読んだのはハードカバーです。
装画 山野辺 進
意匠 岡 邦 彦
第一話から第七話までの連作。初出は小説すばる。1991年から1992年夏まで。
一作目がスポーツ新聞合同、二作目が初出不明、三冊目がオール読物掲載で、四冊目は公明新聞日曜版連載でした。タモリ倶楽部みたいな流浪の連作私小説。そうまでして書きたかったのか。
- 作者: 生島治郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1996/07/01
- メディア: 文庫
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第一話は、借金まみれで余裕がないせいか、一行ごとに改行しまくって原稿枚数をかせぐあのテクが使われてる気がしないでもないです。数話進むと、借金はともあれ、作者が精神的に安定したのか、複数行書いてひとまとめにしてから改行するようになります。景子を育てた縁者の小さいオッサン(酒好き。ギャンブラー)の入院費、景子の母親慶子への家一軒のプレゼント、景子の弟スホの会社への資金繰りヘルプ、などで、主人公は借金まみれの上に借金まみれでギリギリとのことで、最後の話では、久が原の豪邸一億(バブル前建築)の借金は三千万程に減っているが、この十年老骨?(五十代)に鞭打って働きに働いてベストセラーも書いたのに(活字不況出版不況前)雪だるま式の借金がべっと一億ほどある状態でした。翌年に払う税金をまるで考えないで金使うとか、その使い道がぜんぶ思いつきとか、そういうことだそうで。でもまだ暗くないんですよね。さいごの話の段階では。この後、最後の前後編の長編で、一気に来るのかな。何かが。
景子のハングルでの愛称が「チニ」、コヒャン…故郷は全羅南道であることが明らかにされます。個人的には、ほかの地方であってほしかった。
中国嫁日記でゲツが自分をネタにまんが描かれてたことを知った時を想起しましたが、この巻でやっと、景子が小説に書かれてることについて起こった、いくばくかのフリクションが書かれています。元プーソー嬢の過去が周囲に公開された状態でのおつきあいって、どんな感じになるんだろう。中国嫁日記のゲツにもし金銭関係にここまでルーズな属性があって、それをジンサンに暴露されたら、即離婚訴訟名誉棄損で裁判の泥沼ではないかと。ゲツとは人格の難易度がぜんぜん違うからなー。私がいちばん最初の話読んだときいちばん参考にしたレビュー(映画のほうのどっかのサイトにあります)でも、韓国と日本の違いにこの悲劇の原因を訴求せず、彼女の人格、個人の問題点に還元されてましたが、ちまたの国際結婚エッセーとは、女性側の依存というかなんというかと、男性側のドンファン金銭面での余裕が、全く違うので、鼻白む時は鼻白みます。
ナルト語「〜だってば」の使用頻度が下がり、かわりに、「〜だい」や、猫語「〜だニャ」が登場します。作者はオソンファのチマパラム、直訳するとスカートのなかの風、意訳すると「浮気」を読んで、かなりベンキョになったようです、ソかね、信じてクダサイよ。
頁38
「だから、あんまりえばれないんだよ」
と景子はクックッと笑った。
「今まで、女房にえばって好き勝手なことをしていたのに、えばれなくなったんだとさ。いい気味だよ。トノもそうなった方がいいかもニャ」
頁58
「リーコンはベチュベチュに暮すことでしょうが」
とあっけらかんと言う。
「でも、会うのはイイでしょうが。ベチュベチュに暮しても、いつでも会えるんでしょうが」
頁116
「三日間、ジューッと家にいたと言ったよ。ドして、そんなウソ吐チュいたの? ほんとは、三日間ジューッとホテルにいたんじゃないの? ショジキに言ってよ」
(略)
「三日間はこの家にいるって、あたしたちの家を守るって、約束したんだよ。それなのに、二日しかガマンできなかったと?」
(略)
「ゲンちゃんの努力ノーリョクはみとめますよ」
「殿」だけでなく、玄一郎だからゲンちゃんとも呼ばれ出します。努力と書いてノーリョクと読むのは、ラ行がナ行に変わるのとはまた別で、ドカタ(土方)がハングルに入ってノガタという発音に変わったのと同じロジックだと思いました。意味も、土木作業員の意味でなく、ヨッパライの意味になります。ちなみにマッカーサーはハングルではメガダ。沼袋と都立家政のあいだ。
頁131
「あんたはあたしにヒミチュを持って、勝手に生きていくのね」
「そうだ」
と越路はふて腐っている。
「それが不満なら、どうとでもしろ。韓国にでもどこへでも帰ってしまえ」
「あんた、そんなこと言うの」
景子は涙ぐんでくる。
「あたしがどんな気持ちで帰ってきたのか、それもわからないの」
「おまえはおれに文句を言うために帰ってきたとしか思えないな」
涙ぐんだ景子を見て、越路はちくりと胸が痛むが、かくてはならじと言い返す。そうなると、この男、相手の気持ちを塩でもむような辛辣なことを言うくせがある。そうやって、何人かの友人を失くしてきた。自分でも悪いくせだとつくづく思うが、いざとなるとついそうなってしまう。
