『諏訪学』"Suwa Studies." KOKUSHOKANKOKAI INC. 国書刊行会 読了

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ある晩もそもそとウイグル料理を食べながら、隣のテーブルで紳士淑女が交わすご歓談を、聞くともなしに聞いていました。流経大などに留学されていたウイグル人青年たちの思い出話が始まり、彼らの下宿で知ったのだがと前置いて、ウイグルジークカワブは汉族の羊肉串と異なり、卵白などを使って下味をつけている等々、コアな情報が飛び交いました。へーと思いながら、隣のテーブルの主賓がトイレに立ったのをしおに、こちらも席を立ってお勘定しようとすると、店主から、そちらにオワしたのは和光大のサカイ先生で、中央アジアの権威だと教えられました。それで、帰宅後検索して、お書きになった本を一冊読んでみようと、読んだのがこの本です。

ブックデザイン:山田英春 カバー図版:天竜川流域図(個人蔵)ウェブ上の表紙画像はなべて帯付きでしたので、帯の下の部分を置いておきます。諏訪盆地はそんなに強風地帯という感じがしないのですが(北関東上州からっ風などに比べて)本書冒頭の「風の祝」のくだり(失われた古代の祭祀論考)などに、この盆地の絵はふさわしいと考えられたのでしょう。

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諏訪盆地から富士山を眺む。2020年11月。

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同。朝。レイクナントカホテルから。このホテルは残念ながら、長引くコロナカを持ちこたえられず、閉館しました。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20190320/20190320194931.jpgそれで、諏訪学というと、諏訪に関する雑学集大成の意味も出て来そうで、なんで諏訪姫のスカート丈は、しもの毛が見えそうなくらい短いのか、とか、間欠泉どうなってんの*1とか、セイコーとかシチズンとか、神州一おみおつけとか、ラムラム王*2とか、諏訪っチャオ*3や「すわっていいよ」*4のダジャレは誰が考えたのかとか、花火とか、酒都*5とか、無期懲新幹線ナタ男の服役中の様子*6とか、いくらでも広がりそうですが、本書の諏訪学は雑学の意味でなく、諏訪信仰の研究を指すんだそうです。考えてみれば、全国に諏訪神社があり*7、「諏」という漢字はほぼほぼ「諏訪」にしか使われませんが*8「諏」の音読みは「しゅ」、「訪」の音読みは「ほう」なので、「しゅほう」と読んでもいいのに「すわ」と読む。記紀神話では、出雲の国譲りで、ただひとり大黒様の国譲りに承服せずあのつがみに力比べを挑み、負けて両腕を失って諏訪に封印されたタケミナカタ。勝った武御雷鹿島神社に祀られ、実は両者を結ぶ線は古代の塩の道でもあった。それとどう関係があるのか、物部守屋とほぼ同音のモレヤ一族が神官職にあって、実は伊勢も、神宮を一歩離れると出雲系の神々ばかりで、諏訪ともつかず離れずの関係であると。そして縄文。こっちに転んでも、ナンボでもねたは転がってそうです。

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尖石考古館入口。2019年11月。

御柱祭のビニルの飾り付け。2016年。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20191118/20191118190038.jpg左は、本書の諏訪学先駆者紹介コーナーに出てこない、尖石考古館初代館長ご一家の発掘風景。戦後食糧難のころ。

しかし私としては、2008年に建築探偵藤森照信が設計した守谷史料館に行ったことがあるのですが、その時会った女性二人連れが「知ってますか?古代日本にもユダヤ人がいたんですよ、失われた一支族と言って…」と言い出して、私の白けた顔に「ハイハイ戸来村デスネ、ハングル文字ソックリですけど神代文字の阿比留文字なンデスヨネ、そんで古代日本のピラミッドは酒井勝軍が驚く勿れ以下略」と書いてあったのを読み取って、「そうね、そうよね、あなたには判らないことだものね」と何故かえらそうにマウントとって言って、こちらにいやな気持ちを残して行ってしまった、しかしこっちは、行ってくれたか、ああせいせいした。という爽快さもあるアンビバレントな思い出があり、もしこの本がムー的なトンデモ本だったら簡便だようと思いました。が、本書には日ユ同源説なんて一行も出ないので、そこはマシでした。基本民俗学のワクから外に出てこなかった。ほんとうに助かります。

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ただし本書は、世の中には偽書があるという前提に立っていないので、そこは精査が必要ではないかと思いました。

上は守谷史料館。2008年。なぜ藤森照信が設計したのか、おとーさんが諏訪学先駆者のひとり、藤森栄一だからかと思ったですが、そうでないようです。同じフジモリなので、親族かもしれませんが、ペルーの元大統領フジモリさんは熊本なので、違うかもしれません。

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1991年:神長官守矢史料館で建築家としてデビュー(藤塚光政『神長官守矢史料館』TOTO出版、1992年で紹介)。78代当主守矢早苗と藤森が幼馴染みという縁で、茅野市役所が藤森に設計依頼を持ちかけた。設計作品では自然素材を大胆に使う。

