- 作者: デイヴィッドマレル,定木大介
- 出版社/メーカー: 柏艪舎
- 発売日: 2005/08/01
- メディア: 単行本
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https://www.amazon.co.jp/Black-Evening-Tales-Suspense-English-ebook/dp/B00L94GIL6/ref=sr_1_sc_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1496236558&sr=1-1-spell&keywords=Black+evenig
宮部みゆき編纂「贈る物語 Terror みんな怖い話が大好き」*1に出てくる小説、
ランボー*2の原作者の短編がもともと収められてた短編集。
(訳者は宮部編と本書で異なるのかな?)
邦訳は宮部が採った作品タイトルですが、原書は別の作品のタイトル。
作者がこれまで書いてきた中短編を、それぞれの時期の人生回想を添えて、
クロニクルチックに収めています。作者はたいへん悲しい体験をしていて、
そのイチバンのヤマに邦訳表題作を書いたそうで、そのへんのくだりを、
むきだしに吐露してしまうところが、オープンなアメリカ人というか、
さすがツイッターとかSNSとか発明してしまう人たちだなと思います。
これを読者にぶつけてくるのか、読者はこれをも貪欲にファンサの一環として、
取り込んでしまうのか。作品を作品として、作者と切り離して咀嚼したい人には、
まったく災難な短編集と思います。
巻頭言はサルトル"La Nausee"『嘔吐』より。
不思議な因縁を感じましたが、作者は、大学のエディターズスクールで、
ウィリアム・テンが本名フィリップ・ロスの名で教えていたクラスの生徒、
というか、講義取ってないのに作品を持ち込みまくる英文科院生だったそうで、
自分の内なる恐れを見つけよ、との師の格言が登場します。
ウィリアム・テンはホラー小説家でなく、ユーモア小説家ですが、
師は正しく弟子の適性を見極めていたのでしょう。
家庭環境の話(と恐れ)、テレビドラマ「ルート66」に衝撃を受けて、
不良生活から足を洗って職業テラーを志す話、
ジョン・プアマン「脱出」原作小説の数年前に同様の恐怖を感じた話、
- 作者: ジェイムズディッキー,James Dickey,酒本雅之
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2016/08/27
- メディア: 文庫
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クラスから、その恐怖を紙におろした習作が、ジェフリー・ハウスホールド云々と、
指摘された話、等々がマクラで登場します。
- 作者: ジェフリーハウスホールド,Geoffrey Household,村上博基
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2002/08
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深夜ドラマのナイトヘッドとかそういう風潮をスルーして生きてたので、
目新しい感じでこの短編集を読みました。最初の数編は、いかにも、
アメリカの競争社会で、なんとかモノになろうと苦闘する、
若い夫婦のヤングハズバンドが透けて見えて、ほほえましかったです。
バンドとかもそうですが、あっちって、なんでも、やるからには、
上を目指す社会的風潮があるんですかね。それですそ野が広く、
層も厚くなるが、やっぱ生き抜くのがたいへん。
日本のエディターズスクールで、プロになったっちゅうと、
ほかの方のブログで知った、柚月裕子を思い出しますが、
柚月裕子もアマゾンレビューとかだと、日本ならではの陰湿な、
足を引っ張りたいだけのあれこれが書き込みで散見されて、
その辺ブンカやっぱりちがうのかしらと思います。
頁61「ひそやかな笑い声」短編自体が、短編集後半の盛り上がりの、
伏線になってるっていうのが、なんとも声が出ません。
頁83「タイプライター」はしこい茶ギツネが、のろまな犬を飛び越えた、
The quick brown fox jumps over the lazy dog Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/The_quick_brown_fox_jumps_over_the_lazy_dog
