文藝別冊 Hoshino Yukinobu「総特集 星野之宣 デビュー45周年記念」KAWADEムック 読了

 こういうものが出ていて、また諸星大二郎とのコラボ企画があったのも知ってましたが、何しろ'80年代に出た?竹熊健太郎責任編集双葉社西遊妖猿伝ムック以来のリレーまんがみたいなものですので、もう今さら読まんでも、わてはさるどすとかそういう話だろう、ええわと思っていて、しかし、身近なところから、読んでみたいとの声がありましたので、買いました。

星野之宣 ―デビュー45周年記念― (文藝別冊)

星野之宣 ―デビュー45周年記念― (文藝別冊)

  • 作者:星野之宣
  • 発売日: 2020/05/22
  • メディア: ムック
 

 こういうものの電子版、kindleはないようで、紙版一時的に在庫なしとのウェブ情報で、返本待ちかと勝手に思っていましたら、あにはからんや、増刷の三刷が来ました。

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ホワイトが善、ブラックが惡という図式でものごとをステレオタイプに斬ってはいけない、という文明批評とは関係ないと私は個人的に思うタイトルの漫画がお目当てです。今回は作者同士の対決でなく(それもありますが)お互いの伝奇ものの主人公同士の対決まんがで、沢田研二に似てるとは言われなくなった楳図かずおばりに年齢不詳のキャラと、そのエピゴーネンです。私は星野之宣はハードSFにこそその真髄があると思っているので、伝奇ものは、どうも物足りないというか、情念とかルサンチマンがこのきれいな絵だとこもりきらないと思うのです。

いわばアレです。半村良の伝奇と、荒巻義雄志茂田景樹の伝奇のちがいとも申せましょうか。ヤマトの火が星野伝奇のはしりだったと思いますが(妖女伝説は歴史ものであって伝奇ではない)、これがコミックトムヤマタイカになった時、潮のノリなのか学会のノリなのか、大衆熱狂というものを過信しすぎるような描写が延々続き、大衆の熱狂さえあればほかはなんにもいらんみたいな金科玉条ぶりはいかがなものかと思ったです。ほかにもいろんな人がそう思ったみたいで、ヤマタイカしりあがり寿がパロディ漫画を商業誌に発表してます。夜明ケに入ってたかな。その辺の女子大生の台所に在野の史家の邪馬台国研究者たちが闖入するという、21世紀的な考えようによっては危ない話。日めくりを見つけると、日めくり、日めくり、卑弥呼ここにあり!!!! そうだったのじゃ、みたいな強引な地名比定(駄洒落ともいう)ばっかの話。

じっさい、大衆熱狂と云うものも、◯◯革命の度重なる敗北や、ポピュリズムの隆盛から、現在ではそれなりに冷めた目で見られるようになったわけで、それで私はヤマタイカには、作者自身いみじくも自覚してるように、「説明を拒む闇」がないから、きついなと今でも思っています。

そもそも、この二人に、大友克洋を加えてニューウェーブ御三家と言ってしまっていたのも、大友的には不満が大きかったと思います。モロ☆ムックにもこっちにも、よたよたのジャンキーなんかに負けるかよ、こっちは健康優良不良少年(略)大东京帝国はコメント出してないし。童夢すいません、みたいな洒落でもなし。手塚賞でいえばこの二人の後の第三回はますむらひろしですが、ますむらひろしは、この二人と括りで語られることがないです。そりゃないか。銀河鉄道の夜猫十字社となら括りで語られてもいいんでしょうが。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20160730/20160730231625.jpg左は、以前川崎市民ミュージアムのマンガ展で撮った所蔵品写真。おそらく市民の寄贈品なのでしょうが、これも武蔵小杉タマワン水害で水没したのかなあ。