藤森栄一 - Wikipedia

左も2008年モリヤ。お蚕の神さまが諏訪にはいないと書きながら、後ろまで読むと、ちゃんと信仰される神はいたりします。いろいろ細かい本です。絹糸のくだりで、片倉同族団というのが出ますが、現在の片倉館と同じ創業者一族ということでしょうか。いつも駅前の観光案内所で片倉館百円引きのクーポン貰ってから片倉館に行くのですが、逆に言うとそれ以上知らないです。

で、サカイさんは、オルフェウス伊邪那美の黄泉の国巡りがクリソツでありながら両者を結ぶ古代史の線が見つからない現状(スキタイが触媒になったと、推定はされている)を意識してかしないでか、甲賀三郎は、大陸の英雄譚のこれにこの部分が似ている、この部分は似ていないをえんえん繰り広げる論文を書いたようです。しっかりしたDBがベースなので、チャットGPTでいくらでも量産出来そうです。桃太郎とテュルク系英雄譚、一寸法師とテュルク系英雄譚、カチカチ山とテュルク系英雄譚。

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なぜ中央アジア関係の論文が本書に必要だったかというと、本書は和光大学総合文化研究所からの助成金で出版出来たわけで、サカイさんはそのメンバーなので、その名前が必要だったからと思われます。すべて在野の諏訪研究者だけで本を作ってしまうと、和光大学の本として出すにあたって具合が悪かったのかも。柳沢きみおも卒業生なので、御柱祭と特命課長、みたいなテーマで書いてもよかったと思いました。

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和光大学というと、上のような人もいましたので、そういうのがあったら困ると思いましたが、そこは杞憂でした。テュルクとの比較の中に、20世紀の韓国口承伝記も出ますが、韓国が出るのはそれくらいです。むしろ、テュルクが出るのに、ペルシャや中国、インドが出ない点を、またほかの専門家も交えて広げてもいいような。

裏表紙。以上

【補遺】

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はなはだ不勉強なのですが、本件、私は「びんずる」と「かるかや」を混同しておりました。

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「苅萱」と書いて「かるかや」と読むのですが、石童丸の物語というのがとても有名だそうで、このかるかや山は商店会と組んでいろいろイベントをやったりして、チベット関連のイベントもやったことがあるので、それで何かトラブルに巻き込まれたのかと思ってしまいました。じっさいは被害に遭ったのは善光寺で、違っていたわけです。

そして、この「かるかや」は、その名を冠した説教集もあり、説教の中で、弘法大師とその母あこう御前の物語も語られ、それが本書頁538「エピローグ だれも知らない甲賀三郎ー月面着陸へ」とつながります。あこう御前は大唐国の姫君だったそうで、ということは大和民族でなく漢人なのですが、三国一の悪女、醜女として夫からも父親からも忌み嫌われ、うつぼ舟に乗せられて唐土から讃岐に流されます。日本でも彼女に婚姻を申し込む男性は現れず、彼女は処女懐胎を決心します。屋根だか塀の上に立ち、桶に水を満たして二十三夜の月を映し、日輪の申し子を授かろうとするのです。すると西の海より黄金の魚が彼女の体内に入る夢を見、果たして彼女はのちの空海上人となるこどもを受胎するのです。

データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム

本書はこの「かるかや」に於けるあこう御前の物語を、全国に流布する甲賀三郎の物語のうち、鹿児島県甑島に伝わる話とよく似ているとしています。この話は甲賀三郎というより、海幸山幸の姫君争奪戦なのですが、月が舟にかたちを変えて地底に取り残された弟を救い、また月へ帰ってゆきます。甲賀三郎は通常蛇体になるのですが、蛇と月の満ち欠けには関連があると石田英一郎というエラい先生が言ってしまったので、よけい、ヘビになったっちゅうことは、月世界探検も射程距離じゃのう、と思う人が出てもおかしくなくなったということらしいです。

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ジョーモン土器には、蛇の文様が刻まれることが多いとか。尖石考古館の夏休み土器づくり教室では、このように蛇の取っ手の土器を地元小中学生に作らせて、文化の継承に余念がありません。

そんなこんなでこの項は、月面着陸というタイトルがこけおどしだと分かるのですが、ではなぜ月面着陸とまで言ってしまうかというと、全国の民俗学愛好者たちにおおいに影響を与えた、半村良の小説群の中で、とりわけ小説を現実と混同する御仁があとを絶たなかった作品として知られる、『産霊山(むすびのやま)秘録』で、上古の昔から天皇家直属の忍者として歴史の裏で活躍してきた「ヒ」一族のひとりが、古代の呪具三種の神器を駆使してテレポーテーションを行い、月面に転移着陸そく死亡(のちにアポロ何号が遺体を発見して回収)というくだりがあるからだと私は考えます。この小説は、想像以上に日本全国の、日ユ同粗論やら超古代文明やらなんやらの人々の想像力を刺激しました。諏訪学の使徒が、国津神やら遮光器土偶が宇宙人に似てる点やらが大好きな人たちだとすると、ふしぎな力で月面着陸というモチーフが刷り込まれて、離れられなくなっていてもおかしくありません。

こういうのはほどほどが大事なので、諏訪学からも、びんずる盗むような真似はアカンよと、諭していただけたら効力があるかもしれません。以上補遺。

(2023/4/8)