『BUTTER』読了

BUTTER

BUTTER

便宜上読了としてますが、まだ半分くらいしか読んでません。新潟から帰ってきたくらい。

連日の猛暑でろくに本が読めず、マンガばかりでお茶を濁してましたが、そのマンガも沙村広明の新刊二冊のみしかストックがなくなり、それも読めておらず、しかし、毎日何か読んだり観たりの感想を上げ続けてるのが途切れるのも釈然としないので、伝家の宝刀というか、後報を使おうと思います。

この本は、そもそもそのへんに転がってたのでぱらぱら読んで、ちゃんと読もうと思った時は返却されてたので、リクエストし、半年以上待って順番が回ってきて読めた本です。高校生(JK)がこの本の読書感想で賞獲ったとか、男を何人も毒殺する、世間で騒がれたいくつかの事件のどれかがモチーフだとか、そういうことを聞いてたので読もうと思いました。

あと私はこの小説の作者は検事の本懐の柚月裕子と誤解していて、柚月裕子ならおもしろいに違いない、最近彼女原作の役所広司のヤクザ映画も見たし、この人が風邪薬事件なのかカレー事件なのかなんなのか分からないが、そういった現実を下敷きに物語を構築したなら読んでおこうとリクエストを入れたのですが、この本の作者は柚木麻子でした。つまり別人。

柚月裕子
柚木麻子

柚木麻子 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%9A%E6%9C%A8%E9%BA%BB%E5%AD%90

何度も直木賞候補になってるんですね。今年はナラタージュの人で、この作品は候補にならなかったとか。そういうこともあるんでしょう。

ビーフシチューとブブ・ブルギニョンの二項対立から物語が始まるのですが、そこに私は『YAWARA!』でお馴染みビーフ・ストロガノフのゴハン載せを入れて中和してあげたかったです。

基本的に登場人物の多くが同じ価値観同じヒエラルキーを共有しているかのように読めてしまい、摂食障害は登場しますが踏み込むわけでもなく(途中までしか読んでない感想として)、なら、いくら食べても太らない体質の人とか、日常的に膨大な量のカロリーを消費するプロアスリートとか、そういう作品世界のすべて(お約束含む)をブチ壊すようなキャラを投入して中和してみたらどうなるだろうと思いながら読んでいます。

頁89、シニヨンというのはパティシエとかソムリエとかコンシェルジュみたいなレストランの職階のひとつかと思いましたが、検索すると、髪形のことでした。

シニヨン - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%83%A8%E3%83%B3

頁91のメートルドテルも分かりませんでしたが、こっちは推測通りレストランの職階のひとつでした。

メートル・ドテル - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%86%E3%83%AB

上記のようなフレンチは何も分からないので、パチパチはじける飴が仕込んである料理など面白いなと思うだけでしたが、頁128、塩バターラーメンの麺ハリガネってどういうことだろう、太麺じゃないのか、一番固いのは「ゆげ」のような気がしましたが(湯気をあてるだけだから「湯気」その次が粉を落とすだけの「粉落とし」だった気がします。検索はしません)いちばん固いのはハリガネ、と、悪の女帝である小菅の女囚が断言してるのがなんとも。で、バターはマシマシで注文しろと言ってます。マシマシなんて言葉使うのは二郎だけだと思ってました。勿論二郎にはバターないはず?で。

私もむかしイタリア人から、マーガリンはからだに悪い、ぜったいバターだと聞いていましたが、マーガリン大好き人間です。子どもの頃から馴染んでるので、マーガリンの何が悪いかピンとこない。スザンヌのいもうと。水村美苗私小説レフトトゥライトでは、主人公姉妹の父親は、アメリカでグリーンカードとりながら、バターのっけたステーキとかの好物に対する節制が出来なくて、成人病で早くに死んだとあります。そんなリスクもあるんだと。

そんなに新潟寒いかなと。ロシアなら寒いと思いますが。

リベンジポルノの意味忘れました。

頁189で手塚治虫の『奇子』が出ますが、私はこれ未読です。不思議なメルモちゃんとかも読んでない。きりひと讃歌とかは読んでるのですが、なんでかな。陽だまりの樹も読んでません。

頁214
(前略)あの人、進んでいるふりをしていたけど、実のところ、新潟生まれのおぼっちゃんで、妻には家にいてほしいタイプだったのよ。女性観がすごく保守的だった。あの世代の左翼の男によくいるタイプよ」
「あ、離婚して離れて暮らしていた私の父も、そのタイプでした。わかるなあ。学生運動で知り合った、当時としては進歩的な夫婦のはず、だったんですけど」

ある知人のFBが、本書に登場する小菅のねえさんのブログを連想させるのですが、自撮りとラーメン食べ歩きってだけで、連想してはいけないと自戒します。そもそも私はちゃんとFB観れないのですが、見てる人が教えてくれるのです。ずっとヲチするほうもヲチするほうだ。

初出「小説新潮」2015/5〜2016/8
装画 原 裕菜
装幀 新潮社装幀室

以下後報

【後報】
上記FBの人は、かなりふくよかで、ある人はその人に、おかずクラブのどっちかになぞらえた綽名をつけていましたが、その構図はこの小説にそっくりだと思います。

後妻業的な記述が本文に登場しましたが、内田裕也の「コミック雑誌なんかいらない!」をより連想しました。あれは豊田商事インスパイア映画で、殿山泰司だったかなあ、老人の手のひらに、金の延べ棒のパンフをのせて、それをふくよかな自分の両手でくるみこんで、
「軽いでしょう。紙だからです」
と語りかけるセールスレディが登場しますが、それを思い出しました。

コミック雑誌なんかいらない!Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9B%91%E8%AA%8C%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%8B%E3%81%84%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84!

