『ドライブイン探訪』読了

 相鉄瓦版第269号「特集:今も現役な昭和カルチャー」に著者が登場してドライブインについて語っていて、それで読んだ本。表紙の写真の平塚のドライブインは、伊勢原からベルマーレのホームゲームのシャトルバスが通る道沿いのような、一本筋違いのような。

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ドライブイン探訪

ドライブイン探訪

 

 装幀者 名久井直子 作者が自費出版した「月刊ドライブイン」全12号(2017/4~2018/6)を、南池袋の古書店古書往来座」の店員が仲介の労をとって筑摩書房の社員につなぎ、加筆再構成して書籍化したとの由。巻末に参考文献一覧。雑誌の特定の号がかなりあって、大宅壮一文庫に足繁く通ったのかもしれないと思わせました。ライター稼業。

相鉄瓦版で目に止まって、この本を読もうと思った文章が、海外発祥の文化が日本に入ってくると、様々な「翻訳」が行われる。アメリカのダイナーにない「小上がり」が日本のドライブインには必ずあって、足をのばしてくつろげるようになっているのがそれだ、という箇所。その時は気が付きませんでしたが、ドライブイン衰退の契機として、家庭内産業で行われているので、世襲や夫婦共同作業が暗黙知から職業選択の自由となり、収益が右肩下がりな業種でもあるので、後を継ぐケースが稀になり、高齢化で店をたたむケースが多い、というのも、「翻訳」なのかなと思いました。三ちゃん農業といっしょ。

あとをつがないのは昔ほど儲からなくなってるからで、それはファストフードやファミレスのみならず、ラーメンでもなんでも、国道郊外型の広い駐車スペースを備えて煌々と灯りをともすチェーン店や、イートインのスペースや車内食を前提としたコンビニもまた、街道沿いに溢れていて、そこに家族労働の自営業の優越性が少ないという特徴も読んでるうちに分かります。どこもガッツリ系の、スタミナ食が名物料理で、運転するから酒類でスナックっぽくも出来ないし、宿泊許可をとっていても、そこまでメンテが大変ですと。銭湯的な浴場を併設してるところは賑わってるそうで、それは逆に、本来のスーパー銭湯が近くに進出しても価格的に太刀打ち出来ないからだろうし、そうなると儲けは少ないのに労働はスーパー銭湯並みということで、客が来すぎるから金属疲労で店を畳むパターンもありうるんだなと思いました。

あとがきによると、本書で筆者は「表現しない」ことを心がけたそうで、それにより、日本全国が均一化される中、津々浦々の個人飲食店の風景も大なり小なり似通ったものになってるのをそのまま活字に落としていて、テレビほかが過剰な演出でご当地感を盛ってるように作っておらず、だから、後半、同じような店で同じような問題(高齢化、閑散とした客の入り)に、正直読んでいてダレます。作者が悪いわけでもないのでしょうが、変わり種として軍国喫茶がどうのと出ても、おおもとの屋台骨が、日本である以上日本的な共通点以外にはならず、読後は既視感が繰り返される。

作者のドライブイン巡りは2011年からのスタートだそうです。ということは、ドライブインの永い黄昏状態がほぼ定着した後ということ。生き残った(だいたいは偶然要素)二百軒ほどを訪ね、さらにその中からこれはという店をピックアップし、取材許可を得るために、ここが無駄で面白いのですが、再訪の際は必ず公共交通機関(電車とバス)を利用して訪ね、取材の交渉をして、それから本取材の三度目の来訪をすると、そうやって記事を書いています。なので、異なった季節のその店の顔も体験出来ますし、一度の来訪だけで客層などを判断する愚を犯していません。複数回来店で精度を上げている。で、印象的な店を取材対象として絞っているわけなので、バラエティーに富んだお店がバンバン出てしかるべきなのですが、実際に出てはいても、読後感は、前述のとおりかなりフラットになってしまう。けっきょく人間のやることだからなのか。

