『土偶を読む』"Having A Read of 《Dogū》(clay figures of Jōmon period in Japan) " by TAKEKURA FUMITO 竹倉史人 読了

ビッグコミックオリジナル連載終了『前科者』に『土偶を読むを読む』が出てきたので読んでみると、やはり三部作の第一部『土偶を読む』を読まないと始まらない感じでしたので、読みました。

『読むを読む』では函館の「かっくう」の穴の部分には町田の「まっくう」のようなツノがあったのではないかと推測されていて、それは別に『読むを読む』の新解釈というわけでもなく、2013年の道民会議の復元写真でもそうなってました。*1

prtimes.jp

北の縄文道民会議 Hokkaido Jomon Culture Promotion Council | 2013年3月2日 道民会議シンポジウム/対談 猪風来氏×阿部千春氏

www.shobunsha.co.jp

本書出版の2021年の130年前は1891年で、遮光器土偶が遮光器土偶と名付けられた年のようです*2明治24年土偶の存在自体は江戸時代から知られていたので、なんで明治からの謎になっているのか不思議でしたが、そういう話で。

表紙(部分)装丁:寄藤文平+古屋郁美 / 製作協力:池上功一

要するに穴があるので、かっくうは『読む』の主張する栗ではない、栗には似てませんと、そういうことです。文平銀座こんなに頑張ったのに。文平銀座史に残る黒歴史になってしまった。ちなみに、『読むを読む』のブックデザインは望月昭秀(前(株)ニルソンデザイン事務所)という人で、文平銀座が頑張った「土偶」=「貝 / 木の実」!をぜんぶひっくり返して「土偶」≠「貝 / 木の実」?にしています。ひっくり返すだけなら同じ文平銀座にやってもらえば、文平銀座もスッキリしたと思います。残念閔子騫

穴は土産人形ではヘコミで再現されています。なかったことになっていない。

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私は前科者に『読むを読む』が出て来た時、過去に『読む』を出したのでフォローのつもりかなと思ったのですが、『前科者』に『読む』が出たかどうか、分かりませんでした。縄文女子みたいなJKが出るので、出てもおかしくないのですが、私自身がこの日記でメモってない。

で、学会から異端視される研究者と云うと、稗田礼二郎、否、若い頃の白川静さんもアカデミズムの本流でなく夜学出身の我流だったので漢学からそういう扱いだったと『前科者』読書感想に書きました。しかし世の中には、三角形の山を見ればどんな山でも、これは自然物ではない、人工物だ、ピラミッドであると言い出す酒井勝軍みたいなモノホンのトンデモもいますので、本書はどちらだろうと書きました。結論からいうと、白川静先生と同列に扱うなんてとんでもなかった。世の赤貧芋を洗うが如しの幾多の在野の研究者とは一線を画す、学歴だけはバリバリの超エリートが竹倉サンです。

頁322

 一方、これまで散見された「土偶地母神である」とか「目に見えない精霊をかたどっている」いった類の言説は、感覚でなく連想である。これらはわずか数点の土偶の姿形から連想された主観的な印象に過ぎず、人々を納得させるだけの物理的な根拠を欠いている。それゆえ、どれほど多言を弄しようとも、そもそも検証も反証も不可能であり、学術的な水準で扱うこと自体が困難な主張であると言わざるを得ない。

こんなこと言ったら、すべて霊感で言ってるかのような白川静先生の研究はすべて否定されちゃうじゃないデスカ。ひどいよマサルさん。たとえば白川説では、「海」は「黑」に通じ、中国古代人が海を恐れていた証拠であるなんて言っていて、納得はするんですが、エビデンスに欠けるといえばもちろん欠けるわけです。でも、北京五輪CG花火監督张艺谋サンの『単騎、千里を走る』で高倉健サンが海をバックに立つシーンの海はプロジェクターの投影で、なぜか実際の海辺でそのシーンを撮らなかったんですね、張芸謀サンは。それすらも白川静説は説明出来てしまう。ビッグコミック星野之宣マンガでは再三、騎馬民族が手漕ぎ船で大陸から日本をめざす場面が描かれるのですが、それへの違和感も同じ理由から説明出来る。

こうしたものを竹倉サンは否定しといて、それでいて自分のは連想でなく「解読」で、わずか数点でなく多くの対象で検証され一般化された結論なので鉄板であると言ってるわけですが、いやーどっちもポエムやろと。対象の数も変わらへん、というか、あんた多くないでと。

