こんなとこでおま。日光街道ではありません。
建物に入らずに、まず尖石遺跡と尖石を見に行きました。
針葉樹も紅葉するんですね。
ほかにもボコボコ住居跡があったわけですが、整地されて、これだけ見物用になっています。そんでここはこんな感じで公園になってますが、以前は他のこのきんぺんと同じ、集落より標高が上の、八ヶ岳の麓の開拓畑だったのだろうと。
これは館内の展示物の黒曜石ですが、これを削って作った矢じりが、畑を耕すといたるところから出て来て、お百姓からしたら農作業のジャマなので、天狗の歯爪とか、おてんとうさまのハナクソと言われていたと、たかしよいち『失われた日本』で読みました。(いや、天狗の歯爪は、サメの歯の化石か)
ヒコーキ雲。松本行きの一日一便より遅い時間なので、富山か小松にでも行くのかと。
尖石は沢の方に降りてゆくとあります。巨石信仰。鹿島神宮の要石みたいだと思いました。古事記だか日本書紀によると、鹿島のタケミカヅチは、諏訪のタケミナカタの両腕を、スモウとって、カンヌキかなんかでもいでしまうわけですが。カランバ。で、その巨石を、なんでんかんでん四本の御柱で囲ってしまうのが諏訪Style。お地蔵さんでもお稲荷さんでも、なんでんかんでん四本の柱で囲むよっ!(多少誇張しています)
沢のほうは田んぼ、水田が作ってありました。放棄したおうちと、まだ耕してるおうち。
館内ではこんな催しの真っ最中でした。本来十月にやるはずが、台風で順延したんだそうです。
トイレまでジョーモンな尖石。
どこのボクサー兄弟かと思いますが、親子。こうやって写真を見ると、早婚早産だったんだなと。この写真の多分少し後に、奥さんがまずなくなって、その数年後、左の長男が、肺をやられたかなんかで、死にます。残りの兄弟はその後も父親を支え続ける。
よくもまあこんな恥ずかしがり屋の甘えん坊の子供をうまいこと縄文人にしたもんだと。
「縄文が好きなようじゃね?」これは土器作成スクールの作品の、乾燥中のもの。
毎週あずさとバスのりついで尖石まで行ける中学生って、ありえないでしょ。これも土器教室の作品。
ドングリ食べろ教室用のドングリ。ドングリドングリといっても、日大時代の植村直己の仇名ではありません。平均寿命三十代の粗食を再現(でも、乳幼児の死亡率が高いから、それで平均すると三十代、って可能性もあると思います)
これもスクール。人面ギョーザではなく、笛だったかな。
ケアフルのスペル、"e"が抜けてます。
タクシー呼ぶ赤電話の下に、何故か炭壺があった。
これも撮っていいですか、と職員さんに聞いたら、もうめんどうだったのか「なんでも撮って」とのことでした。ほんまかいな。
そういうわけで、大英博物館マンガ展のカタログに、移転前のここが描かれた暗黒神話のページが載ってるので、もう私が持ってても仕方ないので、アレしてきました。こちらで要らなかったら、茅野駅前の観光案内所に、茅野が舞台になった漫画アニメ展示コーナーがあるので、そこに混ぜて、大いに異彩を放ってもらおうと。
しかし学芸員の世界はやっぱり学芸員の世界で、受付の方はロンドンまでこのマンガ展観に行ったそうで、学芸員の方は、マンガ展のキュレーターのニコール・クーリッジは、自らが館長を務める博物館で以前縄文展を開いており、その折に、『暗黒神話』含め、縄文を取り上げた漫画についてもひととおり精査しており、今回のマンガ展はそのマイグレを活かしたのではないかとのありがたいレクチャーを私にしてくれました。ほんとにこういうところで働いている人たちは面白いです。私は市井に活きるただの人ですが、こういう場所に行くと、浮世離れしてるので、心が洗われる気がする。
これもどんぐり。以上