また、塩ラーメンが発展して、サッポロ一番塩ラーメンにバターを入れてすする場面が登場しますが、そこで、サッポロ一番塩の香辛料に触れているのは、花のズボラ飯のようだと思いました。

頁348
しんとした部屋に、伶子が麺をすする音だけが響いている。粉末スープに混ざっているらしい、エスニック風のスパイスの香りだけがかすかに鼻をかすめた。縮れた麺はくっきりと波打っていて、茹で加減がちょうど良さそうだった。

オマージュかもしれません。花のズボラ飯、ここに感想書いた気もしたのですが、見つかりませんでした。

花のズボラ飯(2)

花のズボラ飯(2)

この作者が別名義でエロマンガ描いてたことがすぐ検索で分かるとは、なんて現代は素晴らしいんだと当時は思いました。

頁270、リヤドロ人形が分かりませんでした。博多どんたく人形なら分かるわけでもないですが。

リヤドロ Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%89%E3%83%AD

LLADRÓ 夏のセレナーデ 01006193

頁351
ちまちま正しく生きている女性を見ていると、私はその身体を壁に叩きつけてやりたいほど、腹立たしくなりました。

上は本書の小菅の姐さんの手記もしくは主人公が再構成した手記の一部分。それとは違いますが、(こうやってねえさんねえさん呼んでると、NMBの「さやねえ」という人を連想しますが、関連はありません)知人にも同性を壁に叩きつけた人がいて、ふくよかな人はおうおうにして背筋とかすごい発達してるので、けっこうな衝撃だったとか。壁陥没。

頁352、阿賀野新潟駅には三美神と呼ばれる三人の働き者の乙女の像があり、小菅の姐さんはその像がきらいだったのでアレコレチョッカイだしたそうです。集体内で同性の友情はありえないし、体形もむかつくと。新潟駅というと私は水島新司ドカベンの像があったように思いますし、三国志演義)居酒屋もあるので、山田太郎とか張飛うんちょうとかを見てればよかったのにと残念閔子騫です。

巻末に参考文献があり、現実の中年男連続手玉殺人がどの事件かそこで分かりますが、本書では、警察が自信を持って検挙したのだから有罪まで絶対にもってくのであろうくらいの「感じ」しか分からず、ほんとに小菅のねえさんが手を下したのかどうかは分からないままです。あと、実際の酪農關係取材先への謝辞があります。ミルクは血と同じ成分という、ガッテンでも見たような知識しか残りませんでした。私がカズレーサーでないのが残念閔子騫です。あと、休日のない酪農労働に、休日の労働代行するヘルパーさんがいるとは知りませんでした。いろいろあるものだと、ニッチは。

で、主人公とのバトルはともかく、結婚して家庭があるはずの主人公の知心朋友が小菅のねえさんとの戦いに参戦しもろくも砕け散る、ジャンプの前振りバトルみたいな結果になるのが、不思議でした。「妊活」という言葉は初めて聞きましたが、私の知人にも、ハズの側が原因で子どもが出来なかったまま人生を終えられた方はいますが、その空虚を(空虚があると仮定して)親友のためにカラダを張るという思いもがけない特攻精神で敢然と散る展開は予想出来ませんでした。なぜそこまでやるのか。

最後のほうは、主人公の玉砕と再生の物語になるので、小菅のねえさんはもうどうでもよくなります。無期懲役か死刑なんだろうと。小菅のねえさんは小菅のねえさんで別の代弁者を見つけるというストーリー。新代弁者は、のー先生のオレンジに出てくる坂台好男みたいなキャラと思いますが、間接的にしか描かれないので、出ないのと同じです。

いごこちのいい場所とか真剣チョベリ場十代が三十代になったらとか、そんな残骸を踏みつつお話は終わり、実は途中まで読んでる時は、勝間和代とかこの小説読んだのかなあと、親友の關係からいろいろ読み解けるなんとやらで想像しましたが、そういうふうにはならなかったです。ということは、彼女(主人公)の人生はまだ白紙で、茫洋とした未来が、希望に満ちているのかなんなのか、ひろがっていると。時間もまだあるし。
以上
(2018/8/2)

【後報】
あと、主人公が独占手記公開した後、他誌が完全否定の手記公開して泥沼になる展開ですが、今の出版業界の凋落はすさまじいので、ガチのこうしたゲームを展開出来る体力に乏しく、たいがいお約束のプロレス興行的応酬による名人芸の魅せ合いが多いんじゃいかと。この小説の泥試合はガチという設定ですが、そんなことさせるかなぁと。どちらも出版出来るようギリギリの妥協ラインを最後まで粘って交渉するんじゃいかと思います。主人公がそれを拒否したという文脈なのかもしれませんが。
(2018/8/2)