『すべて真夜中の恋人たち』"ALL THE LOVERS IN THE NIGHT" by KAWAKAMI MIEKO 川上未映子(講談社文庫)読了

ビッグコミックオリジナル連載終了『前科者』に出てくる本『文にあたる』*1を読んで、そこに出てくる藤沢周平『寒い灯』*2と本書を読もうと思って、読みました。本書は主人公がやはり校正の仕事をしているので、『文にあたる』としてはぜひとも紹介しておきたかったのかも。

bookclub.kodansha.co.jp

英題は英訳から。本書は英語版のウィキペディアもあって、ワシントンポストやフィナンシャルタイムズにも書評が載ったそうですが、講談社公式にある「全米批評家協会賞 小説部門 最終候補ノミネート!」の文言はありませんでした。

英訳者はサム・ベットとデヴィッド・ボイドというふたりの人で、名が体を表すなら、男性です。以前読んだ邦訳業の初老男性が、スペインかどっかで、自分と同性同世代に訳してほしいという作家がいてナンセンスだと呟いていたのを思い出し、川上サンはそこはこだわりないんだなと思いました。この時点では。

en.wikipedia.org

本書を訳すのは大変だったろうと思います。邦人女性の抽象的な会話を英語に置き換えてゆく。

頁330

「彼氏と?」

「そういうんじゃなくて」

「そういんじゃないって? 友達とか?」

「そういうのでもなくて」

「じゃあ何なの?」

(略)

「酔ってるの?」とわたしはきいた。(略)

「彼氏でも友達でもセフレでもないとしたら、何なの?」(略)

「すきな人よ」(略)

「単にすきってだけの人?」

(略)

「そういうのがいいって?」とわたしはきいた。

「だからあれでしょ。そういうのが好きなんでしょ。楽なのが」

「楽?」わたしはききかえした。「楽って?」

「楽なのがすきなんじゃないの?(略)そういうのが好きなんでしょ」

(略)

「(略)まあそうやって生きていければ、それは楽なんじゃないの?」

「それは、楽なの?」とわたしはきいた。

「どうなの?」と聖は言った。「それはあなたのほうがよくわかるんじゃないの?わたしはそういう人間ではないし、そういう人間と違って、ちゃんと生きるための対価を払ってる実感があるもの(略)」

「あなたの言う、その楽をしている人たちっていうのは、あなたが払ってるっていうものを払ってないの?」とわたしは言った。

「知らないけど」と聖は言った。「でもまあ、わたしからみれば、(略)」

 わたしは黙って自分の指をみていた。

「……わたしが払わなきゃいけない、その、対価みたいなものを、かわりに自分が払ってるって、そう……、言いたいわけなの」とわたしは小さな声で言った。

(略)

「――まあそんな面倒な話どうでもいいわよ。(略)相手はあなたに気はあるの? どうなの?」(略)

「なんだ、言ったのね。――それでむこうはなんて?」

「べつに」

「付きあおうとか、なかったの」

「そういうのじゃなくて」

「じゃあ寝たの?」

(略)

「そういうのじゃないから」

セクシー田中さんの脚本家につっこまれてへどもどしてたらそのうち原作者がやってくる予兆のような展開ですが、こういうあいまいなうえにあいまいなあいまいキングみたいな文章を英訳すると英語圏の人はもうキュンキュンしちゃうのかなあと思いました。私の貧弱な英語理解では、オールはこの場合「~だけ」という感じになるはずなので、"aiiall the lovers in the night"は「すべて夜の恋人たちだけ」で、真夜中のミッドナイト"midnight"じゃなくてただのナイト"night"、夜だし、"EVERY LOVERS IN THE NIGHT"「みんな恋人夜のなか」だとマヌケなのでこうしますた、ってことかしらと悶々と思いました。

