『やむを得ず早起き』読了

やむを得ず早起き

やむを得ず早起き

    カバー写真…………潮田登久子
タイトルレタリング…………岡澤慶秀(ヨコカク)
  ブックデザイン…………日下潤一+浅妻健司+赤波江春奈

あとがきあり。

初出は週刊ポスト2011年7月29日号〜2012年7月27日号

週刊ポスト小学館で、小学館というとSAPIOがあるせいか、それなりです。そして東日本大震災の時期のコラム。作者のその時点の到達点。

頁037「コリアの勉強、その今昔」
 田中先生がコリアに厳しかったのは、多くの友がいた「故郷」を「憂国」したからである。
 竹島を占領して実効支配する。紛争解決のため、ハーグの国際司法裁判所で決着をつけようと日本が提案すれば、かたくなに拒否する。鬱陵島視察の日本の国会議員を入国拒否して九時間も空港ビルから出さず、買ったおみやげまで嘲笑する。抗議(?)のため日本の国旗を焼く。日本海を「東海」と呼べ、と叫ぶ。

田中先生とは田中明先生。そのお別れ会のコラム。『常識的朝鮮論のすすめ』が挙げられてますが、近所の図書館にあるのが下記なので、まず下記読んでみます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%98%8E

頁046、中国の新幹線埋め立て事件。録画したのは朝日新聞の記者なのに、なのにというかだから、中国を気にしてそれをババーンとアピールしないとしています。というかここで中国専門家として富坂聰が出てきます。本当にこの分野人材がいないんだなと思います。朱建栄(榮)拘束事件後、誰も名乗りあげなくなった。富坂でなければ石平しかいない、みたいな。

頁044「どっちが左? どれが右?」
 若い頃左翼だった友人は(みんな多かれ少なかれそうだったけれど)、それが作家のつとめと信じて、ずっと体制批判を含みこませた「不良性感度」の高い作品を書いてきた。昔話にリアリティがあるのはこの人の特徴だが、一九九〇年代以降の世界の把握にリアリティを欠くのもそうだ。

頁064、イムジン河発売中止と放送自粛は右翼や政府筋でなく、朝鮮総連が、コレクトな歌詞に直して国名と作詞作曲者名を明記せよと要求したから、としています。そして、井筒映画「パッチギ!」は巧みな歴史の捏造を連想させ、日本人のナイーヴティ(子どもっぽさ)を思う、とのこと。なっちゃん自身の大胆な仮説では、イムジン河の作者は、帰還船での帰国者で、凍土から日本を想う歌ではないかとの由。で、パッチギ!の1968年は帰国船事業中断期に当たり、情報が比較的豊富だった京都で、その時帰国を考える奴がいるわけないだろ、との由。まー作者のほかのコラムで、既に悲惨な状況が漏れ聞こえて知られていた(工具が支給されず素手で土とか掘らされて生爪剥がすとか食用にやせ犬飼うとか)80年代に母親と女きょうだいが帰還したマスコミの在日コリアンの例もいるわけなので(東京?)、いちがいには言えないだろうとも思います。

頁084、三島自決の思い出。三島邸が南馬込とは、失念しておりました。中原街道から首都高に乗ったとか。

頁132「北朝鮮工作員の思い出」作者自身が悩まされた、という話ではなくて、生前佐野洋子が話した話で、佐野洋子が西ベルリンに留学していた時、知己だった韓国人(ママ)が、大韓航空機爆破事件の、男性のほうに酷似している、という話。戦前に教育を受けたので、当然日本語も、という男性。で、キムヒョニも自殺していたら、二人の日本人、という記録だけが残り、韓国人の怒りの矛先は日本に向かったのではないか、との作者の仮説。ハチヤマユミが自殺に失敗してくれたおかげで、身元が判明し、日本人でないことが分かり、日本は救われた(とまでは書いてませんが)

頁135「彼らは何を見ていたんだろう?」ピョンヤンにはスローガンがたくさんあって、その中に「なにごとも抗日遊撃隊式に」があり、抗日遊撃隊は農民の収穫物を略奪して生きのびたそうなので、その原理はその後も変わらなかったということ、としています。このコラムで小田実の訪朝記が叩かれてますが、字数の関係からか、かつての作者の執拗さがないです。

頁143、ブンゴウ關係。オダサクの作家生活が六年半で全集八巻、ダサイは実働十三年で全集十二巻、田中英光は十年で全集十一巻。安吾は二十四年働いて享年四十八歳。

頁143
無頼派」とは無頼な人たちのことではない。過当労働の強烈なストレスから依存症に逃避し、心身を痛めて早死にした、まじめすぎる作家たちのことだ。
 彼らの依存症は、「他者とつながっていたい」を動機とする、ネットやメール依存症と原理においてかわりがない。
(後略)

作者はコリアとかつての文豪、テレビや映画ネタが得意ですので、この本でも例えば頁202で、山田太一の「男たちの旅路」の水谷豊が、後年の杉下右京と違って、軽薄な芝居でよかった、としています。

東日本大震災では原武史が出ます(名前だけ)ゴチエイ中野翠同室ネタも出ます。旅人も出ます。ノストラダムス世代(1999年以降の世界を想定していなかった人たち)と言う単語が出て、ふと、生島治郎が書いてたことを思い出しました。戦中少年は、一億玉砕の散華を信じていて、その後のこと(まさか生きて終戦を迎えることが出来るとわ、みたいな)は何も考えていなかった。重みは違いますが、ノストラダムスと、同じ心の動きかと。

大昔、東大生産研喜連川研究室の講演で、ネットで拡散する情報なりスラングなりには、まず最初の発信者、面白いことを考えつく人がいて、次に、それを広める、拡散する人、フォロワーが多いので、その人が何かおもせーとか笑えるとかつぶやくとわっとそのネタが世界に広まるという人がいて、要するにピコ太郎とジャスティンビーバーのような二者がそこここに見られると聞いたのですが、かつては雑誌のコラムもそういう役割を担っていたのかなあ、と、オール讀物2011年10月号で平松洋子が宇野鴻一郎に会いに金沢区の敷地六百坪の、自宅で取材時もダンスパーティが催される豪邸に行った、という情報を今北八十行くらいで関川夏央が拡散していたので、ふと思いました。

この本の素のコラムはこの後も続いたようで、この本には続編があります。作者の到達点は分からないでもないですが、しかしという感じ。以上