『読み解き「般若心経」』読了

関川夏央『夏目さんちの黒いネコ やむを得ず早起き2』で称賛されていたので読もうと思った本。『良いおっぱい悪いおっぱい』が、カリフォルニアに住み、バイリンとは言いながらの娘三人が思春期だったりそれを過ぎたりで、両親の住む熊本市を往復し、父親の老いと単身生活、母親の死を見つめるという話。 

読み解き「般若心経」

読み解き「般若心経」

 

 娘による母殺しは、少女漫画永遠のテーマですが、認知症の母親と中年の娘である作者(一人娘なので親の老後の面倒を暗黙の裡に幼少時から約束されていた)との会話を丹念に読んでゆき、そりゃ仏典の世界、諸行無常だわと一知半解してはおえんと思いました。関川夏央も印象的に触れていた箇所で、妻の入院後、ヘルパーの助けを借り乍ら、一人暮らししている高齢の父親が、誰かと会話する機会、回数がほぼ皆無で、作者が帰った時、最初は言葉が出てこず、数日すると流暢に喋り出すが、作者はまたカリフォルニアに戻らねばならない。テレビは時代劇チャンネル。

ja.wikipedia.org

ぜんぜん関係ないですが、ふっといま、干刈あがたを思い出しました。こっちは故人。

干刈あがた『ウホッホ探険隊』を、なぜ今復刊したのか?|Web河出

 般若心経というタイトルですが、般若心経を詳解した本ではなく、さまざまな仏典のそこそこの量を、漢文読み下し、和文読み下し、和訳、詩人の感性による和訳など、さまざまに併記しています。あとがきによると、和訳は岩波文庫(宗教としてでなく文学として成立しているから)で統一したかったが、自分が耳で聞いたりして慣れ親しんでいた文句と違ったりしたので、さまざま試行錯誤してこの体裁になったとのこと。

初出は小説トリッパー2008年秋号から2009年秋号まで(単行本化に際して加筆修正あり)と、書下ろしと、朝日新聞文學界ユリイカに載せた文章の組み合わせ。単行本で読んだので、文庫本でどうなってるか知りません。単行本装幀 菊地信義

読み解き「般若心経」 (朝日文庫)

読み解き「般若心経」 (朝日文庫)

 
読み解き「般若心経」 (朝日文庫)

読み解き「般若心経」 (朝日文庫)

 

 単行本だと横縞のデザインが、文庫本だと縦縞。どちらも紅白。

アメリカ暮らしなので、ジーザスとかオーマイガッとかワッツヘルとかの短文に世界が満ち溢れている中、日本語で「ちくしょう」と漏らすその単語が仏教用語やんな、と気づくところから語りを始めています。

<登場する仏典一覧と感想>

 ①「懺悔文」(んげもんと、語頭は濁らず読むそうで、華厳経の一部だそうで、本書では講談社の勝又俊教編著『お経 真言宗』より)これは、漢文で読むのがつらかったです。

 我昔所造諸悪業  

 がしゃくしょぞうしょあくぎょう

 皆由無始貪瞋痴 

 かいゆむしとんじんち

 従身語意之所生 

 じゅうしんごいししょしょう

 一切我今皆懺悔 

 いっさいがこんかいさんげ

漢語として近代中文に近いせいか、上のように漢文として読むより、中文として読む方が速い気がするという、生半可なレベルの病。でも、全文すらっと読めるわけでは無論なく、「貪瞋痴」は、(とんじんち)で一発変換出来ますが、中文となると、"贪官污吏"や"贪污"は知ってても、北京語の"瞋"の読み方は調べないと分からない。私の場合はさらに、みんな知ってる"忏悔"も調べました。「身語意」はひとつの仏教用語だそうですが、つい下のように、"从身 语意"と切って読んでしまいました。それで意味が通るかは二の次、ズーラン(自然)に読めるかどうかだけ。

 wo xi suozao zhu eye, / jie you wu shi tanchenchi. 

 cong shen yuyi zhi suosheng,  / yiqie wo jin jie chanhui.