竹倉史人 - Wikipedia

[广K][广O]高校から『そのカワイイは誰のため? ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』*3の作者と同じ[广K][广O]法科へ、そして中退。その前は石原よしずみサンと同じ幼稚舎からだったんですかね。その後むさびの映像科に行ってやはり中退してますが、まあここは東京芸大に行けなかった時点で、しりあがり寿多摩美であろうがムサ美であろうが日芸であろうが桑沢であろうが変わりません。むしろ、美大に行ってるのに、立体造形にそんな詳しくなくてインカ帝国と思いました。①ハート型土偶は横から見ると平板に洗濯ばさみをつけたような形で、オニグルミの半球形とは似ても似つかないのに、どうして似てると言えるのかとは『読むを読む』の弁ですが、個人的には、ハート形土偶座間市マスコットキャラクターざまりんの区別が竹倉サンの縄文脳をインストールされた世界でつかなくなり、同一視されたのではないかと思われます。

https://www.city.zama.kanagawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/006/581/design2024.pdf

ざまりんは正面から見ると平板ですが、横から見ると半球体です。オニグルミの妖精かもしれない。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20230725/20230725145820.jpg

2023年7月。稗の底村を目指して歩いていた時の写真。オニグルミというとこういうのがまず思い起こされ、本書頁077にもこういう写真が載ってますが、作者と異なり、私はハート形土偶と似てるなどと想像も出来ませんでした。葉っぱが黄色くなるので、綺麗です。

頁022

(略)たしかに乳房などの女性的性徴を有する土偶は少なくない。しかし、「土偶が女性の性徴を有している」ことと、「土偶が女性をかたどって作られている」ことは同値ではない。

現代はポリパテがあるので、峰不二子ほかボンキュッパのフィギュアもお茶のこさいさいで作れるでしょうが、古代に無茶言うなって感じ。古代ギリシャローマの彫像塑像とプレ農耕社会の土器をいっしょにされても困るというか、だから精霊や地母神なんじゃないのという。

『読むを読む』によると、『読む』にも載ってるハート形土偶の画像は大日本印刷の関連会社が一括管理してるそうで、しかしその素材に『読む』に載ってるのと同じような濃さの陰影の画像はないんだとか。ムサ美の映像関係を竹倉サンが中退した背景にはこれに類したトラブルがあったのではないかとは思いませんでした。

竹倉サンはムサ美のあと東大文Ⅲで宗教学を学び、院は東工大です。理系へと華麗なる転身ですが、価値システムという統計学?っぽい学問なので、文系の延長線上にある学部だったのかもしれません。上の「同値」とかは、そっから出てきたことばな気瓦斯。これだけ学んで奨学金も返済してたらすごいですが、奨学生ではなかったように思います。どうだろう。

東京工業大学 価値システム専攻 VALDES

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20191118/20191118190038.jpgまあそういう高学歴の塊みたいな人が、官僚を目指すでなく、ハイバックチェアで土偶レプリカをいじり倒して(頁026)人類学者なのに都留泰作サンがアフリカや沖縄でやったようなフィールドワークも行わず(縄文脳インストール作戦と言いつつグランピングもしてなさげ)(縄文フィジカルインストール作戦も敢行して、粗食で摩耗して擦り減った歯、体内には寄生虫、平均寿命三十代後半のリアル縄文人のシビアさを体感したら大変なので真似しないで正解だったかもしれません)なので、白川静サンはむろんのこと、アカデミズム以外の日本考古学のもう一つの面、びんぼうワールドとは相いれない存在であることが分かります。納豆売りをしながら旧石器時代の石器を発見し、日本の旧石器時代を証明した相沢忠洋サン、神戸の空襲で明石原人の骨を焼かれてしまった直良信夫サン、極貧の中で妻も長男も失いながら遺跡発掘をやめなかった尖石の宮坂英弌サンらとは決して交わらない存在が竹倉サンだと思います。

相沢忠洋 - Wikipedia

明石原人 - Wikipedia

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bungaku-report.com

『前科者』が出てないか探しましたが、たとえ出てても、そこまでフォロ―出来なかったでしょう。いとうせいこうは意外とそんな固執してなくて、みうらじゅん登場といれちがいに応援団から退場してます。文章も意外とまじめだった。

www.tokyo-np.co.jp

 かつて一九五〇年代、岡本太郎が芸術家の思考で、しかもイギリスの人類学者フレーザー『金枝篇』をしっかり援用して縄文に光を当てた。同じように今、考古学者を挑発しながら(そこはちょっとやり過ぎの感もあるのだけれどw)、日本の人類学者が新説をまとめた。
 論争は当然起きるだろう。むしろ無視されずにそうなってほしいと思う。なぜなら岡本太郎の時も日本人の縄文への興味が深まったからだし、論争から実り多い結果が必ず収穫されるだろうからだ。

