『花火の音だけ聞きながら』"Hanabi no oto dake kikinagara" Mikio Igarashi 読了

 装画 いがらしみきお 装幀 サトモトアイ 初出は双葉社文芸WEBマガジン「カラフル」2014年10月25日~2017年3月27日 全30回

花火の音だけ聞きながら

花火の音だけ聞きながら

 

 週刊はてなブログを見ていたら、下記、中学生くらいからずっと一日も休まずブログを書いて、作家になって、ブログが国書刊行会から出版されるという人の寄稿記事があり、この人はずっと書いていて、しかし特に互助会がどうこうということもなく、スターがそんなつくわけでもなく、コメントが来ても返さなかったりだそうで、そんな人に影響を与えたのがいがらしみきお著『IMONを創る』アスキー刊1992年だそうで、その本は近隣の図書館にも日本の古本屋にもブッコフオンラインにも在庫がなく、かつまたかなり難解な本だそうなので、手近に読める本を一冊借りて読みました。

b.hatena.ne.jp

https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002248321-00

いがらしみきおは、私も、『ぼのぼの』とか『忍ペンまん丸』とか『かむろば村へ』などは読んでいるのですが、いかんせん、原点である『ネ暗トピア』にまったく触れる機会がありませんでした。これが相当にくやしいです。いまだに読んだことがない。当時『ネ暗トピア』は面白いという声がさかんに周囲に飛び交っていたのですが、単行本の貸し借りがあるわけでもなく、そこに、家に帰ると四コマ漫画誌が転がってる家庭と、転がってない家庭の差異があり、少年誌や、ヤンジャンなど勃興期の青年誌なら共通の文化たりえたのですが、四コマ誌はどうもその境遇というか、読むことが出来たか出来なかったかに、なんらかの文化資本の違いがあるような気がしてなりません。そこが私にとって後ろ暗い点であり、『ネ暗トピア』や『さばおり劇場』を読まずしてその後のこの人の漫画を読んでいいのだろうか、との思いが絶えずつきまとっているわけです。私が岩谷テンホーに親しんだのも、実は今のビッグコミック増刊ですし(それまでは偶発的な出会いしかなかった)ほかに四コマ誌出身の漫画家で知ってる人というと、『インド夫婦茶碗』の流水りんこくらいで、それも知人からの口コミです。クレヨンしんちゃん臼井儀人須賀原洋行を知っているのも、それが一般劇画誌に描かれていたからで、そこから四コマ誌までが、遠い。読むとか買うとかが、次元が違う行為のように感じられる。

いがらしみきお - Wikipedia

この記事を書きながら検索して、『ネ暗トピア』は電子版でだいたい無料で読めることを知りました。しかし、私が読むには、完全に機を逸してる気がします。人格形成期に間に合わなかったというか…(という理論武装)『ネ暗トピア』は面白いぞ、と手に取って言っていた人たちとそうでないマンガ読みの間に、マンガの読解力や文法理解、スキルの点に於いて特に差はなかったのですが、親が給料をガメたりピンハネしたりするので早くに家を出て独立する、などの環境面での違いは如実にあり、みな何処かへ行ってしまった。本書第一話は中学校の還暦同窓会で、同級生二百四十名のうち半数にあたる百二十名ほどが出席したとあります。ということは百二十名ほどが欠席したわけで、物故した、都合がつかなかった、あるいは自分でカベを作って出ることを固辞した(私はここに入りそうです)人間以外に、ふつうに音信不通で連絡がつかないものがけっこういそうで、『ネ暗トピア』は面白いぞ、と言っていたものたちが、全員地元を離れ横浜や埼玉などの人口密集地に移転したのち誰も連絡先を知らなくなった、ことを思い出しました。

そんなことは本書を読むにあたっては蛇足でしかなく、世の名エッセイストが削ることを書いて残すことを削るような或る意味非常に難しくめんどくさい文章を読まされ、のっけから難病障がい高齢者認知介護と、次から次へと、成功者がはじめましてのあいさつ代わりに繰り出して来る題材に怯えてそこを乗り越えたのちに、3.11の記録や、創作に関する非常に示唆に富んだ文章にありつける、という構成になっています。