②「香偈」(こうげ。講談社の上記シリーズの浄土宗の本にあったそう)

 願我身浄如香炉

 がんがーしんじょうにょこうろー

 願我心如智慧

 がんがーしんにょーちえかー

全四行のうち前の弐行だけ写しました。「我 がー」とか「炉 ろー」とか「火 かー」とか伸ばしたりしてるせいか、お経漢文で読んで違和感がないです。ガンガーは広東語の"更加"でしたか、香港映画や香港ほかでよく聞く言葉ですので、その意味でも親しみがあります。ユエンウォーシェンジンルーシャンルー、ユエンウォーシンルージーフイhuオと読んでもいいのですが、出だしのガンガーにつられるが吉。

③「四奉請」(しぶじょうと読むそうで、本文の「奉請」はほうぜいと読んでるとか。講談社の上記シリーズの天台宗の本に載ってたそう)

 散華楽 散華楽 さんかーらく さんかーらく

 奉請十方如来入道場散華楽 

 ほうぜいしーほうじょらいじとうちょうさんかーらく

  奉請釈迦如来入道場散華楽

 ほうぜいせーきゃじょらいじとうちょうさんかーらく

  奉請弥陀如来入道場散華楽

 ほうぜいびたじょらいじとうちょうさんかーらく

 奉請観音勢至諸大菩薩入道場散華楽

 ほうぜいかんにんせいししょたいほさーじとうちょうさんかーらく

呉音でなく漢音で読むお経だそうで、散華が「さんげ」でなく「さんかー」釈迦が「シャカ」でなく「せーきゃ」入道が「にゅうどう」でなく「じとう」場が「じょう」でなく「ちょう」如来が「じょらい」弥陀が「びた」観音が「かんにん」大菩薩が「たいほさー」と、ちょっとずつ知ってる発音とずれるのが面白くて、ぜんぶ写しました。

ここで作者は、お経のCDを各種いろいろ聞いたら、テノールというかバリトンというか、とにかくぜんぶ男の声だったので、驚いたと書いています。作者のイメージとしては、上のふたつの経はどちらも女性の声のイメージで、香偈こうげは意思の強い女、四奉請しぶせいはよく笑う少女が数人で、唱えてるイメージだそうです。場所や服装の描写もありますが割愛。

話はそれますが、作者には娘が三人いて、断片的につづられた文章を私なりに咀嚼して推察するに、みんな前夫とのあいだの子だと思うのですが、読み方が浅かったりトンチンカンだったらすみません。

頁20

家族は、(中略)かつがつしゃべれるのが一人、しゃべれるけど読み書きはできないのが一人、しゃべれて読めて書けるけど、読めるのは漫画限定で、書けるのはメモ書き限定というのが一人。 かえって犬が、日本の犬程度の日本語を(後略)

④「般若心経

前半は娘との対話。どの子かは、特に注意していませんでした。ヒントが書いてあったかもしれない。昼は介護士で、自閉症統合失調症の人が住む施設で働き、夜は即興音楽、ノイズとかそういうのでしょうか、を演奏しているとか。もちろんアメリカの話。その子と電話で、般若心経を読み解いてゆく。テキストが娘さんいうところの、チャイニーズしか書いてない本で、要するにかな文字も英文もないお経だけの本。「五蘊」が特に面白いとのことで、私もこの漢字をなんと読むか調べないと知らないのですが、「ごーおん」「ごーおん」と読んでいます。後半は、かんじーざいぼーさつ、(略)しきそくぜくう、くうそくぜしき、(略)ぎゃーてーぎゃーてー、はらぎゃーてー、(略)のルビが振られた漢訳仏教経文全文と、作者による訳文ですが、ここでも、しょうけんごおんかいくう、というルビです。"照见五蕴皆空" 「ごーおん」が震旦の読み方でないことは調べたので、日本で「ごーおん」と読むこともある、くらいに軽く考えています。

cjjc.weblio.jp

ジャオジエンウーユィンジエコン。糸偏の簡体字化は「蘊」まで徹底されてるんだなと。"蕴" ハングルではこの字をオン、と読むみたいですが、五をゴとは読まない。

오온 - 위키백과, 우리 모두의 백과사전

注釈で、作者自身もなかなか般若心経に入りこめなかったが、宮坂宥洪『般若心経の新世界』(人文書院)を読んだらすっと入ったとのこと。のちに別件で、ガンダム富野由悠季と対談した時、彼もこの本を知っていて、その文庫版『真釈般若心経』(角川ソフィア文庫)をくれて、それでぼろぼろになるまで読み込んだそうです。それと、本文では読解力のわりにそれを表現するチカラが英日両言語に分散されてしまっている娘さんから、玄侑宗久『現代語訳般若心経』(ちくま新書)を勧められてこれもよかったとの由。それと岩波文庫の般若心経の四冊が、本書のみちびき手になったそうです。ここでトミノが出るのか。すごいナラティヴだ。 

