カバー絵 ジョージ・マレイ ブックデザイン 平野甲賀
- 作者: ペネロピ・フィッツジェラルド,青木由紀子
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 1981/06
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原書初版と同じ表紙でした。
この人のほかの小説を読み、ほかも読もうと思って借りました。以下後報
【後報】
Have a nice story
どんな本が好きかって? そう、ふだんは無口でひかえめな友人のような本がいい。こちらの気分に合わせて、おしゃべりになってもくれるが、決して甲高い声で、スローガンなど、わめきだしたりはしない。孤独にはひたらせてくれるけれど、さりとて、とっぷりつかった孤独に溺れて、死にかけるなんて心配も不要。ユーモアにも欠けていてほしくはないな。クスッと笑って、あたりを見まわし、首をすくめて、おいよせよ、人前だぜ、なんていわねばならぬことも、たまにはあった方がいい。そして、もうひとつ、同時代を呼吸していて……どうだろう、。君たちも、そんな本をさがしてみないか。
(なだ いなだ)
晶文社といえば、日本全土を席巻したドラえもん最終回ストーリーの元ネタである『ぼくは誰だ』が入っている<文学のおくりもの>が有名ですが、こんなシリーズも出してたんですね。「なだ いなだ」役は、21世紀だと誰なんだろう。岸田ナントカとか、おぎやはぎママとか。
《ダウンタウン・ブックス》刊行中
ニューヨーク西85番通り A・サロイヤン 三谷貞一郎訳
女の子。詩。仲間。映画。サウンド――ニューヨークを愛したひとつの青春!
パーソナル・ニューヨーク S・チーヴァー 青山南訳
フリー・ライターを目指すサリーが、自分の本当の感情をさがしあてるまで。
ジャズ・カントリー N・ヘントフ 木島始訳
魂の音楽を求める少年の熱い青春。若者たちを魅きつけた名作を新装版で。
ぼくらの国なんだぜ N・ヘントフ 片桐よう子訳
君は激しく生きてるか! 検閲も干渉もはね返すハイスクールの怒りの青春。
この学校にいると狂っちゃうよ N・ヘントフ 片桐よう子訳
オヤジが校長の学校なんて。問題児サムはある日盗難事件にまきこまれる……
女ともだち R・ガイ 加地永都子訳
ルビー&ダフネ。黒人の街ハーレムに住む少女同士の恋愛を描いた感動の物語。
男ともだち R・ガイ 加地永都子訳
17歳の孤児イーディスは妊娠した。自分の体をどうすればいいのだろうか?
すばらしいバスケットボール J・レスター 石井清子訳
アレン&レベッカ。黒人の少年と白人の少女のこころみられた友情は……?
急いで歩け,ゆっくり走れ B・ワースバ 吉野美恵子訳
パパの跡を継いで社長になるなんてまっぴらだ。少年はぶつかっていく。
ぼくは人殺しじゃない F・ホルマン 滝川秀子訳
ぼくはなぜユダヤ人なのか? 大不況の30年代アメリカで、少年は生きる。
蜜の味 S・ディレーニー 小田島雄志訳
世界中を賞讃の渦に巻き込んでしまった,18歳の少女が書いた奔放なお伽話。
家を出てロンドンへ行こう J・カム 小野悦子訳
家からも学校からもランナウェイ! 家出した二人の少女が見つけた愛は?
