装丁・装画 鈴木千佳子
痛快!布マスク新聞の書評でこの本を知り、あきしょぼーのしとに、「となりの国のものがたり」ってシリーズがあるのに、何故にチョン・セランだけに特化した新しいシリーズを作るのさ、となりの国のものがたりでええやんか、と訊くと、「チョン・セランは韓国を代表する作家だから」とのことでした。そこまでの存在なのか、チョン・セラン。
私事ですが、本作の検索過程で、チョン・セランの漢字を知りました。流石紀伊国屋書店、ナイス。
アンダ-、サンダ-、テンダ- / チョン セラン【著】/吉川 凪【訳】 - 紀伊國屋書店ウェブストア
鄭世朗。簡体字で書くと郑世朗。昨日読書感想を書いた台湾の李昂も男性的な名前で、そこには男性社会の出版界でナメられないぞ、との意志があったそうですが、チョン・セランもこう見るとたいがい男っぽい名前のように思えます。シロウト考えですが。
関川夏央が昔書いてたのですが、日本では小説は作家と編集者の共同幻想で、編集が作家に細かく口出しし、枚数やら何やらを好きに書かせない。それに対し、韓国では小説は作家の独壇場で、それのタチが悪いと、肥大した自我やらオナニーやらの羅列が、読者不在で繰り広げられてる、と。太白山脈とかそういう感じということで、関川夏央はそれを、日本では例外的に小田実なんかがそうである、というふうに書いていますが、それって、すべての韓国作家にあてはまるのだろうか。また、現代でもそうなのだろうか。
チョン・セラン女史がわざわざこう書いているのは、女流作家には編集サイドからなんらかのバイアスがあるのではないかとか勘繰りたくもなりますし(柳美里が韓国文壇で、儒教的長幼の序男女の別をわきまえないパンち以下略として叩かれた記事の記憶があるので)21世紀は韓国も出版不況活字離れ清国深刻だろうから、そうそう作家に手放しに書かせないだろうとも思います。どうなんでしょう。
あちらの表紙はオーカミとかくまちゃんとか流れる血や紙パックの飲料で、飲料パックは、そんな小道具の出てくる話があった記憶がありません。(→後から追記:最初の方のふしぎちゃん森ガールJKコリアVir.がよく飲んでたですが、ブリックパックみたいものを想像していて、500mlパックという認識がなかった。そこも日韓ちがうのか。韓国の学校って、例の、紙カップ飲料自販機を校内に置いてるイメージがあります。2020/6/26)
あとがきによると、韓国では日本の養護教諭は保健教師になるそうで、日本のそれと云うよりは、米国のスクールナースに近い存在だそうです。私は「保健の先生」の正式名称すら知りませんので、なんとも。それで、霊感があるから退魔師ということですが、アマチュアで、ビジネスにそれを利用しているわけではありません。退魔師って、大橋薫あたりが最初かと思ってたら、ウィキペディアの大橋薫作品一覧にそんなのはありませんでした。絶対これくらいの層だと思うんだけれど。
原書の版元煽り文句にも「퇴마사」とそのままハングルになってます。この手の、ファンタジー用語やゲーム用語?もまた、かるがると国境を超えると思います。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
感想を書くにあたって、『フィフティ・ピープル』の感想を読み直したのですが、作者はアマチュアイズムというか、ボランティアとかそういうイズムに強い尊厳、プライドを抱いているような気がします。かつての2ちゃんの嫌儲に近い感じかな。本書でも悪は、アメリカ育ちの韓国人で(在日僑胞でも中国朝鮮族でもCISのカレイツイでもなく)金儲けのためなら手段を選ばず、法に触れることも他者を傷つけることもなんとも思わず、自分さえよければで、当然地下マーケットや裏のネットワークにも通じ、ダークサイドに通暁した人物です。よい「気」を持った人物からそれを根こそぎ獲って相手が枯れてもいいとか、ナチスがユダヤ人から強奪した金、ゴールド(よく言われる金歯まで)は現代でも装身具やインゴッドに形を変えて流通しているが当然マイナスのオーラを持っていて持ち主をどうこうさせてしまう、それを利用して、とか、そういうの。