読んだのは講談社文庫の、2015年3月の六刷。2014年10月初版。単行本は同社2011年10月刊。表紙画像を見ると、左下に講談社文庫のロゴが入っているのといないのがあり、単行本文庫本同じ表紙と分かります。カバー写真 井上佐由紀 星々 西塚琳 カバーデザイン 名久井直子

ja.wikipedia.org

私はこの人を大阪出身の日芸閥と思ってましたが、ちがった。『先端で さすわ さされるわ そらええわ』や『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』のように、「東京で関西弁をさべる」芸風かと思ってましたが、それも違った。本書の登場人物は、男性は忘れましたが(持ち家のこども部屋おじさんではないと思います…)女性はどちらも長野県出身で、東京で賃貸に住んで日々働きます。

en.wikipedia.org

初出は「群像」2011年9月号。文庫本は活字が大きい38文字×16行ですが、それでも350ページキッチリあって、それがまるまる一号に載るんだから、今の文芸誌って、ほんとうに誰も読んでない、単行本書下ろしをさけるためだけの媒体なんだろうなと思いました。図書館購入分だけしか刷らないのではないか。ほんとに連載で読む人がいたら、三号くらいには分けて載せるだろうから。ただ、本書は、単語の多くを漢字変換せずかなのままで使ってるので、そこは文字数カサ増ししてると言えるかもしれません。その理由としては、現代はあまりに漢字変換が安易で、誤用も多そうなので、①自分を戒めるため、❷かな文字のよさを読者に再認識してもらうため、3⃣校正者の手間を減らすため、のWin-Win-Win三乗があるように思えます。

文庫ボーナスの解説はないです。双葉社文庫だったらぜったい知り合いに解説書かせるのに。「わたしはこの小説を読んで、泣いてしまった。ほんとうに、わんわん泣いてしまったのだ。家人がおどろいてハンカチをさしだしてくれたほどである」くらいの感想文誰でも書けそうなので、それで一切解説まかりならんとなったのか。

本書タイトルのアンド検索ワードに「映画」があるので、映画化されてるのかと思いましたが、別の短編が吉岡里穂主演で映画化されてるのが、まぎらーしく出てくるだけでした。AIはその辺区別つかないのかもしれない。

カバー裏

「真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う」。わたしは、人と言葉を交わしたりすることにさえ自信がもてない。誰もいない部屋で校正の仕事をする、そんな日々のなかで三束さんにであった――。芥川賞作家が描く究極の 恋愛は心迷うすべての人にかけがえのない光を教えてくれる。渾身の長編小説。

単行本の裏表紙も表紙と同じです。

(1)

「三束さん」という三周りくらい年の離れた男性が、カタい職業のはずなので、妻帯者でないわけないと読者に予想させるも一切その辺の身上書、釣り書きが出ないまま話が進行するので、いつ不倫になるの? 不倫の展開にさせないで清い関係のままで行ってよアグネス!! こういう子が不倫になったら古谷徹の29歳で66歳に声かけられて妊娠中絶を経て34歳で71歳を訴えたみたいな話にナチャウヨ、とドキドキハラハラ時計です。青春の残骸。

私の勝手な読解で、「三束」サンは三枝成彰のオマージュじゃいかと思ったもんですから、余計に。自分ではモテ要素があると思っても、これくらいにしよし、まちがってもパパ活してはいけないし、「入江たん、きみはあのたんに似ている、ハァハァ」などのメール、もといLINEを送ってはいけないという。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

(2)

また、この主人公が、ぜんぜん違うキャラなんですが、類例を知らないので、不思議ちゃんとか森ガールとか言う前に、「あの」しか思いつかず、たぶん映画化で安易なキャスティングしたら「あの」一択だろうと思います。で、「こんな校正従事者いません」と業界からソッポむかれるも少数派意見なので黙殺されるという…

主人公は作者の周囲の複数の人物、エピソードの複合体ではないかと思われるので、出先で嘔吐してかたづけにそのオフィスビルのぞうきんを使ったので、後日新しいぞうきんを持って再訪してあわよくばついでに過日のそそうを謝罪しようとするようなキャラと、おとなしく正直で損するタイプのおくてに見えて、会話はかなりその場しのぎで、実はウソばっかり回答してるキャラとが、入り混じってると思いました。ほんとうそばっかりなんだもん、まじめに答えてるように見えて。笑いました。

