『個性を以て貴しとす―ザ・ブライテスト・フォアランナー』読了

To be the brightest FORERUNNER

読んだのは1989年プレジデント社刊の単行本です。
装幀 川上成夫

まえがきと、おわりにがあります。「プレジデント」連載に大幅加筆とのこと。

谷沢永一『人間通』の、「人間通になるための百冊」に出ていて、勝手に、自伝だと勘違いしていたのですが、読んでみたら自伝ではなかったです。

2018-09-06『人間通』 (新潮選書) 読了
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20180906/1536239922

日下公人 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%8B%E5%85%AC%E4%BA%BA

以下後報
【後報】

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Only those who have sense of creativity and originality can appreciate the true value of work. Individuality and creativity must be more valued in Japan, the world's economic giant now.

この虫が分かりません。ジガバチでしょうか。
この本はバブル絶頂期に個性発揮を提唱した本です。アイアコッカとか久しぶりにその名を聞いた。海外の政治家はレーガンサッチャーの弐名のみ。この本には、当時とても面白いと作者が感じた新進の会社が、業績をあげているのも、これで業績をあげれたらモノホンやろうね的なのも、玉石混交に挙げられていて、その後どうなったか片っ端から検索しようと思いましたが時間がありません。こころみに、頁42の、「オーディーエス」という社員150人ほどの「創造的頭脳集団」を検索しましたが、同名の会社が多くて分かりませんでした。頁45の、エスクワイア日本版を出してる社員二百名弱の「ユーピーユー」という会社は、エスクワイヤが休刊になった情報と、碇ポルシェのブログがヒットしました。

頁16「個性の淵源」
 アメリカの一流ホテルで朝食を楽しみに食堂へ降りてみると、ビュッフェ・スタイルだったのでガッカリしたことがある。山積みにしてあるパンや卵を自分自分でとって席へもってゆくやり方だが、このホテルまでそれになったかとガッカリしていると、ボーイが寄って来て「これはビュッフェ・スタイルといって、自分自分のライフ・スタイルに従って好きにとって食べてよいのだ」と親切に教えてくれた。
 この場合、私は貴族に思われたものか、それとも田舎者に思われたのかは個人的には大問題だが、この際、読者には関係ないので横に置くとして、ここでライフ・スタイルという言葉が出てきたところが面白かった。
 われわれ日本人からみるとアメリカの朝食は驚くほど単純で、ホテル側では各種料理を山盛りにしたつもりらしいが、ライフ・スタイルに従って選び取るというほどの多様性はない。それでは日本のみそ汁はあるのか、中国風の朝ガユはあるのか、イギリス風の焼魚はあるのか、などと言いたいところだが、アメリカの食文化は程度が低くて卵をフライにするかボイルにするかポーチにするか、それともスクランブルにするかくらいでも、ライフ・スタイルというらしいので苦笑した。

個性を発揮出来れば素晴らしいですが、責任を取ることの危機管理からいろいろおそれる気持ちもわかる、と。

頁74「アカウンタビリティ病」
 たとえば、自動車を三台売ってこいというと、「シルビアを売らせてくれたらやります」とか「プレリュードの担当にしてくれたら売ってみせます」と、平気で主張する。製品が悪いから売れないという意味である。
 あるいは、「セールスのマニュアルどおりにやってみましたが、玄関先で断られました」と、上司に平然と報告する者も出てくる。悪いのはマニュアルだというのである。
 最近、各種のアンケート調査を見ると、「どんな上司が一番好きか」という問いに対して、第一位は「自分の能力を引き出してくれる上司」だが、これは自分には能力が備わっているという気持ちが感じられる。それなら自分で発揮すればよいと思うが、やはり自分からはしないのである。これは、いかにも受動的であり、いかにも内申書世代的である。これからの時代は、そんなことでは生きていけない。もっと自分で考えて個性的に行動しないと、時代にも組織にも置いていかれるだろう。

こういう部下をどうやって再生させるかは、門外不出の秘伝なのか、書かれていません。切ってたらバブル期はともかく、今は組織が廻らなくなるほど人がいませんし…
頁76に、作者が日本長期信用銀行に入社した頃の、同社の閉鎖性、海外留学等への支援のなさが語られていますが、知ってる人で、ここを即やめて、日刊ゲンダイの広告とかの下積みしながらクリエイターとして創作にいそしみ、結局芽が出ず、家庭を作るためスパッとその生活を切ってフジテレビ関連に職を求めてあっという間に頭角を現わしてしまった人がいて、たいそううらやましいと今でも思います。そんな簡単に不死鳥のように甦れる人生がうらやましい。

頁79「バカにされたときの対処法」
 人からバカにされたとき、どのように対処するかで「人間としての器量」が決まる。
 赤ちょうちんの一杯飲み屋に連日連夜なぜ、これほどまでにサラリーマン諸氏は通うのかと言えば、バカにされながらもそれに耐えざるをえなかった憂さを晴らすために暖簾をくぐるのだろう。
 バカにされたとき、カッとなって殴りつけるのは大人げないが、しかし飲み屋で酒びたりの日々というのも芸がない。そんなにまでして他人から云われたことに腹を立てたり、クヨクヨしても、誰も助けてくれないし、自分が向上できるわけでもない。アルコール中毒に陥るのがせいぜいだろう。