頁148「背後に絶えず聞こえるのは」どうしたら売れるのか、
大学で教える仕事にありつきながら、日々悶絶する作者の、
魂の叫びが聞こえてくるような作品。なぜ最後の数ページで、
めくるめくように謎解きと真の恐怖の訪れを紡ぎ出し、
読者の足元を掬ってくれないのか、ちょっと恨めしい作品。
(表題作以前の作品は、途中でネタばれしといて、
それでその後の恐怖を読者に共感させる仕掛けなんですが、
これなど、最後にネタばれで奈落陥穽のほうがいいのに、と思ったので)
なんでベルが鳴るの? という無理のある設定とか。若いから余裕がないというか、
生硬というか、全盛期のマルキーニョスみたいな、決まるシュートが、
放てない、焦ってふかすとかキーパー正面になってしまう、つらさ。
せっかく作者の実話をもとにした話だというのに…
頁208「白と黒、それに一面の赤」かつて新聞配達は少年の小遣い稼ぎだったが、
誘拐が多発する世の中になって、大人の仕事になったと、実際に作者の、
近隣でも失踪した少年が複数いて二度と見つからなかった、という事実を引いて、
それをもとに一つのフィクションを描いています。が、事実の力の前に無力か。
頁276マンボー・ジャンボーちんぷんかんぷん
https://dictionary.goo.ne.jp/ej/55597/meaning/m0u/
http://db.nichibun.ac.jp/ja/d/GAI/info/GG099/item/299/
http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9C
頁346「苦悩のオレンジ、狂気のブルー」
作者はこの辺でオーバーワーク状態に気づき、
職業小説家として身を立てる決心をして、教職を辞します。
私は、スティーブン・キングの小説も読んだことないのですが、
作者が、重篤の状態に陥った十代の息子を集中治療室で見下ろしながら、
片手にスティーヴン・キングの小説を持っていることに気づき、愕然とし、
(二人は友人だとか)
とはいえ、自分が現実の恐怖のただなかにあるのに、なおつくりごとの恐怖譚を読みふけるというのは、われながら奇妙に感じられた。そして、ふと思った。つくりごとの恐怖譚が逆に現実の恐怖に対する防壁を提供してくれることもあるのではないか、と。そういえば、ファンはしばしば自分の身に降りかかった不幸や災難について書き送ってくる。死別、結婚生活の破綻、失業、火災、洪水、自動車事故などなど。それらの手紙には決まって、私の本が眠れぬ夜を過ごす助けになったと書かれていた。(中略)私は病院にマットを見舞うかたわら、この中編を書きあげた。これはゴッホの絵に対する心酔から生まれた作品であり、狂気をテーマにしていながら、逆に私の正気を保ってくれた。
作者はベトナム経験ないのかな? 有名な作品はランボー*3の原作ですが。
そして、アメリカの恐怖ジャンルは、ベトナム以後飛躍的にそのテクニックに、
磨きをかけたとNHKのドキュメンタリー番組で見ました。
なぜ私がこの作品にひかれたのか(だから宮部から元短編集に遡行しようと思った)
そしてなぜこの小説に横溢する、生きようとする力に圧倒されたのか、
分かった気がします。でも、そんな説明抜きで、読み終えてもよかったな、と。
作者の実生活で起こった、天地がひっくり返るような、ぐらぐらする気持ちまで、
わかちあってしまった。
作者 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%AB
上記によると1970〜1972の二年間しかアイオワ大学で英文学教えてないと
なってますが、本書では1986年まで16年教えていたとあり、
どっちがほんとか分からないです。
あとの短編は、作家として油ののりきった技術と、喪失の空虚からの回復、
ふたつの矛盾する要素が、ともに垣間見られる気がして、その後の人生、
という言葉がよぎりました。
最後の作品「慰霊所」は、妻子を失った男性が、同様の境遇の人びとの、
集まる自助グループ?の中で、酒に逃げちゃ駄目だと言われながら痛飲する話で、
ある日グループの仲間までも自死してしまい、ますます飲んでしまい、
最後のくだりなど、例の酒と抗うつ剤のコンボのような独白と酩酊で、
大丈夫かよ(大丈夫じゃないと分かっていながらそう言う)でした。
で、その後のあとがきで、主人公と違って妻までは失ってない作者は、
20年住んだアイオワからサンタフェに校了直後引越しました、とのことで、
転地療法ヨカッタデスネ、と思いました。
(というか、わざわざWikipediaでその後の人生を検索してしまった。
心配になったので)
以上