「文句を言うおまえの面なんか、もう見たくもないぜ」
「あたしがイヤだと」
と景子は膝を乗り出す。
「顔も見たくないと? じゃ、あたしはここにいられないよ。韓国へ帰りますよ」
「ああ、帰れ帰れ」
と、越路は言ってしまった。
「明日にでも帰れ」
頁130
「そんなのオカしいよ。自分勝手すぎるよ」
「おまえの方が散々自分勝手なことをしておいて、なにを言うか」
と言いつのりつつ、越路は虚しさと寂しさを感じていた。自分がせっせと原稿を書き、その血と汗の結晶を景子のために惜しみなく注いだ。そのあげくがこの始末かと思うとなにもかもが徒労に思える。
それらについて、景子は感謝するとは口では言うものの、本心からすまないと思ったことがあるのだろうか?
そう思っているとしたら、こんなにも自分を責められるはずはないじゃないかと越路は思ってしまう。
自己中心的で身勝手な女だと思うと同時に、所詮、女とはそういうものかとも思ってしまう。
「帰れ」と言ってはいけない、と、どこかで誰かが言ってた気がします。絶対に。国際結婚で、異国で暮らすほうの人間に対して。それをここで私が書くのもなんですが。ほんとうに。
景子の弟のスホの会社が左前になったのは韓国経済悪化がどうこうとあり、通貨危機かなと思いましたが、本書は1990年とかの話ですから、通貨危機より前の話だと検索して分かりました。
IMFによる韓国救済 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/IMF%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E9%9F%93%E5%9B%BD%E6%95%91%E6%B8%88
韓国通貨危機 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E9%80%9A%E8%B2%A8%E5%8D%B1%E6%A9%9F
また、豪邸を売るくだりで、バブル景気は終わったと書いてありましたが、1991年じゃ、そういう気分になっていたとしても、実態はまだバブルであったと。本当の痛い目はその五六年あとだと。
頁191
たとえば、韓国で知り合った作家が、日本で有名なある作家と越路とが友人であると聞くやいなや、その人に会わせてくれと頼む。そして、都合も聞かずに来日してきて、いきなり会わせてくれと言ったりする。いくら友人でも、先方の都合を聞いた上で、アポイントメントを取らなければと言うと怪訝な顔をする。友人同士なんだからそんな水くさいルールは必要ないだろうという顔つきである。
そういう場合、越路はできるだけのことはするが、できない場合には、はっきりできないと言う。日本的なルールと、韓国的なルールはちがうと説明してやる。
日本人は韓国人が同じ肌の色をし、同じような顔つきをしているから、つい同じルールが通ると思ってしまうが、韓国人も同様の錯覚を抱いてしまうらしい。
このへんは、関川夏央が、だんだん、距離を置くようになった理由のひとつな気もします。関川夏央といえば、頁205、越路が景子の母と弟に建ててやった家が、一階は別玄関で貸家になっていて、家族の住居は二階が玄関でそこから出入り、のくだりで、これは、うれしはずかし『ソウルの練習問題』で出てきた、連立住宅ではないですかと思いました。建ててもらった家でさらに家賃収入が得られるようにしてあるのか、と思いましたが、連立住宅に限らず、ソウルの賃貸は確かけっこう日本と違うと、関川の前掲書に書いてあったのですが、どう違うのか忘れました。
<これまでの片翼シリーズ読書感想>
2018-05-21『片翼だけの天使』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180521/1526914214
2018-05-30『続・片翼だけの天使』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180530/1527683580
2018-07-11『片翼だけの結婚』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180711/1531287322
2018-07-18『片翼だけの女房どの』読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180718/1531919742
2018-06-06『片翼だけの青春』読了 番外。小泉喜美子と出会うまで?の作者自伝。
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180606/1528231151
こうしたURLも、すべて、はてなブログに移行すると無効になるのであるなあと。以上