『7人のシェイクスピア NON SANZ DROICT 10 』(ヤンマガKCスペシャル)読了

 装幀/柳川価津夫+大野裕介(SPICE)  巻末に参考文献一覧とスタッフ一覧。スペシャルサンクスは、コラムも書いた神戸外大の指教授と、2019年、日本シェイクスピア協会会長に就任した東大の河合祥一郎教授と、ヘンリー六世引用元の筑摩書房版を訳した松岡女史へ。河合機構長という肩書のほうがよいのだろうか。チーフオフィサーオブファウンデーション? アメブロの写真が不思議でした。

世界的文豪シェイクスピアが落ちたのは、禁断で真実の恋。

世界から許されない恋は何をもたらすのか――。

 私は、「恋におちたシェイクスピア」という映画も見てないので、なんとも。劇場戦争、かなり引っ張りますね。ここに来て、話が一ヶ月前に遡って、デッドプール役の俳優みたいな人が頭身変えて出てくるとは思わなかった。で、その人の決め台詞が、「ルネッサ~ンス」イタリアのルネッサンスが14世紀で、16世紀後半のイギリス、エリザベス一世の時代のイギリスはルネッサンスだったそうなので(蝸牛で文化が波紋したのか)そう叫んでもおかしくないと。

近隣の書店数軒、トネガワと喧嘩稼業はあるのですが、これがなくて、県央随一のマンガの品揃えを誇っているけれども街自体が高校生のハブ駅でなくなって(だいぶ前の学区変更からこの方)、風俗店が増えててなんだなあ、の本厚木駅厚木市で買いました。厚木駅の海老名市ではなく。

買う前からアマゾンのコメント欄に、普通は続刊はそれほどコメントつかないのに、珍しく「エッチいらない」のコメントが散見され、最近のヤンマガ連載だからしょうがないんじゃないかと思いながら読みましたが、やはりたいしたことなかった。

ただ、ハロルド作石は、女性は描きますが、ラブシーンはベックの十代男女のキス止まりで、非常に清いので、逆にそれがよかったと思うのですが、流石に三十路の野心家男が主人公では、誰かに手を出す展開にしないと不健康だと思ったのか。逆に、それまでどうやって性欲を発散させていたのでしょうという。ワースが泣いてましたが、片目隠すのやめればいいのに。周囲にあれだけ女性に囲まれていて、男性も年上から少年までたくさんいて、どうしてたのか。

ミッキー安川の'50年代米国留学記(南部)を読むと、南部白人の若者のあいだでは、男女交遊やデートは非常にさかんなのですが、ペニスをヴァジャイナ(ベック流の英語読み)に挿入することは禁忌で、まだ避妊具が発達しておらず、中絶が信仰に背く行為である以上、セックスをしないことが女の子を傷つけないこと、という非常に重い価値観が世間に共有されており、そこからはみ出たものは、やはり共同体や社交世界からつまはじきにされる、ということだったのを覚えています。なので、基盤以外だったら女性もなんでも協力するし(なんでも、と白人同級生が言ってた、と書いてますが、たぶんエブリシングオーケーとはいいつつ、社会常識に照らし合わせて、そうではないはず)男子同士がつれだって車で、牧場に家畜と獣姦に行く場面が、ごく当たり前のように書かれていました。シェイクスピアのイギリスも、そんなもんだったのではないかと勝手に思います。だから最初の夜に最後までいってしまうのをきっちり描いてしまうと、あとあと誤魔化せなくなって、大変ではと思いました。

これまでのハロルド作石の濡れ場というと、ゴリラーマンも梶間なんとかと黒人野球留学生の立ちセックスを誰かが目撃する回想場面(網トーンが貼ってある)くらいしか思いつきません。毒島は読んでないのでなんとも。リンも。

ベックはあと、野外フェスでインターナショナルスクールのイタリア系女子が興が乗ってトップレスで踊り出して、それが各会場のオーロラビジョンに大写しになって、観客動員に影響するという場面があります。確かその女の子が、乳輪が大きいので、それが好きな男子だけが走るという、これもひとつひねった描写でした。だからこの漫画で、女性の体が、なんかシリコンみたいだったのは、残念です。もう少しひねってもよかったのでは。忍者だし。

なんとなく作者の師匠の小林まことの、柔道部物語で、ネタバレですが、最後三五十五が彼女が免許取って親からもらった軽かなんかで卒業式の後ドライブしてペッティングみたいになりそうになった時、駐禁だったので警官が現われたら鷲尾で、人を殺してもなんでも俺に言え、無罪にしてやると言われ、去り際振り返って「続きやっていいぞ」というところで全巻終わる、あの場面を思い出しました。

この連載は、もっとチャキチャキやって早期に完結させることに意義があると思ってましたので、ここに来て、ロングランの気配がするので、今のヤンマガでほんとかなと思います。どうなるのか。以上