作者は安保条約や日米同盟といったことばを使わず、「安保法制」という言い回しをするのですが、これが出るたび、「段田安則」と書いてあるように錯覚しました。そういう幻惑効果を狙って、あえてふつう人が使わない言い回しをしたのだろうか。

頁66

政治は勝ち負けのためにあるものではない。政治は引き分けのためにあるものです。全世界の核兵器を廃絶する、これほどの引き分けはないでしょう。 

 私は、中国ばっかり核武装してずるいぞっ、的観点だけで本邦の核武装を願うものですが、こういうふうに政治を考えたことはないかった。これは斬新です。まざりあってこえてゆけ。

頁82、マッドマックス怒りのフューリーロードをベタぼめしていて、ジュラシックパークアバターゼロ・グラビティの延長線上の進化としてこの映画をとらえています。私は本書に出て来る書籍、いがらしみきおが読んで紹介してる本を一冊も読んでませんが、映画はここの二本を見てたので、多少接点があるように思い、ほっとしました。アバターゼロ・グラビティは見てません。アバターの舞台に非常によく似た風景と言われる、歌舞伎町案内人の故郷湖南省の張家界にも行ったことないです。ゼロ・グラビティは、それに影響を受けた畢贛監督の地球最后的夜晩を見たので、チャラってことで。で、ここで、物語の時代は終焉を迎え、かわって台頭するのが「体感」であるというトレンドウォッチャーの意見を紹介し、いがらしみきお的にその理由は、物語の生産量が膨大過ぎて消費のキャパを超えたからだと見ています。そこは同感するのですが、かわってやってくるものが「体感」というのは、頁187のVR元年と重ね合わせても、まだあまりピンと来ないです。かろうじて思うのが、エロが、物語を置き去りにして、まずTENGAありきになっていて、TENGAにあわせてエロが生産されているのではないか、と思うことくらい。いつのまにか、今はどこのドラッグストアに行ってもTENGAはあるわけで、その辺むかしのピンクローターやオナホールが大人のオモチャの店にしかなかった時代とは明らかに一線を画す、何らかの流通革命の成果なのですが(コンドームと自慰ツールが同じ棚に並ぶポルカ)、それがなんなのか分からず、自分でも試したことのないままです。私もTENGAを使う側の人間にいつかなるのでしょうか。ハロルド作石のまんがにモチーフとして使われる、アナル舐め風俗などは、たぶん、TENGAを使わない側の論理だと思うのですが、そっちも分からない。ウチ、かまととやもん。

頁136、70年間戦争をしなかったからBABYMETALが生まれた、という作者の知人説と、その後の、中国ロシア北朝鮮ISに生まれるか日本に生まれるかの違いも、直球でよかったです。ほんと、中国に生まれなくてよかったとしみじみ言う知中派日本人をカウントして割合を出したら、ほぼ百パーになるのではないでしょうか。あの熾烈な競争社会に飛び込んで勝つ気がしない。で、ここに出て来る『下山清ノート』は、たぶん読まないです。本書のどこかで、厚木のネグレクト児童餓死について触れていて、そこで厚木の名を見るまで、その事件を忘れていました。

頁152「ふたつの人生」これほどの創作論はなかなかないと思います。作品を産みだす喜びが的確に表現されている。作品は脳内人生であり、リアル人生より、うまくいくことも、作者の努力次第では可能。だから努力して努力して完璧な作品を産みだそうとするんだ、という。

頁155、いがらしきみおはアートの人でなくエンタメの人だと前置きした上で、アートとはなんだ、陳腐化しすぎた、(カフェ)ラテアート、田んぼアート、Jポップもアーチスト、と書いています。ここに紹介されてる『人工地獄』は、もともとはブルトンの言葉だそうで、いがらしみきおによれば、TDLポケモンGOのような人工天国もあるのではないか、とのこと。世界は言葉で出来ていて、アートほど言葉から離れた存在もない、という。

人工地獄

人工地獄

 

頁171には、作者が本屋で偶然出会って即買って讀み始めたが、全く理解出来ない本が載ってます。そういうのよく出すなあ、という。〆切りに追われて苦し紛れというわけでもなさそうだし。

作者が格闘技好きで、サッカー少年だったことも分かりましたが、ベガルタのファンであることは分かりませんでした。そういう記述がないから。以上