なんといったって猫 D・レッシング 深町真理子訳
猫の食事。猫の恋愛。猫の病気。猫の旅行。猫の教育。にゃんといっても猫。
こんなふうに生きてみた M・ディケンズ 片岡しのぶ訳
考えこむよりやってみよう! ディケンズ家の娘モニカのひたむきな青春。
アメリカ大逃走 J・コットンウッド 三谷貞一郎訳
デッチあげの殺人容疑。ウィリーはボロ車に乗ってアメリカ中を逃げ回るが…
上記リストを見て、「おおっ、まさにトランプ時代のLGBTQ?アメリカを活写した小説ばかりではないか!!!」と言う人は1㍉もいないと思います。でもこのラインナップに、サッチャー時代の高福祉時代に、60歳にして作家デビューの英国版傘寿まり子(うそ)が、斜陽斜陽また斜陽時代を懐古した小説をブチこんでも、なんか系統が違う気がします。とにかく邦訳を刊行したかったので、なりふりかまわずブチこんだのかも。
テムズ河の潮の満ち干とともに浮き沈みするハウスボート――そこはロンドンであって、ロンドンじゃない。ふしぎな人々の生きる場所。まだ子どもで、もう子どもじゃない娘。半分しか夫を愛してない女。芸術家で港湾労働者の老人。海軍生活を諦めきれない男。そして、くたばりぞこないの一匹の猫。土と水のはざまで生きる人々の哀歓をえがく、ロンドン版『青べか物語』。ブッカー賞受賞作。
ペネロピ・フィッツジェラルドはイギリスで今日もっとも注目される女性作家。オックスフォード大学を卒業後、BBC放送・コーヒースタンド・本屋・学校などで働いた。1960年代、家族とともにテムズ河のハウスボートで暮らす。船は沈んでしまったが、そこでの体験はこの本の中に生き生きと甦った。本書は、マードックにつづいて、イギリス最高の文学賞ブッカー賞を受賞した名作である。
小説本体より、この煽り文句のほうが、上等です。誰が原題オフショアを読んで、ロンドン版青べかだと思うだろうか。マルセ太郎でない方の泥の河はちょっと思いましたが、青べかとは。
ぜんぜん、水上生活者とか、蛋民とかいう感じじゃないんですね。子沢山で七輪で魚焼きながら洗濯して水上マーケットへ小商いに出発するような人々ではない。戦後住宅難でもう使わなくなった平底船というかはしけに住んでるだけの「市民」
ので、この後移り住む家が、象徴的ですが、トレーラーハウスというかキャンピングカーだったりして、「あ、英米のそういう系譜ね」と思ってそれでオワリという。肉食で牧畜で一神教だとこうなります、みたいな思考停止をしてはいけないのですが、そんな気になってしまう人々の人間模様、ヒューマンスクランブルです。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
上記を読んでほかも読もうと思って、図書館蔵書を検索したらこれがあったのですが、これはブックショップの数倍摑み処がないです。なぜケズオ・イシグロも『日の名残り』で獲ったブッカー賞をとれたのか、全然分からない。ガマーチョ夫人みたいなイジワルが弱肉強食とか、そういう「ストーリー」がない。
強いて考えると、ブックショップの映画では、主人公は少女に、ゼヒこれを読んで、といって『ジャマイカの烈風』を勧めるのですが、原作にはそういう記述はなく、しかし『テムズ河の人々』に、しょうむないオッサンがしつように少女をおひざだっこしようとする箇所とか、そういう唾棄すべき箇所がわずかながらあり、本書の個所もしくはオマージュをブックショップにおりこもうとすると、『ジャマイカの烈風』となるのではないかと思いました。
頁80
「この平底船はダンケルクに行ったのかい?」
「何艘かは徴用されたんだが」リチャードは言った。「〈グレース〉とか、〈モーリス〉とか、だが、〈ドレッドノート〉はちがったと思うよ」
「残念だな。いいセールスポイントになったのにな。どうだろう、リチャード、この話の続きはピンク・ジンをぐいっと一杯やりながらってのは」
この言葉がしょっ中口をついて出るので、このリチャードの友人というか知人はピンキーという仇名をちょうだいしていた。
こんな話が青べかのように数珠つなぎにつながって登場し、嵐で大けがしたり船=家が沈んだりします。でも「巡礼だ、巡礼だ」と言ってストリンドベリ片手に夕暮れの街を走ったりはしない。以上
(2019/7/18)