震災に負けない古書店ふみくらに出てきた本。
どすこい 出版流通 筑摩書房「蔵前新刊どすこい」営業部通信1999-2007
- 作者: 田中達治
- 出版社/メーカー: ポット出版
- 発売日: 2014/08/09
- メディア: Kindle版
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筑摩書房の営業が書店向けに発行しているフリーペーパーみたいなもの(ウェブもあるそうです)に連載されている営業局通信のうち、取締役営業局長であった筆者(故人)執筆分を、ご遺族の了承を得て関係者が記名の上注釈をつけてまとめたとの由。
群ようこ「ビーの話」のビーは、中国語で女性器をさす隠語のことじゃないだろうと思いました。ペシャワール会のワーカーOBさんのところに届く現地リポートみたいなものでしょうか。いや、多分違うと思いました。
買い切りに泣かされたこと、POS導入してないのに漫画の注文に応えたらその漫画が五冊も十冊も自動的に配本されて返本の手間がかかったこと(専門書店なのでふだんマンガはやらない)、報奨スリップ、最初は意味分からず送っていたのですが、報奨金の入金を経理が分からず、次からそういうことをする際は事前に報告してほしいと言われ、でもいつ報奨金が振り込まれるかなんて、出版社でないと分からないのに無茶謂わないでくれと経理を恨み、スリップ溜めこむも出版社に送るのをやめてしまったこと、書店レジでスリップ挟んだまま渡すバイトの子に、えっそれでいいの? と聞くと、「いらないんで」とこたえられたこと。そんでスリップ挟んだままのその本を横から書店で働いてる知人が「返本出来ますやん、それ」と、本書でも危惧されている、返本してしまえば売掛分は帰ってくるので、書店の取り分だけで本が贖えるとか、そういうセリフをぼろっと吐いたことや、いろいろを思い出しました。
出だしからして、出版社はもっとウェブサイトを活用せよ、例えば新刊の注文書をダウンロード出来るようにしたら便利かもしれない、と書いてあるのであるが、それは1999年の話で、しかし最近も、法蔵館のサイトで吉川忠夫顔真卿のページを見たら、注文票がそのままダウンロード出来るようになっていて、それにバンセンのハンコ押してファックスすればそのまま注文が出来るわけですが、それをしてほしいまちの書店が今どれくらい残っているかという… パナソニックとまちの電気屋さんより数が少なくなってるかもしれないと思います。本書1999年くらいの記述では、書店が全国に二万六千軒あって、ちくまが把握してる、つまりちくまの本を売ったことのある書店は八千軒。残りの一万八千軒はちくまの本を売ってないのだから(あるいは売ってもスリップ送ってくれない)営業がやることは無限にあるみたいな記述でしたが、現在、そこの数字はどうなってるんでしょうという。
註が変わっていて、すべて注記者の名前が明記されてるんですが、その名前が、弓矢のカッコ、()でなく、私が後報で使う、【】の中に記載されていて、なんでだろうと思いました。註も、註1とか注2とか書かれず、三角マーク、▶で記されています。ちくまってそういうルールだったか手元のちくま文庫やちくまプリマー新書をめくって確認しようと思うのですが、めんどいです。以下後報
【後報】
ちくま学芸文庫『漢文の話』吉川幸次郎と、ちくま文庫『洪思翊中将の処刑』上巻がその辺にあったのでぺらぺらめくってみたのですが、注記のない本で、【】や▶の妥当性は分からずじまいです。
本書奥付。これだけなら普通の奥付です。
邦文奥付の下に英文奥付があります。
右下には本書の書誌情報があります。
いちばん下には、関川夏央もよくやる、使用した紙の記述に加え、書体などもバキバキ記載してます。そういうことを盛りたかった奥付だろうので、敬意を表してここにもつけます。
上にも書いた、スリップ抜かずにそのままで出荷される本は、アマゾンなんかだともう普通なのですが、例えば書店と新古書店の複合店舗があったとして、スリップつきの本を売りに来る客から新古書店がぶったたいて10円20円で買って、書店として取次経由で版元に返品すれば、その本の値段の七掛けくらい?八掛け?etc.が濡れ手に粟で入金されるボロい商売になるわけで、そういうことも本書は既に指摘しているのですが、でもよく考えると、買い切りでもない商品の返品で入金があるわけないよなと思いました。そんで、買い切りだと返品はでけまへんはずで。
