装幀 東谷武美
巻末に初出一覧(そうとうずらずら並んでます)
1979年8月7日初版で、読んだのは1980年9月15日四版。
近代ナリコエッセーで大場久美子大庭みな子が出てくるので、何か読もうと読んだ本二冊目。ですが、別にこの本が推薦されてたわけでもなかったはず。
わりと堅苦しい男女論が羅列され、えんえん語られているので、右から左へ読み飛ばしました。多夫多妻でも、自由に同時恋愛可な状況でも、このひとりだけとつきあいたいと思わせる男女関係が理想といきなり出だしで書いてあって、はあそうですかと。
後半になると、ふつうのエッセーも入ってくるので、興味を持って読むことが出来ます。さいごまでチラ裏だとキツい。
頁211に『カリフォルニア州ヨコハマ町』の読書感想があり、私も引用したサローヤンの序文を大林素子大庭みな子サンも引用してます。
何千人といるアメリカの隠れた作家の中で、トシオ・モリほど英語を書くことが下手な人は、三人といないであろう。
お子さんは日本語が喋れるようになってからアメリカに連れてったそうで、それでもこうなったそうです。
頁128
数年も経てば子供の日本語はだんだんおかしくなるのが普通である。英語では洋服でも帽子でもすべて身につけるものは put on であるから、靴下を着たり、帽子を着ることになるし、水道も電燈も turn off だから、電燈も水道も消すことになる。英語では数えられる名詞にはすべて単数と複数があるから、日本語にもやたらにSをつけてクツズ(靴)、エンピツズ(鉛筆)、ホンズ(本)ということになってしまう。
娘さんは中学が終わってから帰国したそうですが、高校がのんびりした私立で、寄宿舎に二年間入れたら、卒業する頃には日本語も普通になったそうです。さらっと書く。
文庫本も同じ表紙です。
以上