それと、世の中はまだよくなる的な考え方がまだ挫折を経験していない点が、こんにちの革新韓国の礎になっているのだなあと実感しました。明日は必ず今日よりよくなる。努力さえすれば、という。日本の嫌韓から見ると、通貨危機とか経済危機とかちょくちょくあってよくそんなこと言えるなという感じかもしれませんが、神風というか、信じて努力して克服して自信につながってる、みたいな元祖アジアのラテンなノリの、都合の良い解釈があるのかもしれません。
本にはさまってたシリーズ刊行告知の紙。ここの著者近影が、なんつーか、アングラの、黒しか着ない眉毛まで前髪の、新宿あたりでタバコスパスパ朝まで夜更かしお肌荒れ以下略、みたいなチャンネーに見えて、画像検索で出る五年前の写真とだいぶ違うので、びっくりしました。『フィフティ・ピープル』感想書いた時は、五年前の写真しか見てなかったので。下は五年前のトークイベントでの写真。
チョン・セランさんトークイベント@ブックカフェ「チェッコリ」|韓国語圏の知を日本語圏でも共有できる出版事業を展開いたします。株式会社クオン
今回のチラシと同じ画像は下記くらいしか見つけられませんでした。でもチラシとだいぶ違う。チラシ、一円玉くらいの大きさにまでちぢめてまで顔写真を使う意味あったのだろうか。
여성·가족·근현대사 통찰…'믿고 읽는' 소설 쏟아진다 : 뉴스줌
以前公式で使ってた写真なのかな。今の公式写真は下記らしいです。公式はガードがかかってるので、てきとうなネイバーからとりました。
가을밤의 북콘서트, 오지은x정세랑x이다혜의 <뜻밖의 즐거움> (feat.홍이삭, 최낙타) : 네이버 포스트
どちらもⒸ목정욱とありましたので検索して、職業カメラマンのひとの人名でした。ポートレートでない写真が三枚、下記にあります。
この巻までは斎藤真理子訳。次回以降の翻訳者「すんみ」という人は、あとがきによると、『韓国フェミニズムと私たち』タバブックス所収のチョン・セランエッセー『私たちが石膏人形に生まれたとしても』を訳してるそうです。
ワセ女として院卒である旨はどのプロフにも書いてあるのですが、下記読書人によるとハングル訳もするそうで、柄谷行人や中島京子の韓国版で仕事してるそうです。あと、婦人公論だと、1986年釜山生まれと書いてあるので、ニューカマーかもしれない。
最初「そんみ」と空目ってて、初代ナウシカガール安田成美のペンネームだったら面白いのにな、と思ってましたが、「すんみ」でした。
頁014、BB弾の銃。韓国の徴兵制は女性にはあんましなので、それで「銃」とか適当な表現なのかと思いました。エアガン、韓国のほうがサバゲーとか徴兵制の関係で盛んな気もするのですが、どうなんでしょう。江川達也が反原発だった頃のたるるーとで、フロンガスで連射するエアガン見て、もう分からんと思った記憶があります。この小説のエアガンは、バネ式なのかな。
同じページに、主人公が携帯する世界のお守りが登場し、京都の神社の健康祈願のお守りも入っています。こういうところが好きな読者も多いと思います。また、トルコのエビルアイというか、破邪顕正の邪眼反射アイテムは、かつて私も携帯のストラップにしてましたが、携帯ごと失くしました。
頁054、漆入り鶏鍋って誤植かと思ったら本当にありました。
大食軒酩酊の食文化 - ウルシを食べる | 味の素 食の文化センター
頁064、羊羹って韓国にもあるのかと思いながら読みましたが、そういうことかという。
頁150、レディ"Lady"とラディ"Radi"をまちがえるなんて、ハングルのレディーはおかしな発音なのだろうか(日本人から見て)、アップルをピコ太郎のように発音してみたり、ノートをノトゥと言ってみたり、マッカーサーをメガダと言ったりするように、と思い検索しましたが、少なくとも"Lady"はハングルでもレイディでした。
主人公が退魔師の漫画で、韓国は民間療法とか風水とか独自に盛んな国なので、そういう知識がバンバン出るかといえば、作者がハンバーグとスパゲッティ以降の世代なので、出ません。
上のお守りの中に、このお寺の数珠は出ます。頁174、護符というか呪符を作る場面で、紙は韓紙という独自の伝統ある紙を使うのですが、書くのは筆ペンで、漢詩をまじない文みたく書いてごまかしちゃえ、てことで、唐詩人陳子昂の「登幽州台歌」を書きます。前不见古人,后不见来者,念天地之悠悠,独怆然而涕下。(私が勝手に簡体字にしました)これがおふだに見えるというのが、韓国人の漢字離れの怖ろしさだと思います。完成したお札はクリアファイルに入れて持ち歩く。
