『グランド・ツアー 良き時代の良き旅』(中公新書688)読了

 読んだのは昭和58年(1983年)の中公新書ですが、前世紀末に文庫化されたみたいです。

 で、まんが日本経済入門によって電子化された漫画版があるとか。シュガー佐藤が嚙んでるかどうかは知りません。

 中公新書の装幀は白井晟一

グランドツアー - Wikipedia

グランドツアー(Grand Tour)とは、17-18世紀のイギリスの裕福な貴族の子弟が、その学業の終了時に行った大規模な国外旅行である。

 前川健一『アジア・旅の五十音』に出てきた本で、作者が、セネガルのお雇い日本人のしとだったので、読みました。

本城靖久 - Wikipedia

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なんしか、当時の英国の大学は、オックスフォードにしてもケンブリッジにしてもレベルが低いので、海外漫遊したほうが見聞が深まって、大学に行ってひょろひょろ頭でっかちになるよりいいのではないかということで、貴族子弟のあいだで、大学に行かず外遊するのが流行っていたということです。

むろん旅行は追剥ぎなど危険がつきものなので、おのずと随行員も必要で、だいたい海外に行くとナオンや博打が始まってしまうので、お目付の執事も必要ですし、あとは家庭教師も同行する必要があると。アダム・スミスは、三年近く公爵家の若様の外遊に付き添ってカテキョーして、その後死ぬまで、勤務する大学教授の給与の倍額を年金としてもらい、それで生活上の憂いなくえんえん『国富論』の執筆に打ち込んだんだとか(頁14)そんなにお金出してもらえるのは、長男が多く、次男以下は差をつけられてたそうです。欧州は肉食民族ではあるけれど、遊牧騎馬民族ではないので、末子相続ではない一例。

あとは旅行用品も、たとえばベッドの虱や南京虫を究極的に排除しようと思ったら、要するに組み立て式ベッドと寝具を持ち歩いて、宿では持参のそれで寝るしかないので、それを持ち歩くとか、そういう世界で。

頁140

(略)クラドック夫人が一七八五年の八月ナントに泊ったときには、彼女の日記によると、三日間の滞在中に四六四匹の南京虫をベッドで殺したと記されている。「おそろしい敵は、今夜も必死に襲ってきました……。ベッドを完全に分解させました……私の小間使いは、このゾッとする虫を一四〇匹殺したのです」(一七八五年八月三〇日) 

そんな大荷物をどうやって運ぶかというと、馬車で、馬車は(頁17)イギリス製の四輪馬車が最高だそうで、英国製の輸出品を現地の中古市場で買って、帰る時は売って手放してたそうです。現在の日本人旅行者は、欧米旅行レンタカーでする場合は、どこ製借りるんだろうか。値段だけ見たら、中国車や韓国車のほうが安く借りれるんだろうか。

關係ないけど頁63によると、この頃のパリには、日本とはまた違うけれども、駕籠のように人がかついでえっさほいさの交通道具もあれば、馬の代わりに人が車を引くなんてと外国人がのちにアジアで驚いた人力車のようなものもあったんだそうです。

頁18の携行品の常備薬のところで、下記があったので、置いておきます。

kotobank.jp

あと、乾燥した膀胱なんてものもあり、当時はコンドームとして使われていたそうですが、旅行用品としては別の用途かも知れないとしています。

そんでどこに旅行するかというと、だいたいフランスとイタリアだそうです。ドイツに行かない理由は書いてあります(頁57、ユースホステル運動はドイツ発祥ですが、その前なので、宿も道路も劣悪で、文化的にも下だとイギリス人は思っていたから)が、スペインポルトガルに行かない理由は書いてないです。

頁57、パリの飲用水はセーヌ川のドブ水なので、酢を混ぜて殺菌とかしても、みんなハラを壊すとあります。モーツァルト一族は煮沸してさまして飲んでたとか。水売りはいますが、汲み取り業者はいないので、それで汚物を道路に投げ捨てるんだとか。上海でも馬桶は業者が回収するのに、パリはどしてデスカ。