 この、双葉社が出した、時代のあだ花とも言える月刊誌、地引という編集者(双葉社の社員のひとが「変わった人だよ」と言ってました)の歴史に残る偉業で、星野之宣が描いた『2001夜物語』が本当に斯界の作者に対する評価を変えたというか、目の色を変えさせた作品であると私は思っています。モーニングのソードハンターベムや、ジャンプのSF作品は、スペオペだったり、活劇などの娯楽重視の面を両立出来るでしょうみたいな押しつけがあまり良くなかった的に私には思えていて、そう思えるのも、のびのび描くとこんなにすごいんだというのを「スーパーアクション」で見せつけられたからです。

文藝別冊で田中芳樹がこれの英訳版に触れていて、どうも一話抜けているようだ、一話抜けているならそれはどの話で、またそれは何故かという小文で、田中芳樹の推察では、太陽系10番目の惑星、魔王星がそれではないか、としていて、真偽は分からねど、魔王星のスリリングな設定を改めて思い出しました。発表当時は冥王星がまだ惑星の扱いだったのですが、その軌道ほか、どうにもそれまで考えられていたほどの質量が冥王星にない、ならその外にもう一個惑星があるのではないかとの仮説を立証する巨大かつ、公転の向きがほかのすべての惑星と逆向きの惑星が発見され、それが魔王星。そこに探査に赴く宇宙飛行士は現職の神父でもあり(牧師だったかな)人間の原罪について絶えず対峙しながらこの未知なる存在、魔王星へと触れんとする。2001夜物語一巻のハイライトです。

2001夜物語は、掲載誌のスーパーアクションがあまりに売れなかったので原稿料が安かったからか(スーパーアクションの前身の、赤塚不二夫責任編集の別冊など、採算度外視だけど売れたらいいさー、みたいな甘い予測が通用しなかった積み重ねが月刊誌として重くのしかかった)はたまたジョージ秋山の恋子の毎日でも使われたから双葉社の常套手段だったのか、後期のお話だとコピーの切り貼りが頻繁に使われるようになり、その画質の粗さが残念感を醸してしまうのですが、これ、光文社版なんかだと手が入って修正されてたらと思います。少なくとも、原稿コピーを糊で貼るより、デジタルでもっとうまいこときれいに出来るはず。

スーパーアクション、板橋しゅうほう坂口尚は、そのいちばん油の乗った時期の代表作と目論んだ作品(凱羅と紀元ギルシア)が休刊でワヤになって、折れてしまう感があるのですが、さいわいなことに、2001夜物語は、休刊前に無事完結していて、そういうのも運だよなと思います。あとはモンキーパンチとか、山上たつひことか、キリンでブレイクする前の東本昌平とか。東本昌平、なんで妙にSF好きなんだろうと今思う人は思うですが、でもスーパーアクションに載せてた漫画は、気怠い青春ライフだったはずで、SFではなかった。諸星大二郎西遊妖猿伝だけ、アクションキャラクターに連載を移して継続され、BARレモンハートと肩を並べるというシュールなページわりになります。スーパーアクションの休刊号は、何故か漢語で〈再見〉と大きく書いてあるのですが、そのルビが、北京語のザイジェン(ザイチェン)でもなく、広東語のゾイギンでもなく、「サイチェン」となっていて、なんだろ、上海語かしらと、今でも不思議に思っています。

本書には例の大英博物館マンガ展のキュレーターの藤田ニコル・クーリッジと漫画家と編集者の対談があります。大英博物館マンガ展のカタログを買ったあと、ずっと保存するつもりもないので、どうすべえと思った時、そこに暗黒神話の尖石考古館のコマがあったので、ああ、茅野市の考古学館に寄贈すればいいんだと思って尖石に行った時、あちらの学芸員の方が熱く語っていたニコル・クーリッジの人物像がけっこう分かって、おもしろかったです。事前の予想では、マッドメンのミス・バートンみたいな、「オオ、ジョーモン」とかいうような人かと思っていて、それほど裏切られませんでした。ものがたりと現実って、もちろん異なるのですが、うまい人が書くと、似た味になるものです。この件のように、マンガが先で、現実があとで、似てくると、ほんとにそう思う。以上