「表現しない」枷をといて、毎回、沢木耕太郎調佐野眞一調椎名誠調辛酸なめ子調と、タッチを変えて書いてみたらどうだろうと思いましたが、それは、取材対象の存在を尊重するから「表現しない」ポリシーに対する違反だからダメなんだろうなと思いました。ラーメンやらなんやらぜんぶ自販機の群馬県ドライブインは私ですらテレビのワイドショーで見たことありますし、沖縄のA&W直営ドライブインは、そんなのあるんだと目から鱗でした。池上永一八重山小説、カジマヤーでは「エッダー」と発音されてるのですが、本書では本島のはっちょんなのか、「エンダー」と書かれています)そうやって、種々様々なドライブインが登場するのに、同じ受け取り方をしてしまうのは、こっちの心理状態も関係してるのかもしれません。A&Wだからルートビアが売れ線と思いきや、オレンジジュースが不動の売上ナンバーワンだそうで、日本本土のオレンジジュースが日本の柑橘類で作られていたのに対し、輸入制限品目が適用されない返還前の沖縄では米国直輸入の濃縮オレンジで作られていて、その味が強烈な記憶になって焼きついて、今でも大人気、ということだとか。頁112。

沖縄に関する箇所は、何故か平塚でも語られていて、頁96には、沖縄のココイチが米兵に大人気という、別の本からの引用が語られます。駒沢敏器という人の『アメリカのパイを買って帰ろう 沖縄58号線の向こうへ』日経新聞出版2009年五月刊で、面白そうな本でしたが、近隣の図書館に蔵書なし、版元品切れ増刷予定なしでした。

日本にドライブインが充満したのは、日本の国道が整備されたからで(国道とは名のみの砂利道を全部中央分離帯のある舗装道路へ、という、当たり前だろーと言われそうですが、意外にこれが、発展途上国にありがちな、経済効果やらを試算する官僚がハバを効かせる国、例えばパキスタンなんかだと思うように全国隅々まで出来ず、効果は度外視で、とにかくやるんだ、物流をくまなく循環させるんだ、という鉄の意志でやらないと出来ない。高度経済成長の日本とか、ベトナム戦争の後背地で米軍が道路作ったタイとか、GDP世界二位の21世紀中国とかのように)しかしそれは、東北の国道四号のように高速道路のサブの扱いとなり(頁154)、そこで、現役の無料自動車専用道として活躍している名阪国道、亀山で東名阪になるまでは一般道のドライブインの描写は面白かったです。ここは、私は、2009年にベルマーレが、まだ香川在籍中のセレッソと、壮絶な撃ち合いを制した試合のツアーバスで通りました。まだ金鳥スタジアムはテニスコートだった。それで五万人入るはずが、上階に行くと鳩の糞だらけの長居に行くには、こっちの道なんだなと思いました。京都や関ケ原通ってたらまだるっこしい。本書には、名阪国道はごまめのじいじ、河野一郎が、千日で作れ、との鶴の一声で作った千日道路だと、当時の雑誌記事を調べて書いています。実際には二千日かかったとか。保土ヶ谷BPのように、無料の一般道自動車専用道であっても高架化してたら飲食店はそれほどロードサイドにみちみちるわけにはいきませんし、国道16号線のように、道路脇がだだっぴろかったら、ふつうにチェーン店にみちみちてしまいますが、山道で、地権とかがそれなりっぽいからチェーン店の参入が限られそうな名阪国道だと、個人事業者が少ない道路沿いの平地を自分で押さえていて、使えるなら使おうってんで、チェーンでない形でやっていく道があるんだろうかと思いました。河野一郎の名前を見れて、よかったです。総理になればとおしまれたがなれなかった。

昨年読んだ小路幸也『国道食堂』は、神奈川西部が舞台で、ドライブインとは書いてませんでしたが、チェーン店のラーメン屋などが山がちの平野の少ない道路わきになく、後継ぎの店主が元レスラーという有名人で、まだ若く体力もあり、それで現代風に週末イベントなんかもやって活性化を絶えず図っているという話で、千日道路に芸人がいてたらそんなかもと思いました。

 以上

【後報】

こないだNHKの所さん大変ですよでやってたのですが、物流業界は規制緩和からこの方、新規参入で値崩れして、給与が上がらなくなって、それで人材が集まらなくなってるとか。それより、チェーン店の充実のほうが、ドライブインの衰退の直接的原因と思うのですが、いちおうはてブを貼っておきます。

[B!] 26両の貨物列車も! 物流業界を深掘り - NHK『所さん! 大変ですよ』 | マイナビニュース

(2021/2/3)