『読むを読む』編集サンは本書編集者江坂祐輔サンの辣腕ぶりにも言及していて、反知性の世界にまで行ってしまうのですが、江坂サンは信大で印度哲学を学んで春秋社から晶文社に移籍した人だそうで、NHKから養老孟司まで駆使して売るような本が、晶文社にそんなあるんだろうかとも思いました。ワックが高給で引き抜くもすぐ意見が対立して飼い殺し状態とか、そういう未来はないかな。

bungaku-report.com

book.asahi.com

『読むを読む』をまだぜんぶ読んでないので分かりませんが、江坂サンは本書の校正をしなかったわけでなく、頁146では大分県豊後高田市ふるさと納税返礼品のイタボガキは生食用ではないと注をつけてます。竹倉サンと舎弟がナマでバリバリ食べてしまうから。ちなみにですが、私が読んだ『読む』は初版。何故か電子版はなし。

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頁002

 土偶の存在は、かの邪馬台国論争と並び、日本考古学史上最大の謎といってもよいだろう。

まずここが私には引っかかって、地母神でFAなのに(Wikipediaによると、プレ農耕時代の地母神は非常に珍しいそうですが)どうして土偶が最大の謎なんだと。もっとほかに最大の謎あるだろう、『ヤマタイカ*4卑弥呼戦艦大和とともに復活して戦後日本を襲う巨大銅鐸の銅鐸のほうがふつうに最大の謎じゃないですか。用途も分からないし、なぜ巨大化したかも分からないし、ある時突然製造がストップされ、大量に遺棄される理由も分からない。土偶は縄文から弥生へのパラダイムシフトで作られなくなるわけですが、土器自体も縄文式から弥生式へと革命的に変化するので、「なんかあったんだな」くらいは推測つきます。でも銅鐸は、卑弥呼のころに突然盛り上がって、トヨの頃に消えたのかな。さっぱり分からない。

ja.wikipedia.org

ほかにも七支刀とか、空白の四世紀とか、ナンボでももっと日本考古学史上最大の謎があると思うんですよ。謎じゃないけど、モースサンが日本を追放される理由にもなった、縄文人が人肉食してた話とか、平田篤胤が漢字渡来以前の日本古代文字と称してたただのハングル、阿比留文字とか。

古田武彦 - Wikipedia

でもそういうのだと、上のヤマイチ国の古田サンのように、トンデモ界でしか有名になれないので、そうではなく、ポピュラーに有名になりたいとしたら、土偶のようにメジャーなものに眼をつけるしかないと、私も思います。

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頁032に、かつての通説では、「狩猟採集の縄文時代」から「水田稲作弥生時代」へ、とあり、そこにわざわざカッコをつけて、「肉食中心」から「植物中心」と書き、最近の研究ではそれが否定されてるとあるので、①否定も何も縄文時代は肉食中心じゃないよ、アルゼンチンのガウチョじゃあるまいし、と思ったのと、②縄文晩期にすでに農耕が始まっていたという最新の知見を出すのかと思いきや、どんぐりなんかを食べていたから肉食中心じゃないとおおまじめに言っていて、いやいや誰も縄文時代が肉食中心だなんて言ってないから、モースサンは大森貝塚で人肉食の痕跡を見つけてしまったけどもサ、と思いました。

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フレイザーを出しますが、呪的逃走ではないです。オオゲツヒメ神話を出すと、地母神になってしまうので、あいまいにしてるのが本書で、それってずっこいね、と私も思いました。つぎはエリアーデを出してください。

大宜都比売神 – 國學院大學 古典文化学事業

縄文時代中期の土偶に、妊婦など生産を象徴した女性像がばらばらに壊されて出土する例が多いのを、

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世田谷ベース出身の竹倉サンがどこで体験したのか分かりませんが、里芋の種芋保存の難しさに頁302をわりとあてていて、なんならサトイモの論文を二つもあげています。海外NPOプロの庄野護サンは、どこの国に行くにせよ、その国の本・ロンブンを百冊嫁と言っていて、本書はそこは満たしてるのかもしれません。考古学者はイラっと来たでしょう。考古学の論文はろくにあげないのに、里芋はあげるのかよと。