この後、対処法を四種類挙げ、それぞれの長短を解説し、具体例として、サントリー佐治敬三社長(当時)の熊襲発言とその反応をあげています。サントリーとか佐治一族についての本は何冊か読んでましたし、マッサンもちょっと見ましたが、この件は忘れてました。

東北熊襲発言 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E7%86%8A%E8%A5%B2%E7%99%BA%E8%A8%80

で、作者は秋田県知事佐々木喜久治(当時)らがとった抗議策は悪手であったとし、よい策として、卓球をネクラ(死語)のスポーツときめつけるタモリに対し日本卓球協会専務理事森武(当時)がとった、ユーモアと度量の広さを感じさせる褒め殺し接待作戦を良手としています。
で、さらに作者は、戦中アメリカで強制収容所に送られるなど辛酸をなめた日系アメリカ人の、ステイツに対する抗議行動として、サミュエル・アイザック・ハヤカワをとりあげ、賞賛しています。

サミュエル・I・ハヤカワ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BBI%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF

思考と行動における言語

思考と行動における言語

『思考と行動における言語』は、いつか読めればな、と思います。
この本は、まだ左右の対立軸が現代より左優勢だった時代に書かれているので、青学教授袴田茂樹(当時)のモスクワ大学留学時のエピソードも紹介しています。ある国に三週間いるとその国について本が一冊書ける。しかし、三年間いると何も書けなくなる、とはあるソ連人の弁。
で、ここから松本清張朝日新聞で臨時社員として正社員から「坊や」と呼ばれていたコンプレックスをバネにした話になり、

頁99「負の出自」を武器とせよ
 これは余談になるが、ジューコフノモンハン戦の顛末をスターリンに報告したなかで、日本軍を次のように批評している。
 日本の兵隊は実に忠実で勇猛果敢で、下士官も賢い。しかし、将校の指揮は紋切り型で、柔軟性に欠けている。さらに将軍は叱咤激励するだけで、精神訓話がやたらと多く、視野の大きい着眼点に欠ける。だからソ連軍は日露戦役以来の宿敵日本に勝ったのだ、と。
 日本軍に対する同じ指摘は、アメリカ太平洋艦隊司令長官のニミッツも行なっている。日本海軍の艦長たちは機敏で勇敢だが、それは手順どおり作戦が進行している間だけのことで、混戦状態になってからの処置・行動は信じられないほど無能である、と。

頁117「人事査定する側の非論理」も面白かったです。そういうのを利用することも出来ないくらい不器用な生き方、というのもあるわけで、そういう人の習い性になった生き方を見てると、さびしくなります。私じしんは小賢しい生き方で、かつ策士策にはまるの典型なので、同情はされません。

頁185「フォアランナーと模倣者」
 こんな例もある。日本陸軍は新兵に度胸づけと称して中国兵の捕虜を銃剣で刺殺させた。やらされた人は仕方がなかったとか、みんなそうしたと弁解しているが、私の先輩で断固しなかった人がいる。「やれ」と命令されると「ハイ」と答えて銃剣を突き出すが、寸前で止めてしまう。何度もそうするので緊迫した空気が流れたが、なにしろ日ごろから格別の模範兵でしかもキリスト信者だと公言していたから、隊長も見逃したという話である。自由学園で私の上級生だった続木満那さん(京都・進々堂社長)のことで、これは現場を目撃した人が新聞に書いているのをみて、なるほどあの人ならと思ったのである。隊長は「お前は人間以下の犬である。靴を口にくわえて四つ足で歩け」という罰を課して見逃してくれた、と書いてあった。

さてもポリシーを守ることの難しさよ、と逆に思いました。

頁232、老後、充実した人生を送るための選択肢のひとつとして、アジアに技術指導に行ったら如何?という個所。1989年にこういうこと書くのかと。その後、いろんなことがありました。この後の部分には、アドラーが出てきます。1989年のアドラー

頁247「価値ある「日本国家の個性」」
 世界の経済循環も資本資金循環もどんどん変わってくるはずだが、先進国も開発途上国も日本に見習う時代に入った。それはおそらくあと五年ほどは続くと思われるので、この数年間は神武以来、“生まれて初めての幸せな体験”を日本人に与えてくれるかもしれない。
 日本人はその間、教える満足を味わい、指導料を手にすることができる。しかし、その“先生”扱いで油断していると、そのあとが怖いことになる。「日本的経営」は日本人でなくてもできるし、日本人以上に「日本的経営」が上手な国も現れるかもしれない。
 そうなると、日本はすっかりすさんだ国となるだろう。驕っていると、いつの間にか世界から取り残されてしまう。

ここで作者は、米国や硬直した英国、資本主義に秋波を送る当時の中ソ、に加えて独自路線のインドを出しているのですから、視野が広くて、かつ食えないなと。1989年、バブル絶頂期によく看破した、すごいですとしか言えません。現在これを読んで、先生もハズれることがあるのですねと、冷笑する御仁もいそうですが、それはネット時代の個性的な人。

自叙伝かと思ったらそうではなかったのですが、バブル期に書かれたハウツー本を現在の視点で読む愉しみを味わえました。まあでもこうしたハウツーノウハウや人生設計を実践出来なかった、ひたすらに私個人の能力のなさに、淋しさが秋風とともに吹き抜けてゆきます。
以上
(2018/10/23)