初出は月刊モーニングtwo2020年3月号~5月号、8月号~12月号。
寧戎城ってナニ?作者の創作?と思いながら読み進め、頁056の地図でベゼクリク千仏洞が寧戎窟寺とやっと分かり、トルファン観光地巡りで、みんないくだよなあ、と感慨深く思いました。ロバ車乘ってちょんまげ、って日本語、今でもウイグル人の客引きは云うんだろうか。それどこじゃないか。監視社会。
で、寧戎城で検索すると、またこれが学術論文のpdfしか出なくて、たまげました。
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/50613/sial26-141.pdf
上のpdf論文が掲載された紀要雑誌「内陸アジア言語の研究」の主催者が、頁141の参考資料(興亡の世界史 05)講談社『シルクロードと唐帝国』の著者、森安孝夫先生です。頁141に引用された箇所は、私も出版当時即読んでましたが、これが、まさかほんとに西遊妖猿伝に出るとは。諸星大二郎の資料読み込みもすごいですが、こんな直球で出るのも珍しいと。たぶん、「内陸アジア言語の研究」ぜんぶ目を通したんじゃいか。入手困難でも、大学図書館等で閲覧やコピーは出来る。そこは編集経由で人づてでやってもよいし。
なにしろ、簡体字にして〈宁戎城〉にしても、まったく別の場所、甘粛省の平涼とかしか出ませんので、なんちゅうか本中華、抜いたった感がすごいあります、個人的に。
連載おっかけてないので、今、しみじみ感動してます。
現地取材しないで、まことのようなウソを描くのが作者の味だと思ってますので、今回はトルファン取材が逆効果になったらリンダ困っちゃうと思いました。頁037などは、実際歩いた視覚体験が反映されてるように思えますし、それより、頁120の、ことばの通じない相手とのやりとり、カタコトでガイドブックどおりに現地語を喋ってはみるものの、相手がさかんに言ってるほうはまるで分からず、通じてるのか通じてないのか、なやましい場面のほうが、現地取材の成果が出てる気がします。
デビュー50周年の図録はまだ買ってませんが、巡回展なので、どこの会場も同じ展示してるわけでないようで、しかもこれはただの原画展でなく、関連の出品がけっこうあって、それのセレクトに関してのキュレーターの存在が、チラシや出品リストでは分からないので、図録買うしかない気がしてます。潜伏キリシタン関係資料やニューギニアの民芸品、西洋画など多岐に渡るので、それぞれ専門分野のことなる複数のブローカーキュレーターが絡んでると思ってます。レオ・レオーニ『メデタシ』とか、誰が置いたんだという。
驚いたのが、トコイのお面の実物。ほんとにあるのか、って感じでした。出品リストによると、相馬高校から貸し出された「土面」としか書いてないのですが、相馬の三貫地貝塚からの出土品だそうで、和山やま先生の『女子高の星』みたいな教師が貸出実務、折衝担当してたらもっと面白いだろうと思いました。展示室は、大昔の尖石そっくりでしたが、大森貝塚の郷土資料館もあんなでしたし、全国津々浦々郷土資料室はあんな感じかもしれません。
逆に言うと、饕餮文様の青銅器は、足利市立美術館には申し訳ないですが、ショボいので、昔はタダで幾らでも見られた、住友家による出島の清国貿易の成果、泉屋博古館の青銅器でも出してくれたらなあ、と思いました。国博とまではいかなくとも、どうでしょうか。読売新聞社、損保ジャパン、DNP、ライオンの力をもってすれば、出来ないことはないと思うです。
銅鼓の上で指したから首切り、の銅鼓みたいのも所蔵してたですよ、イズミヤは。
本書は、相変わらずマーブリングの鬼な装幀者。装丁・口絵デザイン/シマダヒデアキ(I.S.D.)かなり自由に仕事してますよね。中扉もそうですが、裏表紙は、マーブリングがリミックス効果になってる。
裏表紙
「皆殺しにしろ」…
ヴァンダカ隊長の命を受け、
傭兵プロの殺意が孤児たちに迫る。
羊力大仙ら魔族も、世を乱すべく動きだした。
一方、孫悟空は祆教寺院の双子&退魔犬と
薄気味悪い魔物がはびこる寧戎城へ…。
史実と空想が変幻自在にクロスするモロホシ版
西遊記、新章第2巻!
表紙
何か企む若きプリンセス。暗躍する
魔族。正体不明の牛頭の巨人――
炎の山のすそ野、濃く漂うは殺気と妖気!
原画展、最初と最後に双子が出るのですが、どこの会場でもそうなんだろうか、連載に合わせて最初と最後は変えてないかと推理してます(妄想)歯車ナントカのイラストとか、幻獣神話展までこの展示会に絡めて来るとは思ってなかったので、酒豪の女性編集者が何を仕込んでるか、底がしれない。
原画展の話をもう少しすると、今回の長野は生地かつ諏訪の地で、次の北九州は装飾古墳と、つながりが分かるのですが、最初の北海道が分からない。北海道を舞台にしたモロ☆まんが、あったかなあと。妖怪ハンターの雪女は北海道ではないでしょうし。長野展は、巻頭展示の『ジュン子・恐喝』で、「おめえ… くにはどこだ」「長野よ」のページが使われていて、大爆笑しました。ジュン子、長野だったのか。完全に忘れていた。
帯でもう寧戎城が出てくるので、どこならと、考え始めてしまってました。講談社なので、思わせぶりに「聖火」の2文字使ってござると感じましたが、気のせいです、たぶん。
頁160で、悟空は逃げたロバを捕まえられなかったのですが、そんなことあるのかと思いました。
講釈師は、双子が言わないと、録画でなくリモートと気づきませんでした。チャーリーズエンジェルもリモート(いや、録画)、バビル二世への説明もリモート(いいえ、録画)、レーア姫がオビワンに頼むのもリモート(ちゃうやん、録画やん)カメラに向かった講釈師が着てるのがちゃんとした服でなく、画面までしかない裾の短い服とか、そういうのでもいいのかなと思い、そういう「実は…」なトリック写真が得意なインスタグラマーの人のインスタ検索しましたが、うまく探せませんでした。
白話文学=口語文学だから、白話と書いて「おはなし」とルビを振ってもいいということでしょうが、昔、広西チワン族自治区だと思うのですが、旅客船で移動していたとき、粤語話者から、「俺たちの言葉が話せるか?」という意味で、"你会说我们的白话吗?"と云われたことがあり、そうか、広東語が、この人たちにとっての「白話」なのか、と、すごーく感じ入ったことがあります。
頁079とか見てると、そんな青春なかった人でも、こういう青春いいですねと言いたくなるような。台湾巨匠選などで青春映画見過ぎたのか、あるいは作者に孫でも出来るのか。シン・エヴァンゲリオンの感想見てたら、「庵野も年取った」「庵野まるくなった」が至るところに目につきました。先行する'80年代の鬼才がこのように孫世代の青春のきらめきを描けるところまで来てるので、庵野むべなるかな。SNSで書ける限界までてきとう書いた気がします。以上