頁125

 肥沃な畑がつづいているのに、農民の服装や家がいかにも貧しげで、ゆたかな自然と極端なコントラストなしているという印象は、アーサー・ヤングも記しているが、これは本当に農民が貧しかったというよりも、徴税人の眼をごまかし、課される税金の額を小さくしてもらうため、わざと貧しさを誇示していたという面もあるようである。

 ほんまかいなという。

頁134

 しかも二十世紀初頭までは、太陽光線は結核の治療にいいと思われていたため、医者のすすめで、コート・ダジュールに来る患者も多かった。「世界の国々の中で、冬をさける場所はここである。身体の弱い人にとって、冬のニースは温室のようなものである」と、デュパティーは述べている。ところがなんと、現在の医学的な常識では、太陽光線に含まれている紫外線は、結核患者にとってむしろ有害だということになっている。医者のいうことを一から十まで聞いていると、とんでもない目に会いかねない。

ほんまかいなⅡ。ジブリの「風立ちぬ」にも、小雪の舞う中日光浴をする患者の場面がありました。合掌。

頁189

 ローマのオペラの特徴は、歌い手が男性だけということで、女性のパートを歌うのは、カストラートと呼ばれる去勢された男性である。去勢手術は男の子が七、八歳のときにおこなわれるが、その結果、大人になっても高い音程がうたえるというわけである。

 カストラートのなかには、非常な美貌の持主もおり、女性の衣装をつけ、メーキャップして舞台に出ると、「今までかつて、これほどの美しい女は見たことがない」とモンテスキューをして賛嘆の声をあげさせるほどの絶世の美女となる。モンテスキューによると、イギリスの若様のなかには、カストラートを本物の女性と勘違いして、夢中になった者がいたとのことである。周囲の人間は面白がって、まちがいを一ヵ月以上も教えてやらなかったというのだから、ひどい話だ。

ピンクレディーの透明人間の節で、「かーいぞーにんげん、あらわるあらわる~」それ以前に、イギリス貴族の坊ちゃんたちは、フランスではそんなしないのに、イタリアに来ると即ナンパを始めてふられてお商売の女性のところに突撃とか始めるんだそうです。現在のイタリアがナンパ師の男ばかりといわれるのは、過去への復讐かもしれない。

ゲージツ家を志してイタリアに渡るイギリス人も多いのですが、ホンモノのゲーイツ家になるより、旅行中の同胞に贋作やボッタを売りつけて糊口をしのぐほうに行ってしまう者ばかりだったそうです。ばらばらの石像をイマジネーションのおもむくまま完全体にして高く売りつけるとか日常ちゃめしだったそうで。

で、そうやって旅行して帰って来てどうかというと、いずこも同じというか、手厳しい批判も多かったようで、いわく、語学を身に着けるには遅い年齢で、国で他人と競争しながら何かに根気よく打ち込む経験に比べると、自我は肥大してえらそうになるし、自国のあら探しして批判ばかりの人物(パヨク)になるか、外国の悪口ばっかり言って自国の優越性を賛美するパーソン(ネトウヨ)になるかだそうで、モンタギュー夫人という人は、「この世に存在する最大の馬鹿者たち」(頁239)「私たち(イギリス人)は光栄なことにも、“金持の馬鹿者”(Golden Asses)とイタリア中で呼ばれています」(頁15)と書いているそうです。

それで結局その風潮がどうなったかというと、鉄道網が整備され、トーマス・クックが団体旅行を始める19世紀、「大衆旅行の時代」をイギリスも迎え、みんな安上がりに旅行にいくようになって、貴族旅行の時代は終わりを告げたんだそうです。

モラトリアム旅行の一形態の考察。巻末に参考文献。カサノヴァなんかも入ってます。いやー、旅の恥はかき捨てとか、けっきょくいつでもどこでもあるんだなあ。ひとはたびびと。誰か、現代イスラエル人が、徴兵終えた後就職するまでの間外遊する風習の参与観察を書いてないものでしょうか。あれば読みたいです。これから書くなら、国交が開いた湾岸諸国に雪崩れ込むイスラエルバックパッカーの姿をとらえたルポを読んでみたい。以上

【後報】

この本はサントリー学芸賞受賞してます。

(2020/9/22)