『赤羽末吉 絵本への一本道』(コロナ・ブックス222)読了

コロナ禍にコロナブックスを読む。てな駄洒落生活を実践したかっただけです。

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CORONA BOOKS 平凡社

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コロナブックスはもう223冊も出ているそうです。

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日本でいちばん平凡な名前の出版社

そして平凡社公式サイトのキャッチコピーはズルいと思います。ほかにどういうのが出来るだろう。朝日新聞社は日本でいちばん朝日新聞な名前の出版社ですし、赤旗は日本でいちばん赤旗な名前の出版社ですが、どちらが日本でいちばんパヨクな名前の出版社かというと、それは甲乙つけがたいでしょう。私はWACKが日本でいちばんネトウヨな出版社と思うですが、異論ある方もいると思います。潮は日本でいちばん創価学会な出版社ですが、名前は違います。NHK出版は日本でいちばんNHKな名前の出版社で、バジリコは日本でいちばんバジリコな名前の出版社で、リトルモアは日本でいちばんリトルモアな出版社。電話して保留になると、横山剣が「俺の、俺の、俺の話を聞けぇ~、五分だけでもいい~」と歌う声がえんえん流れる出版社はここまでに登場してるでしょうか、クイズです。

左は、とりあえず開架してあったコロナブックスと、まぎらわしいとんぼの本谷口ジローはぱらぱらめくって関川夏央のエッセーだけ読んで棚に戻して、滝田ゆうヘンリー・ダーガー佐野洋子もぱらぱらめくって、棚に戻しました。

"COVID-BOOKS"はないですが、こびっとと19歳の白雪姫みたいな本は出ました。

Why Covid scares the world: The story of an invisible tiny virus

Why Covid scares the world: The story of an invisible tiny virus

  • 作者:Fotolulu
  • 発売日: 2020/04/06
  • メディア: ペーパーバック
 

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stantsiya-iriya.hatenablog.com

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岩崎ちひろ美術館「赤羽末吉・中国とモンゴルの大地」 - Stantsiya_Iriya

完全に忘れてましたが、以前行った上の展示会の感想と、この本の感想はわりとだぶるです。中国の民話をたくさん絵本にしてますが、なべて少数民族の民話で、なぜ漢族の民話を採用しなかったのか、など。

赤羽末吉: 絵本への一本道 (222) (コロナ・ブックス)

赤羽末吉: 絵本への一本道 (222) (コロナ・ブックス)

  • 発売日: 2020/05/22
  • メディア: 単行本
 

 表紙は金太郎、否、桃太郎。戦前の桃太郎は鎧甲冑姿で描かれることが多く、そんな戦闘形態でない桃太郎が戦後にはふさわしいんちゃうん、と考えた画伯は江戸時代の絵草紙まで遡行して、羽織袴姿がベストと、それを絵本にして、それが、めんめんめがねの良い眼鏡、品質勝負でよい眼鏡、眼鏡ドラッグ、よい眼鏡、などで広まり、庶民に取り戻されたこの桃太郎像が戦後のデファクトスタンダードになったとか。

モンゴル旅行は展示会にも出てましたが、頁26からの、中国のおきあがりこぼし、搬不到を求めて旅行する先のひとつに、双遼が入ってて、あっここ行ったことある、と思いました。なんでこんなとこ行ったんだろう。

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頁66、戦後の中国旅行通訳を務めた唐亜明という方のルビが、タンヤミンになっていて、相手国の漢字の読み方でお互い呼び合う取り決めは日中間にはまだないので、「とうあめい」とルビ振るべきだと思いました。同じ苗字のパイセン、唐家璇は「とうかせん」だったので、それでいいような気がします。この中国旅行は、画家の画伯が参加するので、中国側も画家を同行させるのですが、

頁66

画家がこっそり私に聞きました。

「彼はそんなに有名なんですか。線もまっすぐに描けないみたいだね」

中国はこういう人いるなあ、という。画伯はこの人の仕事を奪うつもりはないので、ライバルの陰口言ってクサす、足ひっぱりテクはいらないと思いました。

画伯の次女と次男は、復員後、帰還行のあいだ感染した麻疹が悪化してなくなります。見つかると留め置き隔離になるので、移動中ずっと隠して手当をしなかったのもよくなかったとか。その後すぐ長女も結核性脳膜炎でなくなるのですが、長男と三男、四男はご健在で、頁112から、思い出鼎談が収録されています。「硯」という字を使ってケンジとつけたが、すずりは割れちゃうから、それでかもとか、虹子という名前も、虹は消えちゃうとか、尽きぬ思いの問わず語りを聞き取った子どもたちがそれをここに置いている。長女は「美夜」で、みやちゃん。(頁116)

頁114、四男が長男に満州で空襲はあったか聞き、それはなかったが、戦後の国共内戦は市街地にバンバン砲弾が飛んでくるのでやばかった、と書いてます。画伯は長春市長の意向などから、光復後もしばらく留用生活。家族は一足先に陸路帰途についたが、朝鮮新義州に入る前に足止めで引っ返したとか。

コロ島に船が来ないので、奉天で四十日間待機したそうで、その間、画伯は画材を持っていたので、絵を描いて街頭で売って稼いでたそうです。

頁114

研三 そのときに食べたのがチェンピン?

旗一 そう。絵で金がもらえると、帰りに屋台に寄って食べさせてくれたのが、チェンピンっていう食べ物。美味しかったんだよね。今でいうハンバーガーみたいなものかな。肉とねぎとゴマ油などを混ぜ平たくのばして焼いてある。ほんとに美味しかった。父さんは日本に帰ってきてから「チェンピンが食べたい」って、普段は台所に入らないくせにつくろうとしてた。結局三、四回つくったけどうまくいかないのでやめたんだけど。

今の天津煎餅は肉でなく、パリパリの揚げせんだか油条だかを味噌とねぎとタマゴとはさんだクレープ状の食べ物ですので、ちがうんだろうなと。肉餅か油餅と言われてるもののような気がします。中国の人はよく食べたというが、私はぜんぜん食べた記憶がない。

以上