閑谷学校『あいうえお論語』財団法人 特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会編 再読

閑谷学校あいうえお論語 (特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会): 2007-10|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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平成十九年十月に初刷で、持ってるのは平成二十年十二月の五刷。題字 森崎岩之助 監修者は森熊男(岡山大学教育学部教授 / 当時)あとがきもこの方で、竹内良雄先生と云う方の発案、章句の選択、解説、編集、校正等尽力大であったと書かれています。学術書ではないのでいちいち参考文献は上げないが、多くの先人の注解を参考にしたとか。

 過ちて改めざる、是を過ちと謂う。子曰、過而不改、是謂過矣。(衛霊公 第十五)

いきなりこんな感じ。これであいうえお順に続きます。「いにしえの学者は己のためにし、今の学者は人のためにす」「己に克ちて礼にかえるを仁となす」「君子はこれをおのれに求む。小人はこれを人に求む」「三人行えば必ずわが師あり(以下略)」「仁者は難きを先にして、穫ることを後にす」「其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ」「天下道有れば則ち見われ、道無ければ則ち隠る」「徳は孤ならず、必ず鄰あり」「汝、君子の儒となれ、小人の儒と為る無れ」「佞人を遠ざけよ。佞人は殆し」

等々。歴史的には功罪ともにある句もありそうですが、思いは分からないでもなく、時局的な事情もあるのでしょうが、胸に迫ったのを上に列記しました。急いでるので、漢字やかなはあとで補強します。とりいそぎ。

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【後報】

編纂を主にされた竹内良雄という方は、検索すると、都立大を出て慶応で教えてた方が出るのですが、同名かつ同分野なだけで、この本を作った方は、岡山で県立高校教諭を経て閑谷学校でお勤めの方(あとがき時点)とのことでした。

 過あやまちて改あらためざる、是これを過あやまちと謂う。子曰、過而不改、是謂過矣。(衛霊公 第十五)

 ふつう、あいうえお順に論語の言葉を並べる場合、「あ」は、「あしたに道をきかば、ゆうべに死すとも可なり」(タイムパラドックス)を置くと思うのですが、この本は違う。ここにまずしびれました。最近で云うと、改めた例として、小池都知事があると思います。改めないで何度でも同じことをやって傲然としてる人は、まあ、稲妻が落ちて打たれ死ぬのではないかと。

 古いにしえの学者は己おのれの為ためにし、今の学者は人の為ためにす。子曰、古之学者為己、今之学者為人。(憲問 第十四)

これを私は解説とまったく反対にとり、昔の学者は利己主義で知を自分のためにのみ使い、沈殿させてきたが、これからの学者は大衆庶民のために学んだ知恵を生かさなくてはならない、というふうにとりました。たぶん間違ってますが、まあいいや。(解説では、昔の学者は自己研鑽のために勉強したが、今の学者は他者からの承認欲求のために勉強してると)

 己おのれに克ちて礼に復かえるを仁と為す。顔淵問仁。子曰、克己復礼為仁。一日克己復礼、天下帰仁焉。為仁由己、而由人乎哉。(顔淵 第十二)

この前の日に読んだ小島毅サンの本では、「仁」という概念はとらえどころがなく、論語でも箇所によって言ってることがちがう、というか、具体的に直球で語らず、比喩ばかり使うので、それでブレてしまうんだとか。でもまあ、礼を欠いたら仁ではないというのは、時の為政者を見ても分かります。

 君子は諸これを己おのれに求む。小人は諸これを人に求む。子曰、君子求諸己。小人求諸人。(衛霊公 第十五)

「先ず隗より始めよ」はまた別の話で。ここまで五月くらいに補記。

さ 三人行えば必ず我が師有り。其の善き者を択えらびて之これに従い、其の善からざる者にして之これを改あらたむ。子曰、三人行、必有我師。択其善者而従之、其不善者而改之。(述而 第七)

なんでこれを選んだのか、今、七月時点、となっては思い出せません。

 仁者じんしゃは難かたきを先にして、穫ることを後にす。樊遅問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之。可知矣。問仁。曰、仁者先難而後獲。可仁矣。(雍也 第六)

読み下しは後半部分だけですが、素読部分に、その前の、断じてこれを行えば鬼神もこれを避く、だったかな?(この漢字ではそうは読めませんが)が入ってるところがミソ。分かる奴はついてこいよ、みたいな。民の為に行えば。解説は、ほんとうに高潔な人物と云うものは、周囲の評価ありきで行動しま千円、と書いてます。

 其それじょか。己おのれの欲ほっせざる所ところ、人に施ほどこすこと勿かれ。子貢問曰、有一言而可以終身行一レ之者乎。子曰、其恕乎。己所欲、勿。(衛霊公 第十五)

前半部分は、解説に依れば、〔弟子の子貢が先生に尋ねた。「たった一文字の言葉で生涯実践してゆくべき教えがありましょうか」と〕です。それ女媧。トレランス。

て 天下道みち有れば則すなわち見あらわれ、道無ければ則すなわち隠かくる。子曰、篤信好学、守死善道。危邦不入、乱邦不居、天下有道則見、無道則隠。(泰伯 第八)

逃げろ、正しいことが行われていないのなら。てことで。死守とは死ぬことではないという。まー「隠れる」が死ぬことなら、死んで逃げ切る、咒的逃走の完成というふうにまぜっかえしも出来ると思いました。でも名誉回復に関する中国人の考え方を見てると、その解釈は少数派とも思う。回復してくれる子孫がいるかどうかという話もありましょう。

 徳は孤ならず、必かならず鄰りんり。子曰、徳不孤、必有隣。(里仁 第四)

こないだ鷲田清一の「折々のことば」に使われてました。

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必ず誰かが共感してくれる。あなたはひとりじゃない。You're not alone.ってやつで。栄光ある孤立はまた違うかな。鷲田訳だと、You'll never walk alone.になるような気もして、それはそれでまた違うかなと。理解者は同時代にいないと。

 汝なんじ、君子の儒じゅと為れ、小人しょうじんの儒じゅと為る無なかれ。子謂子夏曰、女為君子儒、無小人儒。(雍也 第六)

これ、ぱっと見ると、世のブレーンたちに対し、どうせ使われるなら大人物に使われなさい、小物に使われるようにはなるなよ、というふうに読めました。君子用的儒、小人用的儒、というふうに。解説では、デッカくなれ、救国濟民のために生きよ、ちいさな、研究室の中にひきこもった物知りになるな、というふうに書いてますが、今の世の中にあった使い方だと考えると、私のようにしてもよいのではと。

 佞人ねいじんを遠とおざけよ。佞人ねいじんは殆あやうし。顔淵問邦。子曰、行夏之時、乗殷之輅、服周之冕、楽則韶舞、放鄭声、遠佞人。鄭声淫、佞人殆。

これはかなり大胆に原文をリライトしてると思います。「な」をブレーン、側近の側への注意事項として独自解釈した後でこれを読んで、権力者の側では、逆に、ヤバい太鼓持ち茶坊主の甘言に正道を篭絡壟断されんなよ、と思えるか。孔子ですら君側の奸の阿諛追従をこれほど警戒してたのか、と一瞬思うリライトパワー。でも実際そうですよね。そう思える。

以上

(2020/7/17)