『中里恒子全集 第八巻』読了

国立国会図書館リサーチ
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001450384-00

解題:岡宣子 表紙デザインが誰なのかは書いてませんでした。
作者の傾向から言って、作者ご自身の持ってる布地とも思いますが…
奥付には、表紙布:望月株式会社 とあります。誰なら。

作者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%87%8C%E6%81%92%E5%AD%90
出産の後結核で療養、離婚を経て、娘が米国人と結婚することになり、かつて国際結婚を冷静な目で見ていた中里自身が大きな動揺に襲われるという経験をした

その、娘さんの結婚を描いた作品が収録されてるとのことで、読みました。

全集なので、毎回の配本には、小冊子がついているわけで、
この本のそれは、昭和55年3月 月報6 で、河盛好蔵中野孝次の文章と、
阿部昭との連載対談第6回が載っています。みな、作者のこうした小説、
これでデビューしたんだからこれで往け、みたいな小説を望んでたんだなあ、
と思いました。しかし作者としては、不詳カワバタとのアレ、みたいなものが、
自己の本銭だと思っていたでしょうし、この本の大半も、そうした、男女の吉備、
津の釜、否、機微を描いた作品、『天使の季節』が占めています。
私はあまりそういう小説を、特にモテの女性目線で描いたふっくらしたものを、
読んだことがないので、乏しい経験からいうと、田辺聖子の小説みたいと思いました。
連城三紀彦宮本輝には絶対に書けないじゃいか、と思います。

連載対談 中里氏に聞く6
中里 やっぱり小説家って、長生きしなきゃダメですね。つくづくそう思いました。あたくしだって若いうちに死んじゃえば、何だ、お嬢さん芸で、甘い、それでおしまいでしょう。 

全然関係ないですが、中国語の新年会で、「お教室」という単語を聞き、
ほんとに文化資本はコワいと思いました。そう言わないとおさまりがわるい。

頁41「天使の季節」
「ただね、わたしたち仕事の忙しいのは嬉しいがね、このいまの金持というと、長持ちがしないのがどうも……わるいけどよ……」
 正夫は、どこの話だかわからない職人たちの話の中に、世相の真実を感じていた。およそ金持――と言われるほどの家の変化のなさを、正夫も幼な心に覚えている。
 いつ行っても玄関の蘇鉄にかかっている藁帽子、切火の三つほど埋っている唐銅からかねの火鉢、つめたい絹の座蒲団、お化けの出そうな暗い電気――應接間にも、新式の家具はみえず、いつも同じ場所にある、座りの悪い古びたテーブル、その上の埃くさいドンスのテーブル掛、……そして出てくる菓子も、冬は何屋の羊羹、夏は金玉糖ときまりきっていたことが、正夫は、滑稽になつかしく思い出される。
 こうして何十年でも同じ水準の生活を保つことが、金持の證拠であった昔と違って、現在では、金をもうければ金持、失敗して家も自動車も売りとばしてそれっきりになっても、またうまくいって金さえはいれば忽ちなんでも買えるから、ひとびとは執着もなく、くよくよもしないのだ、これが近代の性格だ。……

作者は基本旧かな遣い𦾔漢字使用の人なのですが、こうして写していると、
「玄関」の関は關じゃないの、とか、「座蒲団」の団も團だろう、とか、
詰まる音の「っ」が小文字だ、とか、重箱の隅が眼についてしまいます。
まあ文選工のミスが校正チェックすり抜けたんでしょうけれど、たぶん。

で、どこの商家にも店の横に磨硝子戸で仕切られたこうした応接間があって、
ペコペコでないぶあついガラスの灰皿があったなあ、と思い出します。
(ガキ帝国で、ペコペコの灰皿はアタマパコーンとはたくのに使うが、
 分厚いクリスタル灰皿でそんなことしたら一生日陰者なので、
 正面から撞いて鼻折…鼻血ブーに使う、みたいな)
でもそんなの普遍じゃないですよね。明治はそうじゃなかったと思いますし。
関東大震災と空襲で、建築様式の継承に断絶がある。色即是空グランゼコール

頁143「天使の季節」
 ふく子は、そのそばまで行き、野瀬は、ふく子の白い靴を見て、
「どうします……」
「……あぶらっこいお食事は?……」
「食べることだけは、元気がいいな、じゃあ、うちへ来ないの?」
 野瀬は、歩きながら言った。ふく子も、まっすぐ向いたままで答えた。
「ええ、ゆきません……」
「ふうん、来たくない?」
「ええ、ゆきたくないわ……」