で、このページで、サブ主人公は漢文教師なのですが、彼が、唐詩と宋詩どっちがいいかなあ、なんて考えるのですが、宋詩ではなく宋詞、ツーではないかと思ったのですが、やはり宋詩でよいのでした。
宋詩は唐詩よりも作者の数はほぼ4倍、残っている作品数も圧倒的に多く、詩の内容は多様多彩、唐詩とはひと味違う魅力的な作品が少なくありません。さらにまた、宋詩には、作者や作品についての情報がたくさん残されているために、多くの場合、調べれば調べるほど作詩の事情等はかなりの程度まで把握することが可能です。すなわち、宋詩の鑑賞は唐詩に比べるとより深い鑑賞ができるということです。
こんな本まで検索で出ました。
私はコーヒー党です。本書の主人公たちは、紅茶派のようです。
教科書問題は、訳者解説で理解出来ます。もっと、チニルパ狩りみたいな行き過ぎが出るのかと思った。ちがった。作者あとがきで、登場人物はすべて実在する知人からパクった旨告白されてますが、マッケンジーがどこから来たかは、訳者解説まで待たねばなりません。こういう人たちが夢枕に立つというのは、かつて戦場だったりしたところ関連で寝泊まりしてると、ありそうにも思うのですが(なんでかというと私が沖縄で見たから)、この学校は、何かありそうで、それでいて、細かく設定つめるとめんどくさいのでぼやかしたまま終わるわけですので、この学校の教師の夢に出る詳細は不明です。
なんというかなあ、本書を読んでて、ストーンオーシャンのフー・ファイターズみたいな、あるいは沙村広明のハルシオン・ランチのヒヨスのような、人間でない、かといって妖怪とか幽霊とかそんなんでもないキャラまで出てくるので、そっちに行くのかオイとも思いました。申潤福という李朝朝鮮の画家の美人画に出てくるようなJKとのことです。その時点でもう分からない。
恵園(ヘウォン)申潤福(シンユンボク)美人図 18世紀 紙本額装 :: ichian
こんな女子高生いるか。頁249で、主人公ウニョン先生の「ヨン」ははなぶさ、「英」だと紹介されます。リエゾンするから、「ウン」と「ヨン」でうにょんなのですが、英語の英、はなぶさは女性の名前に使う字というのは中国でもそうで、野口英世とか、小熊英二とか、ゴチエイのように、英雄から来るんでしょうけれど、男性名に末広がりの「ひで」を使う日本は、ちょっと中韓とそこは漢字の認識がちがうみたいです。
この手のジュブナイル小説は日本でもいくらでもありそうなので、いくら大型書店の海外小説コーナーの一大派閥が韓国小説だからって(ほんと中国が、韓寒とかですらロクに訳されてないのに比べ、どこに韓国小説翻訳の需要がとよく思う)わざわざ日本市場に韓流ジュヴナイルで殴り込みかけなくてもという気もします。フジテレビデモ思い出した。
しかし、この高校は卒業後、それなりに陸続と自殺者が出るとか、そんな設定、ホラーや病的小説以外でさくっと日本では書けないと思います。そのへんが、やはりあちらのほうが社会が甘くないんだろうなと思う。日本だと気にしすぎて書けないか、社会派というオーラをまとったことにしなければならない気がします。この小説は、学校の磁場とかそういう理由で後日卒業生のメンタルにいちじるしく影響が出る、という解釈の小説ですが、日本だと、髙村薫『我らが少女A』みたいに、いくら筒井康隆が山崎の合戦で「説明は、ない」と秀吉に言わせても社会派の風を吹かせなければ読者が納得しないみたいな感じにしかないのかと。そこらへんが、日本と韓国で、ジュブナイルというジャンルはともにあれど、国が変われば内容も変わるで、似て非なるので、日本でこういう考え方のジュブナイルを読めるのはよいと思います。
ネットフリックスでドラマ化するそうですが、さてどうなんでしょう。小説だと、主人公のふたりのルックスが、かなり冴えない感じで、そこがまた少子高齢化にめげない韓国の、若者が自分で自分の背中を押す感じで、面白いと思ってるんですが(『フィフティ・ピープル』でも、ヤリチンヤリマン以外の婚活ソーシャルシステムみたいのが出てきてた)ドラマだと韓流男女になってしまうので、さてと思います。どうなるんでしょうか。VFXも予算が少ないとツライ出来になりそうだし。ではでは