(3)

で、この小説は、これも複数の人物の複合に由来するであろう、チョットつぎはぎで流れがおかしい、アル中小説でもあります。飲めない人物、お酒に弱い人間のほうが依存しやすいというパターン。学生時代ちょっと飲んで気分が悪くなったのでそれからノンアルライフだったのが、酒豪の友人を得て飲酒に開眼し、在宅ワークであることもあいまって、宅飲み昼飲み、頁81、外出時はマグボトルに冷えた日本酒を入れて持ち歩くようになるまでそれほど時間はかからなかったという。家には呑とかそういう四リットルくらいの日本酒を常備し、出先では緊張もあいまって嘔吐したり、酔ってビルの廊下の椅子で寝て、置き引きに持っていたはずのバッグ盗られても気づかない。

それで、いつ本業に影響が及ぶか興味津々で読んでたんですが、ついに破綻せず終わるんですね。むしろ底つきもしないで自然断酒してからのほうが、鬱っぽく(頁270)心身不調になる。これはへんだなーと思いました。高知なんとかサンや山口メンバーのように「良い依存」に没頭まっしぐらの展開なら、まだ分かるんですが… 

絲山秋子サンに解説書いてもらって、ぜひとも『ばかもの』との比較をしてほしかった。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

映画「ばかもの」は例の成宮主演で吉岡秀隆の元嫁がヒロインなので神がかってると思わないでもないです。白石美帆が青あざメイクで出勤し、DVを思い出して職場で泣き崩れる場面は今でも覚えている。典型的な、「巻き込まれた」イネーブラー。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

(4)

主人公が、まだ高校生がケータイ持っていなかった頃、家電時代に男子の家にのこのこ遊びに行ってコマされ、相手が萎えるようなことを言って、その後自然消滅の場面のリアルさは、「三束さん」の草食老人ぶりの担保になったと思いました。パパ活はダメよの補強。

高校の頃の親友がTDL遊興にかこつけた上京時連絡してきて、現在は夫とセックスレスでダブル不倫状態(子どもは二人)を語る場面(頁250)などは、作者にも同じ境遇の知己がいたのかもしれないが、余計な展開だなあと思いながら読むと、「そういえば○○死んだってよ」展開となり、早漏高校生は普通にそれが治って死んだんだろうかなどと思いながら読むと、それが孔明の罠であることに気づかされます。こういうのは長編でないと削ってしまうので、冗長な小説が書きたかった作者の意図が成就した瞬間と云えるのかもしれません。

(5)

頁305、「先取」ということばが出て、「せんしゅ」と読ませてます。会話の場面で、「せんしゅ」と言われても言われた方は何が何やらで、「さきどりという意味の」と言われて、ようやく分かります。

kotobank.jp

「先取り不安」の「さきどり」デスヨ、とはさすがに言いませんでした。言ってもよかったのに。

www.a-h-c.jp

ここは、京急蒲田だけでなくこういう幅広い地味な活動も行ってますよという。タコハイで怒り狂った人が何時か零落してお世話になる可能性があるかどうかは知らない。でもなんでタコハイにあんなかみついたんだろう。

主人公は会社でもいづらくなり、上のモーレツツッコミ女子のあっせんもあって、フリーの校正者となります。その瞬間彼女を襲った、月々定収入のない不安の描写こそ、立派な先取り不安です。もし家賃が払えなくなったら。もし。もし。彼女の恋も、彼女の酒も、何も助けてくれない。それでも、食欲がなくなってやせおとろえた肢体は(なんの必然性もなく)親友のくれたブランドものの服がピッタリ似合いますし、飲んだくれて殆ど化粧もしない洗髪もしなかったのに、美容院の店主がうらやむくらいの髪質肌質だったりします。おそるべきファンタジーの一瞬一瞬のきらめきをいとおしむ、そんな小説です。たとえばそれは男性との外食。それってパパ活じゃん以下略 以上