否定の疑問文に対する回答なので、
いいえ、ゆきません、ではなく、ええ、ゆきません、となる日本語。
このふたりは、ビフテキとか若鶏とかばっか食べます。頁193など。
で、このお嬢さん、花嫁修業で、働いてないのかな?
そこが、作者の當然読者の非常識で、書いてくれないと分からないところでした。
頁192、庶民のタイピストの社内恋愛は、アッフェヤァと書かれていました。

頁184
 番組の踊りが済んだところで、観客は、食事に立った。一作は、多加がお弁当をもってきたというので、眼を丸くした。
「ほう、戦争中のようだね……」
「だって、時間が忙しくて、おちおち頂けませんもの……」
「そりゃそうだが……なにを持ってきたんです、むかしの芝居みたいで、たのしいじゃあないか……」
「あら……そんな洒落たものではございませんわ、お待ちになって……」
 多加は、にこにこしながら、縮緬の風呂敷をほどいて、重箱を取り出した。
「はい、あけてごらんなさいませ……でも一緒につめてありますわ、あんまり、お重がかさばるもんですから……」
 一作も、笑顔になって、朱塗りの重箱をあけた。里芋やごぼうや焼豆腐のお煮〆に、一口に揚げたヒレ肉、たまご焼、芽生姜、それに、青くさやを焼いてむしり、酢醬油をかけた一作の好物が、端に添えてあった。
「やあ……心づくしのものを、ありがたいね、こんな家庭的な弁当を、誰にも作って貰ったことがない……うまそうだね、」
 一作は、子供のように相好をくずして、箸をとった。多加は、小さな魔法壜に、濃い茶をいれて持参していた。
「さあ、いっしょに食べましょう……たまご焼をおとりしましょうか、」

そんなことを言いながらも、この紳士の自宅の食事も、お手伝いさんと娘による、
頁164なめこのおろし和え、ひらめの空揚げ、お豆腐のおつゆ……」
などです。カレイの唐揚げは今でもありますが、ヒラメも揚げるか。

で、「鎖」と「遠い虹」が、娘がアメリカ人と結婚して、
アメリカ国籍(市民権?)をとって、日本滞在時は日本は二重国籍NGですから、
日本国籍を離脱したあとの滞在となるわけなので、外登を持ち歩く(当時)までの、
母娘の長いストーリーの、おそろしくスクウェアというかシャープな簡約です。
やわらかく、甘いのに、こんなに乾いてインカ帝国と思いました。
上にアフェアの作者のカナ表記写しましたが、

頁260「鎖」
「……アイ アライヴド ヒヤ オン サード ラストサンデイ、イヅミ ドライヴィング ザ カンツリーロード、ウイ ガット イン ツウ ザ アクシデント、……ええと……ボストン旅行のことが重要なのよ……ホエン ウイル ユウ ビイ フリイ ツウ テーク ケア オブ ミイ アウト イン ザ イースト コースト……」

娘は、母を、「まま」と呼びます。作者は、それを、カタカナでなく、
ひらがなで表記します。二歳三歳四歳の孫三人を連れて三浦への帰郷、
幼児乍らすでにガンコな自我を確立している三人の孫は(実存)主義者と形容されてます。

頁375「遠い虹」
(前略)……さて、晩の食事は、なにをたべますかな、」
 クリームを食べ終わって立ちあがったユージン夫人は、
「主義者たちは、フライにサラダ、ままとあたくしは、お刺身にならづけ……どう?」
「おつきあいするわ、だけど、主義者たち、だまっているかしら。この間、うにを、うまがって食べたし、白身のお刺身も、お頼みなさい……」
「そう……それでは、ふんぱつしてやりますか……お刺身たべて、ミルク飲んだりして平気なのは、うんざりするけれど……」
 そのとき、かをるの部屋へ、マイケルが、はたきを振りかざしてはいって来た。

マイケルは長男。ユージン夫人は、「鎖」ではいづみと書かれていた、娘。
ユージンは、旦那ですが、オウンネームのはずなので、ユージン夫人という表現は、
ちょっとヘンじゃねーかと思いましたが、ファミリーネームの書かれた箇所を、
いまぱらぱらめくって、探し出せませんでした。

私も刺身食べた後、食後なら、牛乳飲めます。それだけ食生活が欧化してるのかな?
落ち着いた小説をゆっくり読むと、落ち着きます。以上