書いてる本です。
頁541、朝鮮戦争前に脱北を有償支援してた団体名が「朝鮮紅はこべ団
内容は、今の、シリアから欧州入りを金次第で請け負う連中みたいなんでしょうが、
名前が秀逸すぎると思いました。
コレヒドールアイシャルリターンからずっとマッカーサーに付き従ってきた軍人たちを、
バタァンボーイズ」と呼んだりするのも気が利いてると思いました。
頁555、湮滅 一発変換出来てびっくりです。以上
(2016/8/6)