でも似てないと思います。遮光器土偶と里芋。

似てない。

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竹倉サンの土偶破壊説の解釈は頁325。人形供養説。オオゲツヒメはおくびにも出さず。中に幼児の骨や歯がおさめられた女性型の土偶も見つかっているのですが、一体しか見つかっていないせいか、学会でもそれを土偶とは明確に定義しておらず、むしろ「土偶型容器」というむちゃくちゃなカテゴリーに入れられています。

https://www.town.oi.kanagawa.jp/uploaded/attachment/2435.pdf

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竹倉サンが立体造形にまで手を出していたなら、もっと植物や海の生き物に似せた土偶を作って、捏造と言われてすべてオジャンだったかもしれません。同様のことは海外にもいえて、海外に土偶がありますかと聞かれて、イエスと答えているので、そのうち世界の地母神はすべて植物か貝類と言い出すかもしれません。ユーラシア博物館、オリエント博物館、国博、展示してるところはいくらでもある。そこまで江坂サンがアテンドし続けるかどうか。マッチポンプ

en.wikipedia.org

土偶の英語版ウィキペディアを見ると、沖縄からは見つかってないとか、ハニワと混同するなとか、わりと的確なことが書いてあります。勉強になりました。竹倉さん最大のチョンボ、かっくうは函館の土偶なので、北海道には土偶あり。竹倉サンは頁131で知里真志保を出すなど、アイヌに友好的ですが、遮光器土偶の名付け親坪井正五郎サンにも温かい視線を注いでおり、坪井さんのコロボックルはアイヌより先に北海道にいた先住民説*5も当然知ってるでしょうから、今後竹倉サンが北海道をどう書くかで、叩かれた彼にウヨサヨどっちが手を差し伸べて、彼がどっちの手をとったか(あるいは両方つっぱねたか)が分かるかもしれません。以上

補記

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結髪土偶古田武彦サンの本で読んだのですが、「そもそも縄文てナワのもようが土器についてたから縄文なんだよね? なわって稲わらで綯うものじゃん、てことは縄文時代も稲作やってたってことじゃん」という説を立てたオッサンが、「縄は稲わらだけで作るんじゃないですぅ。バカなの?死ぬの?」という回答に沈黙させられたことがあったそうで。

https://www.ceic.info/yatsuda/201402.pdf

日本で米づくりが始まったのは縄文時代。でも最初の頃は稲刈りの時に穂先だけを石の包丁で切り取っていたのでワラは出ませんでした。縄文土器に付けられている縄の模様は稲ワラを使った縄ではなく、アシやマコモなどから作った縄だったと考えられています。

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刺突文土偶もヒエでなく下記と思いました。砂の巨人。

www.youtube.com

www.takasu.co.jp

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サントリー学芸賞受賞に関しては、前川健一さんの労作『東南アジアの三輪車』*6が授賞出来なかった呪いとしか。ノーベル平和賞のように、立派な人ばかりが授賞出来るような賞ならいいですね。佐藤栄作さんとか、セオドア・ルーズベルトさんとか、ダライ・ラマ14世さんとか、アウンサン・スーチーさんとか、ジョン・カーターさんとか、アラファト議長さんとか。

以上

*1:

https://www.jomon-do.org/wp-content/uploads/2013/04/820aabd45e8d2549f8f78c60f073ca77.jpg

*2:

栃木県埋蔵文化財センター

 明治24年(1891)、坪井正五郎という考古学者(人類学者)は、イギリスの大英博物館で、シベリアの人が、雪の反射光を避(さ)けるために使用する遮光器(しゃこうき)〔板に細い線のような切れ目を入れ、それをメガネのように使用する=雪眼鏡(ゆきメガネ)〕を見つけました。そして、日本の土偶でよく似たものがあることに気が付き、あの土偶の目はこれだったのかと、遮光器土偶と名前をつけました。
 ところが、その後、遮光器土偶が多く発掘され、色々な分析をしたところ、土偶の模様や飾りの部分の表現の変化に合わせて目の形も変化することがわかりました。つまり、最初は遮光器のような目ではなく、模様が派手になったとき、目も遮光器のようになったのだと考えられるようになり、

*3:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

*4:

*5:

坪井正五郎 コロボックル風俗考

*6:

stantsiya-iriya.hatenablog.com