真釈 般若心経 (角川ソフィア文庫)

真釈 般若心経 (角川ソフィア文庫)

 
現代語訳 般若心経 (ちくま新書 (615))

現代語訳 般若心経 (ちくま新書 (615))

 

雨月物語の白峰で、ぎゃてー、ぎゃてー、と言いながら烏天狗が現われる場面しか思いつきません。怨霊は般若心経読んでも、怨霊。ぶっぱん。あと、コサキンの、アーユーパンニャ?

⑤「発願文」(ほつがんもん。講談社の上記シリーズの浄土宗の本にあったとか)

善導という中国浄土宗確立者が書いた『往生礼讃』の中の偈のひとつだそうで、その前の偈⑥も紹介しています。

ja.wikipedia.org

⑥「日没無常偈」(にちもつむじょうげ)

善導という人は玄奘三蔵と同時代人だそうで、ということは聖徳太子とも同時代人。作者は山岸涼子日出処の天子諸星大二郎西遊妖猿伝を引き合いに、親しみがわくとしています。どちらも、原文は漢文なんでしょうが、読み下し文のみ記載。寝たきりの母と、高齢独居の父の話が続きます。もともと熊本の人ではないのに、なぜ老後熊本に移住したのかの理由はなく、それゆえに近所に知己が少ないデメリットは書かれています。東大阪に母方の姉妹が住んでいて、彼女たちも老いてゆくのですが、そちらの親戚筋が作者を呼ぶとき「しろみちゃん」(頁71)と呼ぶので、おやっと思ったら、関東から関西に婚姻等で越してきたんだそうで、子孫は関西弁だが、作者と同世代までは「ひ」が「し」になる発音を保持してるそうです。

⑦「大地の歌グスタフ・マーラー交響曲。第六楽章のラスト弐分の部分がどうのこうのだそうで、この部分はまうかうねんと王維だが、自分が感動した部分は王維だとして、松枝茂夫訳と入谷仙介訳とふたつ載せ、さらに自分で訳した大地の歌第六章もつけてます。なんとなく読んでしまいましたが、漢詩のタイトルもないし、お経じゃないじゃんと思いました。

大地の歌 - Wikipedia

ウィキペディア大地の歌によると、孟浩然が「宿業師山房期丁大不至」で、王維が「送別」だそうです。下馬して飲む君サケ、とか、南山のほとり、とか、白雲ウージンシ、とかです。作者の聞いてるマーラーブルーノ・ワルターウィーンフィルなので、女声のマーラーだそう。

Mahler: Das Lied von der Erde / Bruno Walter

Mahler: Das Lied von der Erde / Bruno Walter

 
マーラー:交響曲《大地の歌》

マーラー:交響曲《大地の歌》

 

 ここから、友人の犬や友人の死を語って、「ひじりたちのことば」として、それぞれの文章を作者が現代語訳。

頁99

 アメリカの獣医は決断が早い。あたしの素朴な感想を言えば、犬たちはまだ命が続いているのに、はやばやと決断されていくように感じる。

⑧「となえるがよい――法然」(岩波文庫の『法然上人絵伝』より)

⑨「髪の毛いっぽん切るようなこと――法然」(岩波文庫の『法然上人絵伝』より)

⑩「そこがわからなかった――親鸞」(『歎異抄』より)

全部対句なので、一部分だけ切りだすと半減する気がします。

頁106

(略)

定住しておってはできぬというなら

家を追ん出てとなえるがよい。

放浪しておってはできぬのなら

一所に住み着いてとなえるがよい。

(略)

一人ではできぬというなら

仲間とともにとなえるがよい。

人といっしょではできぬのなら

一人で閉じこもってとなえるがよい。

⑪「ころしてくれよ――親鸞」(『歎異抄』より)

頁112

おまえの心が良いからころさないんじゃないよ。

ころすまいと思っていたって

百人や千人をころしてしまうこともあるんだよ」(ry

⑫「ひとり――一遍」(岩波文庫一遍上人語録』より)