なので、返品出来ない岩波書店の本とか、酔ったイキオイで街の本屋で、しかも汚れた本をわざと買って善行を積んだ気分になったりしたこともありました。書店のプライドを刺激するのか、そういうふるまいに及ばれた書店がガンガン店を畳んだのは複雑な思い出です。不退書店はこの本には出ません。柳原は出ます。駸々堂も出ます(今一括変換出来てちょっとうれしい)
あと、働いてた時、日文研だかなんかのセンセのフェアをすることになって、その人の著書をそれぞれうっすく平積み出来るくらい仕入れたのですが、某六大学の市ヶ谷あたりの大学で総長がカムイ伝好きのアブナイ人だった大学出版会が、返品不可の買い取りしかやってなくて、しかし業務命令で仕入れざるをえず、上にも出てきた経理はそんな命令アンタッチャブルで、なんで返されへん本を購入しますのんえ~みたく仕入れの私が毎回責められるわけで、そういう指示だったと抗弁しても、だいたいブラック企業というのはそれでもアンタが悪い、になりがちですので、まーそのうち捌きますよオホホホと柳に風で流していたのですが、どうなったかなあwww
頁84、樋口一葉がお札の顔になることに!!!で、これほど極貧に泣いて、それで寿命まで縮めた人をお札にするなんてやるじゃないか大蔵省造幣局、ついでに万券は宮沢賢治、千円は石川啄木にして極貧攻めに徹してはどうか、と書いていて、よかったです。
頁96「逆送」やられたことあると思うのですが、記憶が欠落しています。
頁110、2004年1月、芳林堂書店池袋本店閉店の記事で、このコラムは本来特定の書店名は書かない不文律、マイルーラルがあったのだが今回これを破る!とカッコよく書いていて、頁42に京都三月書房からのクレームメールが実名で載ってることについて、作者が存命のうちに手を入れてまとめていれば、こんなご愛嬌は読めなかっただろうなあと感慨深かったです。個人客向けにツイッター配信してる企業はいま多いですが、個人客と法人客がいる企業が法人客向けに出してるミニコミをまとめて一般向けに出版することはこれまでもこれからもあまりなく、しかもまとめる時に加筆訂正するのが常なので、こういったケース(作者ガンで逝去)は、かなしいけれどもうれしいこともあるよ、だから安心してけさい、と思うです。
頁118、「絶版」の定義。版権放棄。在庫がなくて刷らなかったら絶版、と思い込んでいた若き日の私は、集英社文庫のシリトーが軒並み手に入らないのに「品切れ再販未定」ってどういうことなんですかと書店員さんに絡みました。まさか淵野辺登戸間のバスのような事情だとはあの頃思いもしませんでした。てゆーかあの頃図書館で他館本リクエストのワザを使っていれば何の問題もなかったのになーという。
ちくまが出してる教科書ってなんだっけ?とか、旧筑摩倒産を、赤字垂れ流しで高給取り社員をなんともしなかったら当然の帰結、と吐き捨てる爽快な記述とか、バブル崩壊から世紀を越えて、蔵前を自社ビル化したので蔵前通信のまま、どすこいのままでゴワス、とか、やっぱしクロニクルは面白いです。
たとえば私が、はてなで非公開で今の仕事のことえんえん書いて、数十年後自動公開するようにしても、一見貴重な唯一無二の記録かと思いきや、そこに書かれた記述の信ぴょう性がブラッシュアップされてないので、読んでもなんとも言えないと思うんですよね。偏向的な記述とか紫式部日記ばりにディスりまくりの日記だったら、特に。裏取らないと、フカシばっかりの可能性がある(戦前のからゆきさん関連の女衒の手記など)
本書の場合は限定公開で内容的にも精査されてよしよしになってますし、一般向けに出版されるにあたり、細かく注記もついたので、正確な業界史としてペルフェクトではないかと思います。本当に僥倖です。こういうことって、やっぱその人についてくることだと思う。生き方生き様がこういう結果を生む。以上
(2019/6/9)