『空爆と「復興」―アフガン最前線報告』読了

空爆と「復興」―アフガン最前線報告

空爆と「復興」―アフガン最前線報告

頁数469+付記等 読んだのは2004年7月二刷。
最近の、初版をワザと少なく刷って、「発売忽ち増刷!」と煽る、
あのテクとは無縁と思います。
著者、PMSペシャワール会医療サービス)の本は、三冊目ですが、
巻を重ねる毎に、前の本での疑念に、著者らが答えてくれてる、
そんな幻視感を抱いてしまうような、読書時間でした。
私と同じ疑問を多くの人が持っていて、彼らにぶつけ、
彼らは彼我の温度差や認識の違い、情報の差に当惑しつつも、
絶望することなく、真摯に答えてくれたのだと思います。

<一冊目>
アフガニスタンの診療所から
 A Report from the little clinic in Afganistan』元本は1993年刊
(ちくま文庫)読書感想
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20170527/1495882176
<二冊目>
『医者井戸を掘る―アフガン旱魃との闘い』読書感想 2001年刊
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20170622/1498077064

繰り返しますが、本書は2004年刊です。

まず、本書がアフガンの首都をカブールと呼ばず、
カーブルと書いている点が気になったので検索しました。

カーブル Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB
日本の主だった報道機関各社は「カブール」という呼称を用いているが、学術的にも一般的にも「カーブル」が妥当である[1]。現地語での発音も「カーブル」に近い。


前二冊で気にならなかったのに、不思議です。

で、この本は、三部構成です。
一部は中村医師が日本で発表した文章やスピーチ。
二部は、会報に載った現地スタッフのリポート、声。
三部は、事務連絡含むメール文章。
その三部で繰り返し同じ時系列を扱ってますので、
(9.11発生から欧米のアフガン進攻、タリバン政権崩壊とその後が、
 ヒンドゥークシュを襲った干ばつの発生進行と並行して描かれる)
よく噛んで食べた感が凄いです。咀嚼しまくりでした。

彼らと私たち(の中の頭でっかちな部分)の差異による対話は、
尽きることがないのですが、アルカイダ、オサマビンラディンを匿う、
タリバンを肯定してよいのか?という疑念に対しては、
タリバン政権のよって立つ基盤が各地域の長老会、ジルガであり(頁13/51)、

頁19
 タリバンの一部がビンラディンに協力していることも承知の上で、「彼は掟として守るべき客人ではあるけれど、迷惑だ」というのがタリバンの大部分を含めたアフガン人の一般的な受け取り方です。

ということになります。タリバンは神学生あがりの、
ファナティックなファンダメンタリストではないか、に対しては、
公開処刑やブルカ着用は治安回復に劇的な効果があり、
さらにいえば、部族の慣習法でもあるので、地方を知らない外国人が、
カブールから郊外に赴いて見て、偏見を抱いて帰っただけとも言える、と。
北部同盟の天下は犯罪天下でもあった、略奪婚等)
頁107で、医師以外の現地スタッフが、数年前までマスードファンだった、
と書いている点など、PMSは多様な意見が交わせる自由があるんやね、
と、思わず口角があがりました。

頁107 医療スタッフの現地レポ
 一緒に働くアフガン人スタッフにタリバンのことを聞くと、「音楽を聴くのが禁止、写真撮影が禁止、泥棒は手首から切り落とされる、最もスタッフが嫌がるのは、暑い中、顔中の髭を伸び放題にしなければならない事などを強制されるのがなあ」と苦笑いはするがタリバン政権は全く悪いのだとは言わない。

安倍政権を全く悪いのだとは言わないのと一緒ですね。
えっ、一緒じゃない? 違うんですか? どうチガあfかf;h;あふじこ
神学生あがり、という報道は、確かに私も、文革紅衛兵や、
カンボジアクメール・ルージュを連想してしまい、それが、
バーミヤンの石仏破壊で、確固としたイメージになっていたので、
この本を十年前に読んでいたら、今のように素直に読めたかは、
疑問です。

タリバンの女性に対する扱いに対しては、頁40などで、
タリバンも表と裏、建前と本音があって、隠れ学校などは、
タリバンの黙認容認があってこその、存続だったんだよ、
としています。被り物に関しては、ここ数年、
主に東南アジアからの女子留学生によって、日本社会も、
革命的に「イスラム女子」に対する認識が変わったので、
この本当時のように、欧米化した一部のエリート女子の意見を、
盲目的にとりこんで、ブルカとりなはれとは言うことはないと。

私は前読んだ本の感想で、中国も韓国も出ない、と、
ボソッと書きまして、中国はこの本にも出ませんが、韓国は、
頁47、まごころのこもった支援をいただいた日本や韓国の人々に感謝すると同時に、
という箇所でまず出ます。あと、頁377に、
やたら探りを入れてくるキリスト教NGOの韓国人が登場し、

メール 2002年10月7日
 冒頭のキリスト教系NGOは援助活動と共に布教活動を行う事で特に評判の悪いNGOであり、二〇〇一年八月にはタリバン政権によって閉鎖追放処分を受けています。今年の初めから再び活動を開始したと言っていました。

この二ヶ所が韓国人登場個所です。

頁65、ソルゴーが出て来て、懐かしかったです。
おおむかし、この日記書き始めのころに、
調べた草だったので。

2012-09-25 謎の2メートル草
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20120925/1348533141

この本、編集抽出を経た文章ばかりではありますが、
みなさん、日々忙しいのに、よくこれだけ書けると思いました。
これがどこの職場にもあるような日報だとして、
よく書けるな〜対峙に際しての自覚が異なるんだろうな、
と思いました。自分は書かないが他人が書いたのは貶める、
そんなキャラが混じりこむともうその組織の衰退腐敗は、
約束されたようなものですが、そういう人はいたのかどうか。
で、この本、相変わらずですが、PMSという団体のチビしさも、
サクッと載せてあります。

頁61
 しかし、ダラエ・ヌールに貼りつけになる日本人担当者が居ず、この計画はしばらく私の夢に出るだけでした。そこに、一昨年一二月、現責任者の目黒氏が専従で来ました。しばらく放置して様子を見ていると、現場を取り仕切っていた現地出身のPMS職員・ヨセフと仲良くなり、案外地元によく溶け込みました(ちなみに、普通の日本人ワーカーなら、このあたりで頭が変になるのですが、彼は我流で現地のパシュトゥー語を覚え、任務を楽しくこなしていました。PMSは他のNGOと異なって、手とり足取りのガイダンスをしません。地元の言葉で言えば、「神の思し召しによって」目黒という人物が来たのです)。

この、神、アッラーなのでしょうが、神という概念は、
けっこう最近の私にとって、はっとする気づきで、
アフガンの庶民がなぜかくも苦しむのか、に、
アフガン人自身が解として、神がそうされたのだ、
と答える部分を、日本人スタッフが書いています。
受け入れる。

しかし、自衛隊派遣をアフガンの一部が、日本は敵国化した、
と感じたのを受けて、輸送トラックからジャパンと日ノ丸消すなど、
日本人スタッフは受け入れつつ、乗り越えられるものは、
乗り越えていくな、と思いました。

雀の涙のボーナスの一部を、会員になって会費に当てようと思います。
といっても年額三千円ですから、気張って言うほどのことでも、
ないですが… 以上