友人の死、前夫の父の死、安楽死した犬の飼い主の死。"died"と言わず"passed away"を使う英語の婉曲表現。妻「おーひろみ。彼は死んだ」(頁121)五歳の双子「ぼくのダディは死んじゃった!」(略)「そうだよ、死んじゃったよ」(略)「そうだよ、死んじゃったんだよ」(略)(頁123)

⑬「白骨」(蓮如室町時代の人)が親鸞の教えをやさしくさとした「御文(おふみ)」だとか)原文の、「さてしもあるべき事ならねばとて」とか「人やさき、けふともしらず、あすともしらず」とか「あはれといふもなかなかおろかなり」とか「あなかしこあなかしこ」とかを全文記した後、現代語訳。

⑭「観音経

漢文のお経、読み下し文、詩人の現代語訳。「念彼観音力」(ねんぴーかんのんりき)が花輪和一『刑務所の前』に出てくると書いてあり、また作者と読むマンガかぶったと思いました。官話ではbiですかね。"如果你有新的、你有新的彼岸。請你離開我离开我"と繰り返し歌う歌で覚えました。

www.youtube.com

観音経は法華経の一部分なので、この本も題名を「読み解き法華経」にしていたら、もっと膨大に売れたかもしれない、とは作者は書いてません。指輪物語に似ていて、日本霊異記に頻出するそうです。法華経。作者によると、観音経の観世音菩薩は、キャロル・キングの"You've got a friend"そっくりなんだそう。

www.youtube.com

⑮「地蔵和讃」(賽河原地蔵和讃。御詠歌)

ひとつ積んでは母のため、ふたつ積んでは父のため、のアレ。昼はひとりで遊べども、日もいりあいのその頃は、地獄の鬼があらわれて。寝たきりで認知症が進んで壊疽も進んで「いたーい」「いたーい」としか言わず、それも言わなくなってのちの母の死に、娘である作者が送った歌。母と娘の物語は少女マンガ永遠のテーマですが以下略。父が末期のさいに妻に語りかけた言葉やハグも記されていますが、ちょっとカッコよすぎだなあ。

死んだ人の夢を見て。十代の頃、詩の道に進むことになった出会いの、詩の師の死。頁189、もうすぐ読了のここで、摂食障害の文字が書き連ねてあったりして。大阪に住みながら「ひ」を「し」と喋る老婆たちのひとりの死も。そこから母の思い出。母の父評など。

⑯「七仏通戒偈」(しちぶつつうかいげ。上記講談社のシリーズ「禅宗」より)

日本霊異記上巻の序に書いてあるそうで、もとは原始仏典「法句経」ダンマパダからだとか。

法句経 - Wikipedia

⑰「」(原始仏教なので名前はないとか。「法句経」第一品六)

友松圓諦訳と中村元訳併記。どちらもパーリ語直訳。前者の冒頭「われらはここ 死の領域さかいにあり」はカッコいいが、後の擬古文がぎょうぎょうしい、後者はさっぱりしてシンプルでいい(すっぴんノーブラのイメージなんだとか)とは作者の弁。頁206。中村元という人は、足利学校の、校長とは言わない独特の、トップをさす言い方のその地位についていたので、えっ、なぜこの人が…と、足利学校の資料室でしばらく硬直してしまった思い出があります。

初代史跡足利学校庠主 - 足利市公式ホームページ

庠主のごあいさつ - 足利市公式ホームページ

最後に行った時は、例の孔子学院の石碑が新たにドーンと建立されてましたが、特に現在、ソコとなんかかんかの情報は検索で出ませんでした。まあ私は立命館のココを、立教とまちがえるくらいなので。孔夫子搬家,都是书。

孔子学院 - Wikipedia

⑱「無常偈」(上記の講談社シリーズ天台宗より。涅槃経の一部だとか)

諸行無常から始まる四文字四行ですが、最後、"寂滅為"で終わるのがミソ。

⑲「四弘請願」(しぐせいがん。上記シリーズの禅宗より)

あとがきにかえて、の部分。各位への謝辞。現役僧侶から家族、編集、おそれおおいのですがと前置いて出る名前に、瀬戸内寂聴石牟礼道子が並んでゐる。

以上(2019/2/6)

追記:頁10、「気」は英語で言うと"chi"あるいは"qi"、と書いてますが、それは中国語です。前者がウェード式、後者がピンイン。(同日)