人形シリーズ 八王子編
エケコもアルパカも売り物で、毛は本物のアルパカのを使ってるんだとか。厚木や大和だと、「エケコ知っていますか」でしたが、八王子だと「有名ですよね」でした。
今朝ももたもたしてるうちにラジオ体操の時間になってしまい、しょうがないやと家の周りで枝切りなどして、その後家計簿をつけて、『ビルマ文学の風景』感想を書き始めたのがいけなくて、朝九時までにごはんを食べてストレッチを終わらせるというルーティン行動がとれなくなり、九時にたまごかけごはんをかっこんで医者に行きました。
毛生え薬をつけても2323になるわけでなし、こころなし太くなるか、進行を遅らせるくらいというわけで、ハゲ家系ですし、毎月一万エソも出せないので、円形脱毛症の治療だけ継続することにしました。
ラグメンとスープ。土曜しかランチやってなかったはずのウイグル料理屋が平日もランチやってるそうなので医者の帰りに行きました。ランチセットを三種類出しはじめたようで、ラグメンとポロと日替わり。日替わりはウイグル焼きうどんだそうで、ここで私は混乱してしまい、ラグメンとウイグル焼きうどんの違いを聞き、前者はあんかけで後者は炒めると、やっと理解出来ました。前はスープ的なものは出してなかったのですが、溶き卵のスープはなんしかコリアンダーの風味がついていて、ちょっとおもしろかったです。
ここで食レポが終わるとそれまでなのですが、途中でどやどや中近東系の肉体労働者4人が入ってきて、最初の挨拶こそアッサラームアレイクム、アレイクムアッサラームとやっていたのですが、なんしか意志の疎通がうまくいかなかったようで、店主があれこれ言うのを遮って「日本語で」と日本語のオーダーに切り替えて、まず駐車場があるかないか、有料駐車場しかないので、月曜店休の店の前にどうのこうの、その時ナンバー見たら埼玉の某陸運局ナンバーで、埼玉からナニ人が遠征してきたんだろうと思いつつ見ていると、ウイグル料理はよく分からないらしく、あれこれ聞いて、量も訊いて、ごはんはないのですか、水はないのですか、コーラふたつと水で、ごはんのかわりがラグメンかポロならそれを頼んで、そのかわりシシケバブのオーダーは半分で、と、あれやこれやてんやわんやで、そのあたりで私は彼らをパキスタン人と思い込んでしまい、店のアラビア文字(ウイグルはトルコ系だが文字はアラビア文字)が読めないだなんだと話しているので、「アラビア文字なのに読めないのですか」と話しかけると、「トルコはアルファベットになったので読めません」と、トルコ人であると名乗られ、「パキスタン人と思ってました、失礼しました」というと、「私たちがパキスタン人に見えますか?」と、パキスタン人には見えないのですが、アフガンでいうハザラ人、かつてのイラン代表でいうアジジ顔の人が言ってきて、そこでスキンヘッドのボスが、「私はインドの血も入っているのでパキスタン人にも見える」とおどけて笑いをとり、3人がトルコ人、1人がウズベキスタンもしくはトルクメニスタン人(忘れた)であることが分かりました。
そんでまあ彼らが、ウイグルってのはなんなんだ、数の数え方もエーク、ドゥー、チャハル、パーンジーのパルスィー(イラン)だろうみたいにてきとうに話してるので、また割って入って、「いやいや、ウイグルはトルコですよ、むかしの、セルジューク・トルコだかなんかの、古いトルコ語を話すんです(古語はほんとうですが、セルジュークトルコやヒッタイト、バビロニア、ネブカドネザル二世、アッシュールバニパルはてきとうに口から出まかせ)。例えば、数の数え方は、ビル、イッキ(シッキ)ユチ、トッティ、ベシ、と同じなのですが、ハウマッチが、トルコではネガダルでしょう?それがウイグルでは、カンチェプル?になります」と、カンチェプルがトルコ語の古語にあって、彼らが理解してくれよ、南無三、と、ぶっつけでしゃべくり倒したところ、カンチェプルが通じたようで、私はそれ以外手持ちのカードがないので、とてもほっとしました。
https://www.elkitab.org/wp-content/uploads/2017/06/A_Concise_Uyghur-Japanese_Dictionary.pdf
今日の日記のタイトルはそこから来ています。ウイグル語は、検索で出た現代ウイグル語辞典で検索しました。彼らは埼玉から相模原まで解体の仕事で来ているそうで、ポロは味が薄いので、「塩くれ」「塩はドゥース」とか言いながらもりもり食べてました。で、「クルド人を知っていますか。彼らはイランとトルコの間に住んでいて、ことばもイランが入っています。ウイグルもそうしたものではないでしょうか。数字もエーク、ドゥーでしょう。いや、それはタジクだったかな」「そうです。数字がエーク、ドゥー、セーなのはタジクです。彼らだけパルスィー、イラン系なので」「それにしてもあなたは日本語がお上手ですね」「当たり前です。私は日本人ですから」「ええっ、ウイグル人だと思っていました」この年で別の国の人間に間違えられるとは心外革命でした。確かに私はここ数年、出勤時以外ヒゲを剃りませんが、無精ひげで目の色が鳶色の日本人なんて東海道線のほうに行って石を投げれば当たるくらいぞろぞろいますので、なんというかなー、でした。先日読んだ文春の電通浮気男はブラジル系がウリらしいですが、ラテンクォーターの顔立ちを、人種のるつぼのブラジル人に例えるのはヘンな話です。リバウドみたいなブラジル人もいれば、デコみたいなブラジル人もいる。ベルマーレでいえば、エジソンもセル爺もブラジル人。ブラジル人に定型はない。だからいいです。
