『アメリカのパイを買って帰ろう 沖縄 58号線の向こうへ』"Let's Buy an American Pie and Go Home.「Okinawa」Beyond Route 58."読了

jimmys.co.jp

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作者が沖縄旅行した際、里帰りした沖縄人とおぼしき男性が、上記アップルパイを爆買いしてる場面に出くわした経験から、「異民族統治下」アメリカ世の沖縄に関するトピックを紡いだエッセーというかルポ。刊行時の2009年当時はアップルが半生なので通販不可だったそうですが、今上記公式を見ると、冷凍にて通販されております。コロナカのくふうなのか、人類の歩みは日進月歩だからなのか。

表紙写真ー東恩納武 ブックデザインー守先正 米軍ハウスが多く建てられた、海を見張らせるなだらかな丘地帯にジャーマンドッグという構図。金網越しの写真であることに、今気づきました。手に取って読んでても気づきにくいです。本文の各章扉写真撮影は著者。ときどき(頁253など)当時の関係者提供の写真もあります。あとがきに参考文献一覧。2005年くらいに草思社の田中尚史という編集者が書面で著者にウェブ連載の依頼をし、打ち合わせを経て、2005年7月7日から2007年7月19日まで「Web草思」にて連載した記事を大幅に加筆修正。同ウェブサイトは2007年末休刊。田中さんからバトンは渡された感じで、日経新聞の苅山泰幸さんという編集者が出版を引き受けた由。今治出身で、岩国のFENを聴いて育った人だとか。著者は町田出身横浜在住(当時)で、やはりFENを聴いていたということです。

そういう経緯だからか、あとがきに、本来は独立した章を立てて語られるべき、アメラジアン、米亜混血児のエピソードがドカッと入ってます。最終章で、まあ、奄美なんですが、いわゆる「離島」出身者のアメリカ世について語られているので、その続きという感じ。カビラ兄弟のお父さんも最終章に名前が見え、パートナーのひとがドイツ系アメリカ人とわざわざ書いてあるので、表紙写真とは関係ないよね、と、ちょっと思いました。考え過ぎたくないデス。

相鉄瓦版第269号「特集:今も現役な昭和カルチャー」に登場するドライブインの本(伊勢原愛甲石田から平塚に行く途中にあるアメリカンな店が瓦版と本の両方に登場)を読んだら、本書のココイチに関する箇所が引用されていて、それで記憶に残っていて、今回読んだです。ココイチの個所は、過去のアメリカ世の話でなく、連載時、沖縄ちゃたん国体道路店で現在進行形で起きていた、米国軍人でごったがえす店の喧騒、アメリカ人に何故かオオウケのココイチの話。ちょっとほかの挿話とは、毛色がちがいます。

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相鉄瓦版第269号は、当時コロナカで電車乗ってませんでしたので、リアルタイムで読んでおらず、だからというわけでもないのですが、読書感想をブログに書いてもいません。自分でもそのことを忘れていたので、メモしておきます。

ココイチの件は、何故沖縄米兵がココイチを好むのか、米兵じしんに分析してもらい、さまざまなオリジナルチョイスが出来る点が、「自由」だからアメリカ人は好きなんだ、という結論に達しています。私が敬して遠ざけるスタバ、あの、何が何やらトッピングや、器までスタイロフォームなのか陶器なのか選択させる煩わしさ、大きさをあらわす特有のジャーゴン(何がグランデだ、「大」だろうとキレる老人を見てみたいです)などに、喜々として飛びつくのと同じ現象だろうかと思いました。なら二郎に米兵が押し寄せてもよさそうなもんですが、あくまでコミュニケートが出来る前提で、その上でマイフェイバリットチョイスが可能ということだろうと。二郎アメリカンがあって英語オーダー可能なら米兵来るかも知れません。ここまで書いて、かつて吉野家で「つゆだく」とかがあったころ(今でもあるでしょうけれど)「つゆだくだくだくだくぎょくぎょくぎょくぎょくねぎ多めでお願いします」と音波を飛ばして注文するのを楽しみにしてる知人がいたのを思い出しました。

bookmeter.com

はなしをもどすと、第二章が「アメリカグチ」ショーティーをショーリーと呼んだり、ショップがシャープ、質屋の"pawn"がパーン、冷やした水がアイスワー、ガーデンがガーレンというような、米語の現地語転換の話。どこに書いてあったか忘れましたが、映画「ナビィの恋」に出てくる琉球民謡のエラい人、登川誠仁という人は、そういうワイハーの日系一世みたいなチャンポン会話を、映画の中でもポンポン飛ばすんだとか。沖縄でツナと言っても通じない、英語ふうに「トゥーナ」と言わないと通じないそうですが、私は試したことありません。「フィリピン」も「フィルリピン」になるそうで、頁42、「オンブリヤーゴ」ということばが、人口に膾炙してるわりに、ウチナー口でも英語でもなく、さっぱり語源が分からない、フィリピン語なのだろうか、と書いてます。どうなんでしょう。薩摩弁とか先島のことばとかもチェックしてみたら、と思います。閩南話とかも。

一個、私は分からないのですが、作者は自明と思ってるようで、訳もなにもつけてない単語があったのですが、今読み返して、探し出せません。ガッデムを合点、デンジャーをでーじと思ってたところばっかり目につく。第二章の最後に、米軍補給物資の盗難売買に関する、米国人側のエモーションの記録として、ポール・オースター編『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』の一篇『縞の万年筆』をぐうぜん著者が見つけるくだりと、内容の紹介があります。

第三章が前述のココイチ。米兵はココイチを"CoCo's"と呼ぶらしいので、内地で軍属が邦人に道を訊いても、ココスを案内されてしまうでしょう。第四章は沖縄の住宅がコンクリートブロックだらけな理由。耐震性とかどうなんでしょう。簡便なので、通気性の悪さや、平屋屋根の熱気からクーラー必須になってもコンクリブロックのおうち「スラブヤー」を作ります、という話。戦前の住宅は「カワラヤー」だそうです。別に、戦火で灰燼に帰したあとだから、みたいな記述はありません。戦火のあとはまずバラックで、それはそれで、サリサリストア、〈杂铺〉みたいな簡易雑貨店「まちやーぐ」の絡みなどで語られています。離島は、あんまコンクリブロックでない気がするのですが、どうでしょうか。

第五章は、ポークなど。沖縄初の東京アンテナショップ「有楽町わしたショップ」で、当初、在京ウチナーから、ポークは輸入品であって沖縄県産品でない、アンテナショップで扱うのはおかしいというクレームがあったことが、初代店長の口から語られます。相手にしなかったというか、笑い飛ばしたとか。ただここで、私もポークはそれなりに好きで、ほんとに沖縄の厨房では、日常的に食材として使われるのを見てるのですが、アメリカでも当然庶民の味かというと、レーションだからしょっぱいし、アメリカーでは日常使いしないさあ、あくまで戦時食、戦場携行食さあ、と書いてあって、学刈也でした。

第六章は「京都ホテル」という、米軍関係者御用達ホテルの閉店。私もこの日記を始めてから、ドブ板通りに面した米軍関係者御用達ホテルに泊まったので、別に。第一章には、那覇市にかつて「アメリカ湯」という銭湯があったが、「うるわし湯」に改称されたというエピソードが載ってます。

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横須賀で泊まったホテルから見たドブ板通り。2016/12/2

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その時撮った写真。この頃まだインバウンドは本格化してませんでした。たぶん。

このホテルのくだりで、志願制になってからトラブル続出との回顧談が出ます。後述の軍人住宅のくだりではそういう回想は出ません。昨今の米兵は字もロクに書けなくなったというため息は出ます。

第七章は神父というか、新教なので牧師さんの話。軍教会から、反戦なので下野して沖縄の民間教会に移った米国人牧師。

第八章は軍人住宅の話で、内見して初めて、その眺望のよさに気づかされたんだとか。それまでは、外から見上げたり見下ろしたりするだけなので、日本人が選ばない、海辺に面したり傾斜地だったりのメリットに気づけなかったそうです。ここでいう「日本人」は、私の言い方なので、ウチナーも含みます。本書は、私がナイチャーとかウチナンチューという言い方でお茶を濁すのに対し、「日本人」「沖縄人」と書き分けて、ジャパニーズとオキナワンの意味で用いて、ハッキリさせています。またそれに対し頁を割いて説明もしている。

さいごの章は、FEN、復帰前はAFRTS、現在はAFNと呼ばれる極東の米軍放送に対し、沖縄には民間の英語ラジオ放送があって、KSBKという名前だったと。それについて関係者への取材を重ねて、書いています。