(2ページ目)《連続不倫訴訟》40代電通マンを“被害女性の会”が追い詰め、ついに初公判! X氏は直撃に「同時進行の恋愛の一環」 | 文春オンライン
それでまあ、クルド人に例えるトークを聞いて思い出したのが、あまりにおもしろすぎるので、本当に実話なのか、盛ってるんじゃないかと、続編まで出たのにいまだに言われる中公新書『トルコのもう一つの顔』のクルド人弾圧のロジック。クルド人は、イランがまざった、純血でない民族でどうたらこうたら。そういう話でないはずですし、それをウイグルにあてはめるのも、ドイツのエジルが聞いたら泣いちゃいそうな話だよと思いました。
トルコ人たちは、店主にも「お酒を出すのですか」「中国語は出来ますか」「ウイグルはまだ大変ですか」と質問し、店主は「日本人のお客向けです」「出来ます」「まだ大変です」と答えていました。こういう会話を聞いていると、ユニクロや無印良品が遠い世界のようです。そうこうしていると、別の客も来て、我々をぎょっとしたような顔で見て、厨房まで行って、小声で、漢語でオーダーしていて、近くに先日閉店した台湾料理店もあったし、別の中国の少数民族と話す時も漢語だろうし、深く考えず店を出ました。「セルジュークトルコやアタチュルクを知っている日本人はめずらしいですよ」「ウイグル語でさようならはハイルホッシなのですが、トルコ語ではなんですか」「ホッシュチェカルです」「ホッシは入るけれども、やはり少し違うのですね」なんだか知りませんが、トルコ人同士で「ヤクシ」とか言ってました。
初台のウイグル料理店に貼ってあったこの歴史上の人物と思われるポスターが誰か訊こうと思ったのですが、それどころではない感じなので、またにしますと言いました。それで家に帰ってから、そういえばラマダンじゃんと思いました。外国で働く分には例外免除規定があったかな、でもおおっぴらにハラルの店(いちばんどこにでもあるのは非ムスリムのインド人がやってる店)に行くのもなんだから、それで、ウズベク人が、ここならどうならとかスマホで調べたのかなと思いました。勿論ウイグル料理もハラルですが、なんというか。トルコ人たちに、西川口と浦和にもウイグル料理店がありますよと言ったのですが、ピンと来ないようで、逆に私が、神奈川にはトルコ料理店はあまりないですと云うと、綱島のトルコ料理店のビーフケバブはとてもおいしい、日本一といってもいいくらいだ、と赞不绝口でした。ほんまかいな。検索しても、どこにでもありそうなケバブ屋しか出ないです。オダサガのウイグル料理店のシシケバブも、これで一本二百五十円は安い、五百円はとれると言っていたので、勉強したんでしょうね、中国のカオヤンロウはもっと肉の量が少ないですから、と言っておきました。勝手に。
で、帰ってから、どっとつかれました。こういうのに耐えられる神経でないと、海外生活なんて出来ないです。彼らは日本で解体業やって、日本語ぺらぺらしゃべって、イランでもパキスタンでもなくて。最後まで、アラビア文字が読めないことがコンプレックスで私がそれを刺激してしまったのか、その点でなんか言ってました。
帰ってから、この疲れは、ストレッチしてないからだと考え、ラジオ体操とストレッチしました。で、畑で日没まで過ごして、今、夜です。
相模カンツリーゴルフクラブの前の道の花。
オダサガ
オダサガ
オダサガ
米軍住宅のたんぽぽ
オダサガと相武台前 さすがにパンツ手に持って「ムフ💛」の缶はなかったようです。
ホトケノザかなんか。いやちがうか。
ポピー
相武台前
新戸トンネル
同
棕櫚の花 後ろは座間キャンプ
忘れました
新玉ねぎ
スノーポール
三色すみれ
初物の大根
ゆでキャベツ
菜花のおひたし
今日が何の日かも以前書いた気がします。プライムローズとか自転車の日のラリラリとか、419で「飼育」で光くんとか、いろいろ書いたはずです。平熱。結膜炎の症状なし。空咳なし。嗅覚あり〼。
今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。
【後報】
この「カンチェプル」という言い方は、80年代後半の地球の歩き方シルクロード編の会話集にあった表現で、これまで何も考えず記憶していたのですが、今回、改めて意味をとると、「カンチェ قانچه」が「いくら」の意味で、「プル پۇل」が「おかね」で、漢語の〈多少錢〉の直訳のような気がしないでもないです。
その証拠というか、阪大が配信してるウイグル語独習コンテンツを見ると、「カンチェ قانچه」しか使っていません。
http://el.minoh.osaka-u.ac.jp/flc/uig/lesson04/01.html
私がトルファンやクチャ、カシュガル旅行した頃にもウイグル暴動はあって、外貨稼ぎで外国人向けに街が開いても、中国銀行が党の指導で行員の「学習」活動を行っているため半日業務で両替が不便とか、そういうことがありました。今から考えると生産兵団だったのかなあ、電車の車内で会った漢族の小学生がほこらしげに、覚えたウイグル語の単語(月や太陽など)を披露してくれることもありましたが、どうなんでしょうか。そうした漢族知識人が漢語をぜんぶ漢字の分からない外国人向けにピンインで書いてくれて、日本人はかえって意味が取れず困惑、なんてこともありました。ウイグルでもチベットでも、昔からいる漢族は苦労してるのが分かるから相互扶助があったが、新しく来たれんじゅうは…という言い方に(ウイグルでなくカザフだったかも)、やはり集約されてしまうのかなとも思います。
(2021/4/20)