KSBK - Wikipedia

何の略称でケーエスビーケーなのか本書は書いてませんが、ウィキペディアにも書いてませんでした。ケーエスビーケーが正式名称で、略称ではないのかもしれない。琉球放送RBC)の一角で放送されていて、復帰後は、当時の放送法だか何だかの絡みで外国語オンリーの放送はイカンゴレンということで、郵政省から一年の猶予期間を置いての廃局通達となったそうです。ラジオの外国語放送のじゅうようせいは、阪神淡路大震災の際の外国人向け緊急放送の必要性の時に浮上して、それで関西にFMこころが誕生したと聞いてるのですが、あれは日本語ニュースも入れてるからいいのかな。それとも放送法が変わったのか。

KSBKについて、著者はある個人の方のサイトで知ったそうで、しかしそのサイトが、もう単行本化時にはバニッシュしてたのかな、URL等記載ありません。運営者は実名出てるんですが。

頁227

 僕も座間や相模原といった米軍基地の近くの街「町田」で育ち、週末ともなると繁華街に出てくる客は半分近くまでがアメリカ人で、FENは小学生のときから自然に耳にしていた。

こう著者は書いてるのですが、1961年生まれの人の回想として、これはないやろ~と思いました。半分近くまでとか、それはさすがに盛り杉。休日の、金沢八景からむこうの京急線のヨコスカ関係者(武山ではない)じゃないねんから。ただ、第八章の米軍向けフェンス外住宅のくだりで、如何に今のキャンプ内がツマラナイか、軍属が先を争って逃げ出したくなる(外にローカルのジョーカノを作るなどして)かについて触れていて、フードコートはコストコみたいかというとそうでもないし、映画館も、外の日本のシネコンのほうがずっといいし、みたいにガーと書いてあって、それで、昔はこんなにあっちこっち米軍関係者いなかったよな、なんでやろ、のナゾが少し解けました。そんなにキャンプ内ツマラナイのか。

最後に作者について。なにげなく検索して、アンド検索のワードのただならなさに、姿勢を正して検索しました。

駒沢敏器 - Wikipedia

下記は、2012年3月9日の著者死亡記事。

www.nikkei.com

母親の方は出頭したのでしょうか。個人の方の追悼は多く出ます。足が難病になったとかetc.

謹んで冥福をお祈りします。以上

【後報】

在京沖縄県人が、有楽町の県産品アンテナショップでの輸入品SPAMミート販売に、異議を唱えた点について、もしその人たちが、本土復帰前にパスポート持って日本留学してそのまま住んでる人たちだとしたら、ある程度ニュアンス分かるかなと思いました。私も以前復帰前に来京した知人がいましたが、苦学する場所として、那覇や米国でなく日本を選ぶくらいですので、21世紀には立派なネトウヨになっていました。ゴルゴ13に沖縄基地の不在地主の話がありましたが、あれはまた別の話で。

(2021/10/2)

【後報】

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あざみ野

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あざみ野

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新石川

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新石川 東名高速

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早淵川

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新石川

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エスペランサたまプラーザ

新石川

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新石川

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新石川 東名高速

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新石川

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新石川

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新石川

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新石川 こんなところにビニルハウス。

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TROUBADOUR We present to you a restaurant that serves the flavors of America. From the Deep South of New Orleans, to the East Coast, Midwest, and the South West, our menu represents America's diversity. With TROUBADOUR'S atmosphere of the 1970's west coast music scene, you have a true hometown Restaurant and Bar.

たまプラーザ アメリカンダイナーは、パルプフィクションに出てくるような店かと思いましたが、違いました。バリアフリ―という感じでもないかったかな。横浜のチベットの先なので、もっとガバッと土地を使ってるかと思いましたが、日本でそういうのは、宴会場付きの料亭になってしまうのか。

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ぜんぜん関係ありませんが、この日は午前驟雨から午後日が照って暑くなって、おおいに体調が狂い、数年ぶりに大をもらしてしまいました。でも今のトイレはとても新しくきれいなので、洋式便器でパンツを洗って、ノーパンのまま東急スーパーで新しいパンツを買って穿きました。昨夜頭痛のスタッフがいて、気にしていたら自分も調子おかしくなった。東急ストアは三着¥780のパンツなんかなくて、一着¥980のポロ買いましたが、とてもはきごこちがよく、これからパンツ代はケチらずこのクラスのを買おうと思いました。相武台前がある住人がわざわざ作者に手を合わせにここまでくる必要もなかったかなと。

(2021/10/10)